冷えきった空気がひやりと頬を撫でていくのを感じた。まどろみながら夢と現実の境を行き来しつつも、瞼は重く開こうとしない。
瞳を閉じたままでもわかる、どうやら夜が明けたようだ。
京の冬は底冷えと言うが、確かに長州の冬とは行って帰ってくるほどに違う。
冷気にさらされた頭を、温い布団の中に潜り込ませた。
これで、もう一眠り出来る。
そしてまた夢路へと旅立とうとした俺の鼻先を、甘い香りがついた。
温い布団の中に漂う彼女の残り香に、堪らない幸せを感じたところで、俺ははっと異変に気付く。
そして布団から飛び起きて辺りを見渡すも、室内にはひとっこひとり居やしなかった。

「……あやねはどこだっ!」

はだけた浴衣から入り込んだ冷気に、くしゃみを一つ。





二足歩行





顔も洗わず適当に上着を羽織り、障子を開けたところで、世界が真っ白になっていることに気付いた。
やけに今朝は冷え込むとは思っていたが、どうやらこれが原因らしい。
視界に入る景色全体を、雪がうっすらと覆い隠していた。
そして空からは今も、静かに雪が降り続けている。
初雪だった。

「こんな日に、どこへ行ったってんだ!」

頭をかきながら、ため息を吐く。するとそれは白いモヤになり、あっという間に消えていった。
俺の頭にあるのは、薄着のままのあやねの姿で。昨夜、床に入る前には確かに浴衣しか着ていなかったはずだ。
早く何か羽織らせてやらねばと、手元に抱えた上着に視線を落とす。
すると、雪がちらつく中、軒先から庭へと伸びた小さな足跡が目に入った。
点々と続く足跡を視線だけで辿って行くと、それはどうやら垣根の向こうまで続いているらしい。

「あんな薄着でどこまで行ったんだか」

上着を片手に庭先へと降り足を進めると、サクサクと小気味良い音が響いた。

点々と続く足跡を辿ってみると、至るところに彼女らしい痕跡が見てとれた。
冬にも花を咲かせている梅の前では、立ち止まったのか、足跡が無数についている。
そしてそこからまた伸び始める足跡を追っていくと、薄氷が張る池の前でまた足跡が止まるのだ。
そこではしゃがみこんで雪を手にしていたらしく、岩の上にあったと思われる新雪が削り取られていた。
そうして庭のあちらこちらに残る足跡が、あまりにも彼女らしくて、何だかおかしく思う。

「そこに居てくれよ、と」

そして入り組んだ垣根の先に足を踏み入れたところで、垣根とにらめっこしているあやねの姿が目に入った。
何をしているのかは知らないが、いやに真剣な様子で緑の垣根を見ている。
こちらに背を向けている彼女はこちらに気付くこともない。
足音をそっと忍ばせながら、そちらに歩み寄った。
やはり予想通り、あやねは薄着のままで、見ているこっちが寒くなる。
何も言わぬまま、その小さな肩に上着をかけると、きゃっと小さな声を上げてこちらを振り返った。

「晋作さん」

真ん丸に見開かれた瞳が向けられる。

「こんな朝から何してたんだ?」

そう聞くと彼女は照れたように笑ってから、自分の手元を差し出した。
真っ白な雪の塊に、緑の葉が二枚ささっている。
なんだか間の抜けた格好をしている雪の塊が、掌の上に乗せられていた。

「せっかく雪が降ったから、うさぎでも作ろうかなって」
「雪うさぎか、……目は付けないのか?」
「届かないの」

そう言ってあやねは垣根の方へと向き直り、顔を上げてみせる。
真っ赤な南天の実は、彼女の頭上高くに実っていた。どうやら先程まで、これとにらめっこをしていたらしい。
爪先立ちで手を伸ばすも、指先は空を切り、あと少しというところで手が届かないようだった。
必死に手を伸ばす彼女の後ろから、ひょいと、手を伸ばして赤い実を二つ取る。
そしてそれをそのまま手渡すと、あやねは嬉しそうに笑った。

「ありがとう!」

真っ赤な南天の実をひとつずつ手に取り、うさぎの目に模していく。
するとその掌の中に、真っ白なうさぎが姿を表した。
それを手にして、子供のように無邪気に喜ぶ彼女の頭を撫でてやる。
そんなに初雪と雪うさぎが嬉しかったのかと微笑ましく思っていると、途端に視線はこちらに向けられた。

「はいっ」
「ん?」
「晋作さんにあげたかったの!」

そう言って差し出された雪うさぎの真っ赤な南天の目と、真正面から目があった。
そこでようやく、それが乗せられた指先が赤いことに気付く。
いつからこうして、冷たいうさぎを手にしていたのだろうかと、ふと考えてから。それを奪い取って、空いた方の手であやねを抱き寄せた。

「し、晋作さん?」

礼を言うのは、俺の方だ。
その冷え切った身体が少しでも温まればいい。
そう思いながら、彼女の髪に鼻先を埋めて抱きしめた。
何も言わずにそうする俺に困惑した様子のあやねは、ふと思い出したかのように、腕の中で不思議そうな声をあげた。

「そう言えばどうして、私がここに居るって分かったの?」

庭に残っていた足跡を思い浮かべながら、さてどう答えようかと考えてから、俺はにやりと笑ってみせる。

「あやねの居場所がわからないと思うか?」

そんな俺の言葉に、彼女は更に戸惑ってみせるばかりだった。
ああ純真無垢とはこの事か。
絶対に放してやるものかと、抱き寄せる腕にいっそう力を込めた。
庭の軒先からこの場所まで、新雪には二人分の足跡がそっと並んで残っていることだろう。
雪さえ溶ければ、その足跡は明日にでも消えてしまうかもしれない。
いつ無くなるかもしれぬ雪路に、何を重ね見たかは知らないが。
どうかいつまでも、二人このままで。





20110117


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