「久しぶりノボリちゃん」
馴染みある太い声だった。言葉自体女性らしいものだが、声量や質はどうあがいても成人男性の勇ましいもの。
あの人だ。
パッと見上げればキャスケット帽越しに見えた友人、山男のゲンゴロウだ。
いつもの山登りする重装備ではなく、軽くベストを着た格好。相変わらずお腹は出ているものの、そこにダイブして良いと許しを貰っているのは少年ノボリだけの話し。
「久…しぶりっ!」
ノボリの視線に合わせようとしゃがみこんできたゲンゴロウに、少年は抱きついた。
ぎゅうぎゅうに締め付ける幼い両手に、彼はアラアラと笑みを零す。
「あの一件以来、あなたと連絡取れなかったでしょ?凄く心配したのよ」
「ごめ、んなさ…い。あの、時、ジンさっんが助け、てくれたの」
「ええ、その辺りはジンちゃんから詳しく聞いたわ」
大きくて大好きな手が、ノボリの頭を撫でる。
元気そうで良かった。
にっかりと笑った。
目を細め、暖かな台詞。
喉の奥底で何かがこみ上げ、とっさに抑えようとした喉がぐるると鳴る。恥ずかしい。
顔を伏せたノボリに、彼はある事に気付く。
「あら、新しいジャケット!買ってもらったの?」
季節にそぐわない薄手のパーカー。ノボリはそれしか着ていなかった。季節も季節だ。そろそろ自身が上着の一つや二つプレゼントしようかと考えていた最近、少年は始めてみる暖かそうなジャケットを着ていた。が、少しサイズが大きいらしく、首もとを覆うファーに顔半分が埋まっている。
「貰った、の」
「貰った?」
「ジンさんから。お客さ、んが忘…れていった、もので、取りに来る様子ないから、って」
此処は大きな駅である。旅行帰りや大荷物を持つ家族なんて珍しくない。きっと、子供に夢中でジャケットを車内へ、置いてしまった事に気がつかなかったとみえる。
色んな忘れ物が集まる此処だからこそなのだろう。
「でも、いいのっかな」
「うん?」
「忘れ物と言っても、勝手に使っちゃって……」
「ジンちゃんが構わないと言って居たのでしょ?なら、良いのよ!」
その言葉に安堵したのか、ノボリはうん、と小さく頷きファーの中へと潜り込む。よっぽど気に入ったのか、気持ち良さそうに目を細める。
「さて、久々に会った事だし、少しお茶しない?」
ライモンにいい雰囲気のお店があるのよ。
そう言って立ち上がったゲンゴロウだが、ノボリの顔色に優れないものだと気付く。
どうしたの?
顔を覗き込めば、少年は小さな両手で大きなジャケットを掴んだ。
「あの、ね。オレ、ゲンゴロウさんとお、別れしなきゃ、ならない」
「………お別れ?」
「しせつ、行くことになった」
しせつ、
しせつ、
…………
施設!
ハッと息を飲み込んだゲンゴロウが、ノボリの肩を掴む。
まさか、と零れた彼の小声に、少年は気がつく事無く静かに続けた。
「家の、事情」
「……ノボリちゃん」
「家の事情、なんですっ」
それ以上の事を語ろうとはしない。キャスケット帽が邪魔をし、ノボリがどんな表情をしているのか分からない。
脳裏をよぎるのは、ジンと交わしたある事。
彼は自身の中にある何かを掴み取る。
ノボリの肩に置いていた手を離し、変わりにその小さな手を包み込んだ。
「ノボリちゃん、施設にはあなたのパートナーはつれて行けないのを知ってるの?」
「!」
キャスケット帽の下が明かされた。
瞑らな瞳いっぱいに潤う雫。今にもこぼれ落ちそうだ。
「施設に行けば手持ちのポケモン達と、離れ離れになる事は聞いた?」
「っ!……知らな、い」
「施設ではポケモン達の面倒を見ることができないの。人しか居ない空間」
ノボリのポケットが僅かに震えている。ボールにいる少年のパートナー達だろう。少年と離れるのが嫌らしく、その振動は離れているゲンゴロウにまで伝わってきた。
「でも、でっも、母さんが!」
「お母さんが言ったの?」
再び伏せられたキャスケット帽。コクリと頷いた少年に、ゲンゴロウの中にある何かが確信へと変わった。
「なら、ノボリちゃんのお母さんに合わせて?」
「……?」
「私が」
あなたの面倒を見るわ!
だから、ね?
優しさを含んだ暖かな台詞。にっかりと笑うゲンゴロウに、我慢していた涙がこぼれ落ちるのは時間の問題だった。
震える肩に手を当てた。途端、小さな体が腕の中へと飛び込んでくる。
ぐずぐずと鼻を啜る小さな背中を、山男の彼は何も言わず撫で続けた。
包み込んだ体がやけに小さく感じる。同時にジンと交わしたあの言葉がフラッシュバックした。
* * *
「ノボリちゃんが!」
『何だ、気づいてなかったのか?』
「気付くもなにも、あの子は何も」
『ガキなんぞそんなもんだろ?いつ自分が切り捨てられるか分からない状況及び、頼れる存在が一つしかない。ならば、余計な事して自分の首絞める行為はしないだろ』
「だって…そんなの………っジンちゃん、あなた何故そう思っ…じゃなく、気付いたの?」
『話しを…』
「話し?」
『いや、何でもない。まだ雪が降るこの季節に、薄手のパーカーって言う時点で可笑しいだろ』
「確かにそうだけど……」
『………』
「ジンちゃん?」
あいつはーーー。
* * *
どこか可笑しいと……しかしこれは、自身の気のせい叉は深く考え過ぎではないかと思っていた。
何も語ろうとしない少年。語る気配のない少年。
それは、自身の日常を一切語ろうとしない。誰にも伝わらないSOSは、何故かジンの元へと伝わった。
自身に何かできないだろうか?
おせっかいだと言われる行動だと分かっている。だが、何もせずジッとして居られない。
自身が少年に出来る事を。
山男は背中をさすり続ける。
誰もいない、静かなホーム。
『パーカーの袖から変色した痣が見える。
どうみても、虐待だ』
ジンの台詞が繰り返される。
冷気を含む言霊が踊り回る。故にか、彼の脳裏から離れる様子はなかった。
了
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