「私は旅を、続けたいです」
ホームに鳴り響いたメロディー。ここから少し離れた8番ホームに入ってくるトレインの名を読み上げるアナウンサーの言葉が2人へと注がれる。
ジンとチャレンジャーの時間だけが止まっている様な感覚。その中で彼女はゆっくりではあったが、言葉を続ける。
「確かに、新しい土地につけばその街の人に歓迎されなく、早く出ていけって先を急かされる時もありました。
森の中を進んでいる最中、スピアーの縄張りに迷い込んで夕方近くまで追いかけ回されたのも体験してーー
トレーナーにも、沢山、沢山騙されて泣いたのを覚えてます。でも!」
旅を否定されている様な気がした。
一つ一つの問いに答えていくうちに、苦く苦しい思い出の先に見えた暖かな思い出達が次々とあふれ出てきた。
イヤだと思った事は数え切れない程沢山ある。しかし、その時自身を勇気付けてくれたのは誰でもない、旅を共にしてきたポケモン達だ。
そんな仲間達との旅を終えてしまう。
胸の底でイヤだと叫ぶ自分がいた。
今の仲間達と旅を続けたい。
ハハコモリの背中を撫でる。
ジンさん。私は、旅をーー。
その言葉と同時にジンが笑った。
否、実際ジンが笑った所はみていない。笑った気がしたのだ。どこか柔らかい空気を目の前から感じる。ゆっくりと顔を上げれば、視界いっぱいに映り込む新たな世界に瞬き数回。はて?と、頭が目の前の世界に追い付けない。
頭上から自身へと声が降り注ぐ。
『答えは出てるのでしたら、無理してスーパーに乗る必要はありません。それに』
目の前に広がるそれがスーパーシングルトレインの乗車券だとやっと理解する。
スーパーシングルトレイン。自身のトレーナーIDと共に乗車した今日の日付らしき数字が記入されている。
乗車券が裏返される。其処には∞の記号が記されていた。
『こちらの乗車券に期限と言うものは御座いません』
「期限、ですか?」
『いつでもあちらのトレインに乗れると言う事です』
ジンが動いた。ゴツリとブーツ音を鳴らしたジンが見つめる先には一つのトレインが停まっている。
チャレンジャーは身を乗り出した。
緑色のラインが大きく刻まれたトレイン。
発車を告げるメロディーがなれば、厳しい表情を浮かべるトレーナー達が乗り込んでいくのが見えた。
スーパーシングルトレイン。
彼女の目の前にそれは、気づかない間に停まっていた。
『全て終わらせた頃にご乗車下さい』
「え?」
『何かを残したままではポケモン達はあなた様については来ません』
旅であれ、厳選であれ、トレーナーが何かに迷っていたり、晴れた気持ちではないとポケモンは不安になり、バトル所ではなくなる。
『バトルサブウェイは逃げません』
今、自身が一番にしたい事を優先して下さい。
やり残した事、気にかかる事、やりたかった事全て終え、新しい旅ではなく新しいバトルを求めたくなった時に、ギアステーションバトルサブウェイへお越しください。
『あなた様の知らない新しい世界、サブウェイトレーナー達がバトルでお迎えするでしょう』
それまではーー。
ジンの言葉が途切れた。
原因はチャレンジャー。彼女はそれ以上の言葉を遮るかの様に、ジンの手を両手で握りしめている。
流れる右前髪の影の中、ピクリと動いた眉にチャレンジャーは気づかない。しかし、先ほどと異なるある物に気付いたジンはそれ以上の事を口にする事は無かった。
チャレンジャーが笑う。
すっきりした表情を浮かべ、一歩、二歩と後ろへと下がりぺこりと頭を下げた。
「また来ます!それまでにはーー」
スーパーシングルトレインの発車メロディーと重なる言葉。
第三者からの位置では彼女が何を言っているのか分からないものの、ジンの場所からはその内容ははっきりと聞こえる。
今度はいたずらが成功した子供のようにチャレンジャーがニヒッ!と笑みを浮かべる。そして上へと続く階段を登りだしたその途中で「ジンさん!疲れた時には甘い物ですよ!」と、自身の眉間に指をトンと当てては彼女は、ハハコモリと共に軽やかに階段を登っていった。
スーパーシングルトレインが出発したのは同時。ゆっくりと走り出したトレインをバックに、ジンは彼女を静かに見送った。
頭上から降り注ぐアナウンス。次は回送トレインがこのホームへと入ってくる為、乗車出来ないと言う内容だ。しかしジンの耳には届かない。
ゆっくりと自身の手に握られていたそれを瞳が映し出せば、ジンの口元が綻んでいる。が、すぐさまそれは引き締めようとするも、足音消してやってきたそれにより邪魔された。
「期間限定サンヨウレストランご招待スイーツ食べ放題券?」
ジンの口元が盛大に引きつった。しかし、背を向けている為か後ろに立っている彼にジンの表情は伝わらない。
眉間に皺が寄ったと同時、首だけ後ろへと傾ければ「お疲れ様です」と制帽の鍔越しにジンを見つめる双眼が瞳に映った。
『……仕事はどうした』
「これからです。しかし、あなたが先ほどのチャレンジャーを口説いている場面を見てしまい、男女関係トラブルが起きるのではないかと思い監視していた所です」
『ざけんな』
胸糞悪い事言うんじゃねー。
ギリギリと歯軋りするその音を鼓膜を震わせる。先ほどのチャレンジャーと話ししていたジンの空気が、一変した事にトトメスは目を細めた。
先ほどの空気はどこへやら、だ。
最初は只の愚痴だったのだろう彼女の呟きだが、トレインが出発したと同時に彼女は晴れた表情でホームから立ち去った。トトメスのいる位置からでは2人の会話は曖昧にしか聞こえず、まるで邪魔をするかのように発車メロディーまで聞こえて来たのだからお手上げ。
チャレンジャーの話しの内容も気になったが、頭の隅で彼女にどう言葉をかけてやるのかが一番気になって仕方無かった。
チャレンジャーを口説くと言うのは勿論嘘であり建て前で、ジンの人柄を盗み見ていた。
彼女に対してどう返すのか気になって居たのだ。
突き放すか、慰めるか、はたまたーー。
「何故、彼女を引き入れないのですか?」
『…あ?』
「彼女は旅をするトレーナーにしては惜しい実力を持ってます。あの実力ならば、バトルサブウェイを奨めれば素晴らしいサブウェイトレーナーにーー廃人になって居るのでは?」
ジンがイライラしているのが分かる。さっさとこの場を立ち去りたいのだろうが、トトメスには関係ない。この胸に抱いた疑問をモヤモヤのままにしたくないのだ。
「普段マニュアル通りにしか返さないあなたが、一人のトレーナーに助言したのが珍しいと思っただけです。これと言って深い意味は有りません」
ジンを目指し連勝を重ねてくるトレーナーは数知れず。それに一人で立ち向かいなぎ倒していくジンの動きは、時折マニュアル通りにも見える。
挑戦者の中にはジンに憧れ夢を見て、やっとたどり着いたその人物へと沢山の言葉をかける。が、ジンは表情崩さすテンプレートな台詞をつらつら並べ下車した先で挑戦者を見送る。
アドバイスをする。なんて場面見たことは無かった。それが今になって何故?
彼の疑問は尽きない。
『どうでも良いだろ』
「よく有りません。私は気になって仕方ないんです」
『気紛れだ。ほら、答えたろーーさっさと仕事に戻れ』
「それにしては随分とーー」
(情がこもっている様ですが?)
しかし、この台詞がトトメスの口から出て来る事はなかった。鋭い隻眼がトトメスを射抜く。出かけた台詞は喉の丁度真ん中で行き詰まり、ゴキュ、と変な音を鳴らしてしまう。
それ以上余計な事を言って見ろ?
その口、喋れないようにしてやるぞ
と言わんばかりの肌に突き刺さる殺気に、トトメスは言いようもない恐怖を抱く。背筋がぞわぞわすると同時に、無意識に額へ滲み出る汗。
ああ、忘れていた。
ジンと言う人間は仕事を妨害される事を一番に嫌がる人間だった。
先ほどのトレーナーのやり取りの件も有るが、それよりもーー。
「すみません、今は仕事中でした。余計な私語をしてしまいました」
『…………』
「しかし、私は気になるんです。このままうやむやにしたくはないので、良ければ……」
あなたが休憩中の時、またお話を伺って宜しいですか?
振り返ったジンが僅かに目を見開くのがわかった。
この人にも感情を伝える筋肉が存在するのかと、頭の隅で考えている中タイルを蹴り上げる鈍い音により現実へと意識が戻される。
『好きにしろ』
逆立つ後ろ髪が印象的だった。
それは今目の前にしても変わらず、トトメスの瞳に映り込んだまま。
用が有るなら昼過ぎにこい。
答えれる範囲であれば答えてやる。
そう残したジンが従業員通路へと向かっていく。
その背中を見送るトトメスは一礼し、ジンの反対側へと歩を進める。
カツリカツリと革靴が鳴らす音はどこか軽やかで、トトメスの気持ちを表しているかのようにも感じた。
古株駅員クラウドと並びジンが入ってくる前から、ギアステーションに勤めている彼はあまり表情を表に出さない。顔の筋肉が死んでいる。と同僚に言われた事もある程の彼だが、今のトトメスの口元は酷く緩んでいた。
まさか、そう、まさかだ。
ジンの知らない新たな一面を見てしまい、胸の中は未知なる世界を知ったかのようにバクバクだ。
従業員通路に迷い込んだチラーミィと園児のやり取りを聞いた時と同じ。
胸のドキドキが止まらない。
わかっている。あの時は只の気の迷いだと、始めてみた意外な一面に戸惑っただけの感情かと思って居たが違っていた。
そうだ。この気持ち、興味と言うなの感情。新たなポケモンが発見されたと言ったあのドキドキ感にそっくり。
自身の中にあるジンのイメージ像がゆっくりでは有るが崩れていくのが分かる。
同時に新たに見えた一面により、ジンと言う人物像を作り上げていく。
ふと、気になった。ジンがチャレンジャーから受け取ってチケット。あれには確かスイーツ食べ放題。と記入されていた筈。
まさか、本当に行くのかと盗み見るかのように、チラリと後ろを振り返った。
トトメスの足が止まった。
従業員専用通路の扉前で、ドアノブに手をかけた状態でジンがチケットを見つめる。
後ろ姿でありその表情までは見えないものの、纏っている雰囲気が遠目でも分かる位に柔らかなものだった。
花が咲いて居るようにも見えてしまった。
近づけば近付く程新しいく同時に意外なジンの一面に、トトメスの興味は尽きない。
雰囲気からして甘いものが好きなのだろうか?
ジンは基本休憩中は部屋か、喫煙所のどちらかに籠もっている。試しに購買店で売ってるお菓子を持って話しを聞きに行こう。
扉の向こうに消えたジンを見送るトトメスの表情は、今までにない位柔らかいものである事に誰も気付く事はない。
了
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