腰元につけているボールが揺れた。
ペンを滑らせていたその人物は、デスク上に置かれているデジタル時計をチラリとみる。
もうそんな時間かと、近くに転がっていたペンの蓋を持つなり先端をくわえる。歯で固定した所で転がっていたペン本体をそれへと収めた。
カチリと小さく鳴り完全に蓋された事を確認し、くわえるペンを近くのペンボックスへと放り込んだ。
『入って良いぞ』
扉の向こう側で何かが震えた。
びくりとしたそれは、控えめに失礼します。と一言かけてから扉のドアノブがガチャリと回される。少しだけ扉が開きさぁ入って来るだろう。と言うタイミングでそれは起きた。
『…………』
入って来ない。
小さな隙間があき扉が開きかけたその瞬間で止まったいる。
それ以上開きもしなければ閉じる様子も無い。何をしているんだと立ち上がったそれ。
が、扉へと近付く前にデスク上に置いていたダークボールが一足先にと反応した。
人間の言葉も聞かずボールの中から飛び出た閃光は真っ直ぐと扉へむかう。体についた輝く粒子を払い形を描いたと同時、それは技を放つ。
未だに開かれない扉を囲う淡い輝き。
次の瞬間、勢い良く扉が開き反対側の壁へとぶつかった。
「わ!わっ!」
放り投げられる如く床を転げ回る影一つ。ゴロンゴロンと床を回り、近くの机の足にぶつかった所で影はやっと止まった。
いたたた、額をぶつけたらしい影。
勝手にボールから現れたそれを小突き、下手くそが。と一言。何やら反抗紛いな鳴き声を無視しジンは影の目の前でしゃがみ込んだ。
『大丈夫か?』
狭められた世界の中に映り込むそれは額を抑えながら顔をあげる。
大丈夫。
キャスケット帽の鍔が邪魔で瞳が見えない。が、僅かに見えた口元は笑みを浮かべる。
この位置からではジンの顔は見えないだろう。眉がピクリと動くもののそれ以上の反応はない。
静かに立ち上がったジンに続き少年も立ち上がる。
長袖長ズボンと言ういまの季節にはぴったりな格好。子供らしい柄のついたパーカー付の長袖に、少しボタついたサイズの合わないズボン。少年の年齢にあったそれに違和感はない。
こう見ると違和感はない。しかしジンの思考は止まらない。疑問を抱いたまま。
それに気がつかない少年はついた埃を払う。そして着込むパーカーのポケットから何かを取り出した。
「あのっ…これ……」
小さな手から溢れ出るそれ。
赤と白の二色で色づけされたポケモン協会公式ボール。
ああ、思い出した。
今回少年が来た理由を思い出せば、近くにいたシャンデラがいち早く動く。
少年が出したボールを持ち上げては早速ボタンを押す。
飛び出た閃光が近くの机目掛けて飛ぶも、シャンデラがそれを止める。
形を作り上げた瞬間にそれは一鳴き。
「モシ!」
「デラッ!」
シャンデラに抱かれたそれ、ヒトモシは小さな手を伸ばし抱きつく。クルクル回りながら宙を舞うシャンデラに抱きしめられるヒトモシの姿は、とても微笑ましいものだ。
モシ!モシ!
とても嬉しそうに無くヒトモシとシャンデラに、良かった。と少年の口からこぼれた。
「ポケモン…センターにい、た時から……ずっと、外に出たがって、た、んです」
『……ずっと?』
「うん、ポケ、モンセンターでも、回復、した途端暴れて、シャンデラに会いにいくから、大人しくしててって、言ったの」
なるほど。
あの様子からすると、よほどシャンデラにあいたがっていたようだ。あの懐き様だと、卵からの孵化後にシャンデラが面倒みたのか?もしそうなればシャンデラとの卵を作る相手側のポケモンが居るか?或いは捨てられた卵をシャンデラが拾い孵化させたか……。
モシモシ!
「うん。良かったね」
シャンデラに抱えられたまま、ヒトモシが少年へと手を振る。
『随分ヒトモシに懐かれてるな』
「うん、ポケモンセン、ターでずっとヒトモシ、のそばにい、たからかな?」
ポケモンセンターにか。
ぼそりと呟いたセリフに、え?と少年は顔をあげる。
『何でもない』
「……?」
『それよりも、だ』
未だにクルクル回り止まる様子の無い二匹。
ジンの視線に気がついたシャンデラが、なによ!と言わんばかりにジンを威嚇した。
『現時点ヒトモシのトレーナーは君で、シャンデラは私のポケモンとなっている。だが、見ての通りシャンデラはヒトモシの側に居たがっており、逆もまた然りだ』
「う、ん」
『しかし、私はここでの仕事があり、君もスクールに行かなくてはならない』
「…………うん」
何をいいたいのか?
なんとなくわかってきた。
駅長代理のジンとスクールに通う自分では、シャンデラとヒトモシを合わせる時間が合わないと言う事。業務で忙しいジンが、自分の様な未熟なトレーナーと合う時間どころかこうやって直接会う事はめったにない。
自分だって出来ればヒトモシをシャンデラに合わせたい。だけど、それは出来ない。少年とジンの立つ位置に差が有りすぎる。
「あの、ヒトモシをジンさ、んが預かる、んですか?」
『悪いがこれ以上ポケモンを持つつもりはない』
「え!」
予想外。ジンの口振りからすればヒトモシは私が面倒を見る。と言うと思っていた。何せジンはここギアステーションのトップに立つトレーナーである。ポケモンの面倒を見るのも問題ないと思ったが………。
『シャンデラ、お前ヒトモシと会う時間が少なくてもいいか?』
「シャーン!」
揺らめく炎がボフン!と破裂した。
そして抱きかかえていたヒトモシを更に抱きしめる。
ヒトモシもシャンデラと離れるのが嫌なのか、鳴きながらシャンデラにへしがみつく。
面倒くせぇ
ガリガリと頭をかくジン。おもむろに取り出したのは黒を基調としたボール。イッシュ地方では見たことの無い珍しいデザインのボールだ。どこでそれを手に入れたのだろう?気になる少年だが、その傍らでボールを見たシャンデラが騒ぎ出したのだ。
「デラッ!デッラッ!」
ボフンボフンボフン!揺れる炎はどう見ても怒りをあらわしている。
そしてヒトモシを抱きかかえたまま少年の真後ろへと隠れてしまった。少年越しに何やら文句を言っている様子。ヒトモシも意図を感じ取ったのかシャンデラと共に鳴き声をあげ抗議する。
デラデラ!モシモシ!
少年にはチンプンカンプン。
え?なに?どう言う事?ただ慌てふためくしかない。
その様子にカチリと歯を鳴らしたジン。目つきは変わらないものの、めんどくさいなお前ら。と言わんばかりの表情だった。
『てめーらで決めろ』
「え?!」
状況が理解出来ない。目の前で勝手にやりとりしては、シャンデラ達が自身の後ろへと隠れ始めた。
流れて的に見てジンの持つ珍しいボールに、シャンデラが戻ることを嫌がっているとしか分からない。そんなにボールの中がいやなのだろうか?
『どうしたい?』
「デラ!」
「わっ!」
後ろに隠れていたシャンデラがぶつかってきた。いや違う。すり寄ってきたが正しい。
グリグリと体を少年の背中へと寄せては、ひっきりなしに鳴いている勿論ヒトモシも。
「なに?どう、したの?どこ…か、痛いの」
『そのままの意味だ』
「え?」
『私の元に居るより、君の所に居たいんだとさ』
「!!」
まさかの展開だった。このままヒトモシをジンが引き取り、少し会話してサヨウナラ終わりではなかった。
先ほどジンは手持ちを増やすつもりはないといった。流れ的にヒトモシは自分が預かる。と思っていたが、まさにシャンデラまでとは考えて居ない。
本当に僕の所に…?
恐る恐る静かに振り返れば、シャンデラとヒトモシが頷く。
ヒトモシに至っては少年へと飛び移り、キャスケット帽へとしがみついた。頭上で喜ぶヒトモシに少年も釣られ口元が緩んだ。
嬉しいのだろう。純粋に。
が、それはほんの一瞬見せた緩み。
間をあける事なく沈み始めた少年は、鍔越しにジンの顔を伺う。
「でも、あのっ、僕、ポケモンバト、ル弱い…です」
『…………』
それでもいいの?
人によってポケモンへの認識は異なる。
パートナー、家族、友達、親友、相棒。ポケモンと隣に立ったその瞬間、人はポケモンに対してどう思うか異なる。
ポケモントレーナーを目指す人ならば、ポケモンを相棒とよびバトルに明け暮れる毎日。
ポケモンブリーダーならば、パートナーとしてそのポケモンが持つ最大の美を引き出す為共に練習へと励む。
少年が目指すものはポケモントレーナー。つまり、共に激戦をくり抜ける存在相棒。
キャスケット帽に乗っていたヒトモシが鳴いた。
なに?
ゆっくりと帽子の上から退かし、両手で支えてやればその中心で何やら意気込むヒトモシの姿。
小さな手を力強く握りしめるその様子に、少年は目を丸くする。
『バトルが下手や負けるなんて話しは当たり前に存在する。絶対的強さなんてもんは、存在しねーよ』
「………どう、したら…強くなれ、ますか?」
『バトルの数を重ねろ』
「………それだけ?」
『それだけだ。
結果は自ずと付いてくんだよ………』
後は………
モシモシ!
ヒトモシが再び鳴く。小さな体で小さな手。しかし瞳宿す色は暖かく意気込んだ闘志を見せている。
任せろ!と言っている様にも聞こえた。
「………うん!僕、頑張る!」
こんな僕だけど、宜しくね!
モシッモシ!
花が咲いた。
暖かな見えない花が咲いた。
意気込む未熟なトレーナーに、それについて行く小さな相棒。微笑ましいものだ。
『おい、これを忘れているぞ』
ジンが差し出したそれは先ほど見た珍しいボール。
もしやこれは………
「シャンデ、ラの、ボール?」
『ああ、ダークボールと言って此処には無い遠い地方のボールだ』
偶々持ち合わせがこれしか無かったからな。
そう告げては強引に少年へとボールを渡す。そしてシャンデラへと向かい直れば、少年越しにシャンデラが再び威嚇し始めた。
『シャンデラ、てめーが選んだのだからちゃんと言う事を聞けよ』
「えっ…と、宜しく、ね!シャンデラ」
「………………」
プイ
そっぽを向いたシャンデラ。ジンに対してならば分からなくもないが、少年にすら懐く気配は無い。
ジンと一緒にいるよりかは、バトル経験の浅いトレーナーのほうがマシだと言っているようだ。
わがままな奴め
デラ!デラ!
ポツリと零したジンの台詞。それを拾い上げたシャンデラとジンが再びにらみ合いを始めようてした時だ。
腰に巻いている黒白のマントが引っ張られる。
何だと視線を下ろせば、ヒトモシを抱えた少年がジッと此方を見上げている。
「あの!お…お礼、ま、だしてない………」
『あ?……ああ』
「ホームの事故、助けてくれて、あ、ありがとうござい、ます!」
『…………ああ』
顔を上げれば、どこか明後日の方角へと視線を泳がせるジン。
ありがとうを言われた事がないのかな?ちょっと照れくさそうなジンに、堅苦しく怖いイメージが少し崩れていくのが分かった。
『一時的にギアステーションの駅長代理をしているジンだ。宜しく』
「僕、は、ホドモエシ、ティのノボリ!………ぁ……」
ノボリと名乗った少年が自己紹介をした所で、何かに気付いたのか何やら気まずそうに小さく伏せた。
なんだ?
と声をかければ、ノボリは小さくごめんなさいと零した。
「僕の名、前知ってまし、たよね…線路内で、呼んでくれた、から………」
『ああ…………そうだったな』
「ごめんなさい」
『…なぜ謝る?』
「…………」
ノボリは答えなかった。
ただただ静かに、ヒトモシを抱きしめたまま黙り込んでしまう。
同時にジンの唇が僅かに動き、何かをつぶやいた。が、言葉を発しないそれをなんと言ったのかはわからない。
どこか重苦しい空気に、ヒトモシは小さく傾げシャンデラが可笑しな2人を静かに見つめていた。
了
121126