Wアンカー 乗車編 | ナノ


物心ついた時既に少年は、ポケモンに囲まれた中に存在していた。
右に手を伸ばせばチラーミィがいて、左に手を伸ばせばゼブライカがいる。ゴチルの名を呼べば小さな足でこちらへと駆け寄ってきて、マメパトの名を呼べば止まり木の上から返事をするかのように一鳴きするのだ。それがごく当たり前で、居ない事の方が違和感だと思う位。しかし、少年を囲むポケモン全てが少年のポケモンではない。少年の保護者が管理するポケモンだ。

クダリ

頭上から声がして弾かれたように顔を上げれば、この世界を生み出した少年の父親の顔。

父さん!
と、抱き付けば、父親は少年の頭を撫でにっこりと笑みを浮かべる。釣られるかのように少年も笑えば、父親はクダリ、今日のポケモンバトルはどうだった?と聞いてくる。
少年は勿論!とトレーナーカードを出す。すると、父親は携帯端末を取り出し、少年のトレーナーカードに記載されているトレーナーIDを打ち込む。
表示される少年の、クダリのバトル履歴。今日一日にバトルした回数と勝敗が液晶画面に映し出された。
××勝×敗。言ってしまえばバトルに勝った数が多く、少年は父親に誉められると思っていた。
昨日も誉められ、その前の日も誉められたのだ。

よく頑張ったな?凄いじゃないか!

父親が浮かべる笑顔が好きで、真似るかのようにクダリ自身も笑う。最近、父親そっくりに笑うようになったと、メイド達によく言われるようになったクダリからすれば嬉しくて仕方ない。

今日も誉めてくれる。そんな思いで帰宅したクダリの思いを切り捨てたのは、誰でもない彼の父親だった。

なんだこれは!クダリ!何故×敗した?!

初めて聞いた父親の怒鳴り声に、クダリの笑みが消えた。
父さん?と不安で仕方ないその言葉を再び遮ったのはやはり父親で、自身を見下ろす大きな存在に初めて怖いと言う感情を抱いた。

何故××勝しかしていない!しかもたったこれっぽっちの回数で負けているだと?クダリ恥ずかしくないのか!
お前はポケモンバトルが得意だろ?!わざわざベテラントレーナーに金を払って、素晴らしい能力をもつポケモンを買ってきてやったと言うのに…!
お前ときたらっ……!

父親の唇から零れる螺旋は続く。
同時に降り注ぐかのようにやまないナイフは、少年の心へと音をたてる事なく沈んでいくのがわかる。

明日は○○勝してこい!×敗なんてしてみろ?家に入れると思うな!!

カーペットへと叩きつけられたトレーナーカード。
クダリはびくりと肩を揺らすだけで動く事はない。恐怖によって足が竦んでいるのか?はたまた今目の前で起きた出来事に頭が着いていけないのか?そこは本人にしかわからない。
ただ一つ、言える事。
それは今まで父親に抱いていた気持ちが、全て崩れ落ちていった事。

今のうちに沢山バトルして勝利回数を稼いどけ!
わかったな!

荒々しい扉を閉めていく父親。
目に見えない衝撃波により、少年は体を震わせしんと静まり返った室内で父さん、と小さく呟く。しかし少年の言葉が父親に届く訳もなく、返事なんざ返ってくる事などない。

何故大好きな父親に叱られたのだろうか?昨日と変わらず、沢山バトルして沢山勝ってきて、ファイトマネーも勝利回数の数も増やしてきた。何故、あんなにも怒っていたのか?

今まで見たことのない父親の姿。
胸の奥底で何かが湧いて出てきた事に、少年は怖いと抱く。この感情は一体なにか?教えてくれる人なんて誰も居らず、とりあえず誤魔化すかのように後ろにいるポケモン達へと振り返れば少年は目を見開くしかなかった。

ポケモン達は少年を見ていなかった。
父親が出て行った扉をただただジッと見つめるだけで、一匹として少年を瞳に映す事はない。

誰一匹としてだ。

新たな恐怖が少年を飲み込む。
自分越しに見るポケモン達に、少年はイヤだと呟く。

置いていたモンスターボールを掴み取り、ポケモンで溢れた部屋を飛び出した。
見慣れた筈の廊下が酷く歪んでいる理由はわからない。
鼻の奥がツンとして突き刺すような痛みで、視界がさらに歪む。
父親の姿を追う。

父さん、
父さん、

と息切れしそうな中、走り付いた先は大好きな父親の部屋。仕事で忙しい為、部屋にくる前には連絡をしなさいと言われた部屋だ。
普段少年側からこの部屋にやってくる事はない。

父親から与えられたらあの部屋で満足していたから、此処にくる必要はなかった。何より父親があの部屋へとやってきては、沢山誉めてくれる場所でもある。大好きな場所をこれ以上汚されたくなかったかも知れない。

深呼吸をする。
目を閉じれば蘇る父親の姿。先ほどみた父親ではなく、少年を誉めるあの父親の姿を思い出す。
大丈夫だ。
大丈夫。
そう言い聞かせるもノックする手が震える。止まらないのだ。
頭の中で思い出すのは父親の笑顔。自分の大好きな笑顔で、にこりと笑う姿がーー


(あれはもうダメかもしれないな)

「?」

(しかし、クダリ様はまだ幼いですよ)

(あいつの年齢なんてどうでもよい。勝率を見てみろ、どんどん数値が下がってきている。このままでは)

ただのトレーナーにしかならない。

父親の声だった。もう一人、女性らしき声は聞こえるもクダリには聞き覚えのないもの。
扉で隔てた向こう側で交わされる内容が、自分の事を言っているのだと理解できた。
しかし、先ほどから交わされる内容に、訳が分からない。と悲鳴を上げる脳内。その反面もっと知りたい。と訴える心に体は忠実で、少年はそっと扉へと耳を寄せた。


(確かに今は勝率が下がって居ますが…それは先日頂いたと言うアーケンを育成し、進化させれば取り戻せる数値では有りませんか)

(アーケンの個体値を見たか?明らかに厳選漏れしたものだ。大方、バトルに負けた廃人がくれたものだろう。高個体値のアーケンとすり替えようとも思ったが、アーケンを持っているベテラントレーナーは居なかった。どこの誰だか知らないが面倒くさい事をしてくれた!!)

ドン!と鈍い音がする。
零れる悲鳴を両手で押さえ込み、少年は再び耳を寄せる。


(しかし旦那様、クダリ様は素晴らしいバトルセンスをお持ちです。もしかすると今はスランプで、上手くバトルが出来ないだけでーー)

(あいつのスランプなんぞ知るか!!私は私に見合う素晴らしいポケモントレーナーが欲しいだけだ!
ポケモンリーグベスト10に入った高履歴の両親を持つ娘に、私の遺伝子をやり金をかけて迄ガキを生ませたと言うのにーー!)

ドクリ、と心臓が鳴る。
ネットワークを介し知らない世界を画面越しにみてきた少年は、2人が何を言っているのか理解できた。高履歴、お金をかけて、遺伝子、そして…生ませた。

何故自分には母親が居ないのだろうか?と言う疑問はポケモン達と触れ合うにつれ薄れていた。
野生のポケモンに襲われ命を落とす。と言う事件はたまにある。その為、両親が揃っていない家庭なんて今時珍しくともなんともないのだ。

自分に母親が居ないのも、そう言ったものだと思っていた、否、思い込んでいたが正しい。
父親に母親の事を聞けば、眉間にシワを寄せその話しはするな。と言っていた事がある。
聞いちゃいけないものだとーーそう、少年は抱いていたのにーー。


(クダリ様を……どうされますか?)

現実へと意識が引き戻される。慌てて耳を傾けるが、バクバクと鼓動を刻む胸が五月蝿い。

(暫くの間、部屋に閉じ込める)

(閉じ込めるって…謹慎と言う事ですか?)

(いや、あいつをオークションにかける)

(旦那様っ!)

(あの歳ならまだ買い手がつく。日に焼けないよう部屋に入れとけ)

(旦那様、クダリ様は…)

(幸いな事に眼鏡と帽子を渡している。私の言いつけを守っている為、素顔を知るトレーナーは居ないだろう。顔を知られてない分高値で売りやすい。最後位役にはたったか……)

(クダリ様には…なんとお伝えしますか?)

(親戚の家に引っ越すとでもいえ。それから部屋から勝手に出ないよう人を手配しろ)

(………)

(分かったな)

(承知しました。旦那様)


カツリと音が鳴る。勿論向こう側から。
少年は一歩そして二歩目と後ろへと下がるも、それ以上動く事が出来ない。

嘘だと思った。
父親が、大好きな父親が自分をそういったものでしか見ていなかった事。否定の言葉が頭の中を埋め尽くす。
違う。有り得ない。間違えだ。そんな筈はない。
そんな言葉ばかりぐるぐる巡るだけで、全ての答えに対する出口が見つからない。ぐるぐる巡る否定は浮かび上がる言葉と繋がり、新たな言葉を生み出す。

自分は一体なんの為にバトルをしていたのか?
自分が今までしてきたバトルに意味がなかったのか?
自分とは、一体ーー

なんなのか?


影が差し込む。
顔を上げれば見知らぬ女性が立っていた。
悲鳴がこぼれてしまうのは同然の事で、逃げ出そうにも足は竦み動く事が出来ない。
眼鏡の向こう側には冷たい瞳。
瞳に映り込む自身の姿が酷く滑稽で、笑いそうにもなった。

突如として腕を掴まれる。
勿論それは目の前の女性によるもので、少年には振りほどく程の力は残って居なかった。


「…来て」

「え?」

「此処から出るのよ」


小声だった。
でも確かにその言葉は少年の耳へと届いていた。
眼鏡をかけた女性は、クダリの返事を聞く前にその足を動かす。
彼女が向かう先は与えられたクダリの部屋ではない。

階段を下りた屋敷の外へと向かっている事に気付くまで、暫く時間がかかったのは言うまでもなかった。









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