人気のない資料室。床と天井を繋ぐかのようにまっすぐ伸びるのは、埃まみれの棚達。電気を付けて一歩踏み入れれば、ちらつく埃が視界を埋め尽くす。ギアステーションが過去に残した古い資料室。
其処に彼は座っていた。
無造作に転がっているダンボールを寄せ、静かに腰掛けボールを取り出したのが30分前。ボールから飛び出たポケモンにブラッシングを始めたのが20分前。と言う所だろう。
ツヤツヤな毛並みホクホクな表情をしたエモンガを、ジャッキーはニコニコと眺めていたのが10分前。
その数分後に、それは現れた。
『………』
「………」
ガラリと開かれた扉。開けられた空間の先から、廊下の照明が資料室へと僅かに入り込んで居る。
ダンボールに腰掛けていたジャッキーが硬直した。扉を開けて現れたその存在に緊張が走る。駅員でも、作業員でもない、駅長代理ジンだ。
右手には小さな端末機器。そういえば、彼の右手の義手はもう大丈夫なのだろうかと明後日な事を考え出した理由は、きっと目の前で起きた現実から逃避したいが為だろう。
何をしている?
あの鋭い眼差しを浴び、ポケモンのブラッシング部屋として密かに使っていた此処を諦めるしかないかと思った矢先だった。
『…………』
エモンガを撫でていたジャッキーから視線を外したジン。床を殴るかのような音をたて、室内へと入ってきた。
機器を弄り、棚の前へ。色とりどりのファイルの前で立ち止まる。
きっとなにか言われるに違いない。エモンガを頭に乗せ、彼はそろりそろりと出口へと……
『おい』
わかってました。はい。
疑問符を浮かべるエモンガを乗せ、彼はしぶしぶ立ち上がった。
「………はい」
此方と目を合わせる様子は無い。目の前に広がるファイルを眺め、腕組みをする。
『過去のサブウェイトレーナー履歴ファイルはどこだ』
ギアステーション内部でジャッキーが知らない事は無い。と言っても過言ではない位、彼は内部の事を知り尽くしている。勿論、資料の一つ一つも。
なぜ、過去の資料、しかもサブウェイトレーナーの?
「その棚にあります。紺色のファイルが去年のもの、赤色が一昨年のものです」
あれでも上司は上司だ。聞かれた事に答えた彼は、さっさと出て行こうとする。
休憩時間はまだ有るのだ。どこか人気の無い場所と言えば……
「………?」
違和感。
ジンにだ。答える事は答えた。人気のない場所へと向かう筈のジャッキーだったが、彼は足を進めず目の前に居る駅長代理を見つめたままだった。
そう、違和感だ。
ジンの目と鼻の先には色とりどりのファイル。ラベルは張られていないものの、赤いファイル、青いファイル、黄色に黒に白にオレンジと綺麗に並べられている。
その棚の中にあると言った、紺と赤のファイル。わかりやすい様、色ごとに分けられたそれは一目で分かるのだ。
が、ジンはそれに手をつけようとはしない。
ズラリと並ぶファイルを眺めているだけだ。
紺と赤のファイルはその棚に2つしかない。分かる筈だ。
だがジンは動かない。
なぜだ?
と、思っていた瞬間、機器を持っていない手が動く。ああ、なんだ、ただの考え事かと抱くジャッキーだが、その思いは直ぐに打ち消されてしまう。
「………駅長代理、それは緑色のファイルです」
『…………』
ファイルを傾け取り出そうとしたジンは、すぐさま指先で押し戻す。何も言わずにだ。
なぜ、関係ないファイルを?
「あの、紺と赤のファイルですよ?」
『……わかっている』
前髪が邪魔でジンの表情が見えない。
再び指先が動く。が、やはりジャッキーの言うファイルでもない。今度は白のファイルだ。
この人は何をしているんだ?
「えーぼ!」
「!」
エテボースだ。ガラガラと扉をあけたエテボースがやってきた。ジャッキーの隣を横切った際、エテボースが手を振る。すると、答えるかのようにエモンガが鳴いた。君たち、いつの間に仲良くなっていたの?
エモンガを見上げれば、柔らかい両頬を持ち上げ何やら鳴いている。どうゆう事だろうか。
「えぼ!えぼぼ!」
手よりも器用な尾が伸びる。棚の中から2つ。ジャッキーの言っていたファイルだ。エテボースはファイルを掴み一回転し、ジンへとしがみつく。
『こっちか』
歯切れ悪そうに零したジンが、赤を受け取れば直ぐさ開く。残りのファイルは、ジンの真似をしているのか意味なく捲り続けるエテボースの姿。
「あの…」
『え?ああ、そのまま続けて構わない』
いま、なんと言った?
続けて?構わない?今此処にいた自身は、一言二言ジンに言われても可笑しくない。なのに、構わない、だと?
「っ!駅長代理」
『あ?』
「僕、資料室に居たんですよ?」
『……お前、休憩中なんだろ?』
「でも普通は」
ジャッキーは言葉を詰まらせた。
自身の言った普通。普通とはなにか?周りの言う普通に自身は含まれているのか?
此処から出ようとしない異常な自身が、普通を語ってよいものか?
「…………」
恥ずかしくなった。出来ない事に対して、横からケチつけているかのような人間。自分が言っている事がそれに当てはまっているようだ。
『普通がなんだ』
ぼそりと零したジンのセリフに、彼は顔を上げた。
『くだらない』
「でも、周りはそう思いませんよ?」
『他人がなんだ、私には関係ない』
「陰口、言われてもですか?」
パタンとファイルを閉じる。
びくりと肩を揺らしたジャッキーは今度こそ怒鳴られるかも知れないと言う恐怖を抱く。が、エテボースが開いていたファイルを取り替え再び読み出した。
『聞いた事あるか?』
「………何を、です?」
『陰口言う奴の大半は、そいつに嫉妬する何かを持っているから。と言う話し』
『お前がもし陰口や他人の目を気にして、此処にいるのならば逆に考えろ』
彼らは、自身を妬んでいる。
と、
「妬む?」
『そいつ等には無く、お前にしかないものがあるだろ』
ピンと来た。
どの従業員でも知らない情報、知識、知恵。先代のサブウェイマスター達が彼だけにと、彼が此処に残り続けれるように教えた色んな事。そのおかげで自分はまだ此処に居られる。
自分は…
『禿げるぞ』
「?!」
誰がですか!
カッとなったジャッキーが顔を上げる。が、その表情が直ぐに固まる。
此方を見下ろすジン。
ファイルをクルリと回し、エテボースへと渡した。
『それでいい』
「……へ」
『大人ぶるガキ程、周りは気を使う』
覚えとけ。
ファイルを手放したジンがジャケットの中を漁る。
取り出したのは一つのタバコ。みたことの無いデザインのタバコだ。いつも吸っているのか、ケースを揺らせば乾いた音が聞こえる。
って!
「駅長代理!」
『あ?』
「此処で煙草吸わないで下さい!」
またそれか。
うんざりした表情だった。耳にタコが出来る位、聞き飽きた台詞なのだろう。だが、それを言われた程度で止めるジンではない。
どうでも良いと言わんばかりに、忘れ物と見られるコンビニライターを取り出した。
「受動喫煙です」
「まだ若い僕の肺を」
「汚さないで下さい」
ハイライトの無い瞳が見開く。
怒らせてしまったか?
恐怖がジャッキーの脳裏をよぎると同時に、ジンの口元が円を描く。
『上出来だ』
エテボースとエモンガが、同時に首を傾げた。
了
130515