鮮明な色合いを纏うそれは黒と言う単色と対峙し、人気のない冴えないベンチに座っていた。
微動だにしない小さな山は、ただただジッと座り込んでいるだけ。端から見れば地面を凝視しているようにしか見えないそれは、何をしているのだと気になるものだろう。
目的は当の本人しかわからない。
関わらないが吉か。
短くなった煙草を携帯灰皿へと投げながら、ジンは知らぬ顔でそれの前を横切った。
家に戻ってさっさと寝よう。日は変わってしまったものの今日も早いのだ。義手の専門家が来るまで、片腕状態で………
『……なんだ』
「……………」
ジンの真後ろに立つ小さな影。
設置された電灯が無ければその存在は黒に埋もれていたであろう。
先ほどベンチに座っていた少年。
少年はジンの背中を睨みつけている。手につかむことのできない眼差しを受けるも、ジンは微動だにしない。
『迷子なら交番いきな』
私は其処まで親切じゃない。
そう呟けば、再び歩き出そうと右足が前へと出る。瞬間。ジンの腰元から閃光が走った。
ジンの背中目掛けて走るのは別の閃光。あたる寸前でそれが間へと割り込む。
バチバチと火花を散らした何かが、ジンのコートを揺らす。
火花が弱まった。その瞬間を逃さない何かは、自慢の尻尾で左右へと振り払えば見事に散乱。地面を転がった火花は勢いある熱は奪われ、大人しく消えた。
「エボ!エボ!」
二本の尾を勢いよく振りかざしたエテボースが威嚇の声をあげる。
その先には一匹のデンチュラとボールを翳す少年の姿。
いきなりなにをする!怪我させるつもりか!と言っているのか、怒りを露わにしたエテボースは公園のコンクリートをふむ。毛を逆立て、揺れる二本の尾は自身を大きく見せているかの様だ。
しかし、その声はデンチュラと少年には届いていない。
少年はただ静かにジンの背中を睨み、デンチュラは少年の指示を待っているのかピクリとも動く気配はない。
「取り消してよ」
『…………』
コートの左ポケットに手が伸びる。内部を一通り漁り終えたそれは、一本の煙草を掴んでいた。唇でくわえ再びポケットの中へと伸び、出てきたライターで火をつける。
小さな肩が震える。焦る様子のないジンにイラついたのか、少年は怒りを露わにした。
「取り消してよ!僕に言ったあの言葉を!」
デンチュラのエレキネットが飛んできた。吐き出されたネットは電気を帯びエテボースを狙う。
一瞬怯んだエテボースだが襲いかかるエレキネットを見やれば、不適にニヤリと笑う。否やその場で一回転。
空気を殴りつけた二本の尾がブンと鳴る。そのまま回転。グルグル回ったエテボースにエレキネットが見事当たった。
バチバチと暗闇の中で輝くエレキネットは眩しく、つい目を閉じたくなる。鮮やかに輝く技は真っ暗な公園の中で存在を主張。
当たった!
ガッツポーズを決めた少年は、たたみかける様にデンチュラへと指示をだした。
デンチュラ!いまだよ!
暗闇に浮かぶ鮮明が叫んだ。響き渡る声は勝利を確信する。
だが、少年が抱いていた未来図と異なる何かが起きた。
「デンチュラ?」
デンチュラが動かない。
黄色い体毛に覆われた少年のパートナーは、電灯の明かりを浴びたまま動かない。ピクリとも、まばたきすらしない。
デンチュラ!
少年がパートナーの名を呼ぼうも、反応はしない。
暗闇の中で僅かに輝いていたそれが動く。回転を止めたエテボース。絡まっている筈のエレキネットが見当たらない。すると、長い二本の尾が左右に揺れ動くのが見えた。
が、エテボースはすぐさま尾をコンクリートへと叩きつける。
エレキネットだ。
デンチュラが放ったエレキネット。どうやらそれは回転していたエテボースの尾に当たっていたらしい。否、尾に当てては体中に巻きつく事を回避した。だけでは終わらない。尾に張り付いた技を少年にバレない様にと回転で隠した。足止めとして活用される技に少年は勝ったと思い込んだのだ。回転しつづけ、技を放ってこない相手に。
投げ捨てられた糸は儚く、まるで布切れの様に静かに地面へと広がる。
笑った。
エテボースが、少年の唖然する姿を見て。
技を受けたと言うのにも関わらず対峙する相手は、小馬鹿にするかの様。
『私は取り消さない』
二本の尾を揺らす肉塊越し。それは鮮明へと言葉を投げる。
『エテボース、帰るぞ』
薄暗い世界の中、煙草に灯された火が後退する。
鍔越しに見えたジンが動く。
バイバイ。
少年にはそう見えた。左右に小さく振られた手。ジンの左手。
少年は眉を寄せる。
なに?
刹那、影が倒れた。
ぐらりと倒れた影は少年の思考を攫う。グシャリとコンクリートに横たわる。ピクリとも動かない。まるで生きていないかの様。まん丸瞳が見開かれる。
なにが起きたか理解できない。分からない。どうしてデンチュラは倒れたの?
少年は目の前で起きた出来事に、頭がついていけない。
「エボ」
エテボースが鳴く。ふと顔を見上げれば、再び笑ったエテボースと目があった。自身より格下だと言わんばかりの色の瞳。普段と異なる口元の歪んだ笑み。
ああ、馬鹿にしているのだ。
少年を。
それくらい少年にだって分かる。
目の奥がビリビリし、熱くなった。
胸の奥底から湧き上がる何かが体中を支配し、ムカムカした感情が少年を支配する。しかし、同時に体中を支配する疑問に思考が回らない。
なんで?なんで?可笑しいよ?どうして?
分からない事全てが頭の中をぐるぐる回り出した。
『自身のポケモンの体調すらも管理できない餓鬼が…』
てめーにポケモンを持つ資格はねーよ。
ゴツリと足元から上がった鈍い音。
冷たい風が公園の枯れ木を揺らす。左右へと共に揺れた長袖、裾、そして冴えない髪の毛。
ゴッゴッ、ゴッ、
確実に自身から遠ざかっていく相手。
とっさに顔を上げた先には、黒に溶け込む寸前の背中そしてそれを追いかける一匹のポケモン。
止めようとした。
立ち去るジンを。
駆け寄っては力いっぱい足を止めてやる。という思考は、横たわるデンチュラの姿を視界に捉えた途端に消え失せた。
未だに動かないデンチュラ。
この公園に来る前までバトルしていた相棒。少年の命令に従い背く事なく、片っ端から相手ポケモンを倒しまくっていた筈のデンチュラ。
父親から貰った初めてのポケモンで、日が変わってしまった昨日バチュルから進化した少年の相棒。
スクールでもポケモンバトルのセンスが良いと言われた。
素晴らしいバトルセンスだ!
ジムリーダーも夢じゃない!
少年へとかけられたいくつもの言葉は、スクール内にてポケモンバトルトップクラスに入る少年に相応しいかった。
だが、ジンはそんな少年へとある言葉をかけた。
少年を傷つけたのは言うまでもない。
ジンに言われた台詞が悔しかった。
悔しい。見返してやる。そして思い知れ。
そんな思いで今日一日中バトルを繰り返し、デンチュラへと進化した。
これで勝てる。勝てる筈だったのだ。だが、勝敗以前に、少年のデンチュラは勝手に倒れる。
バトルを放棄したわけではない。少年の命令に背いたわけでもない。
ならばなんだ?
力尽きた。
瀕死状態。
いまのデンチュラに当てはまる言葉だった。
先ほど他のトレーナーとバトルし終えたばかりだった。
丸一日バトルを続けていたデンチュラの体力は限界に到達していのだ。しかし、少年はそれに気が付く事なくジンを待ち構え、一方的なポケモンバトルを仕掛ける。も、立つ事すら出来なくなったデンチュラは、勝手に倒れた。
管理が行き届いていなかった。
まだバトルが出来ると思っていたのだ。
ボールへと戻す前に、デンチュラが少年へと向けていた眼差しに気が付かず。
次はあの人だと………
結局は自滅。
ジンの言葉通りに。
「……………」
倒れるデンチュラへと近づく。
静かにしゃがみ込み、ふさふさした大好きな体毛を撫でる。
触れた指先から感じる何か。トクトク、トクトクと感じるそれはデンチュラの鼓動。
ちゃんと生きてる。
安堵した少年は安心したのか、小さなため息をはいた。同時である。
「………」
「デンチュラ?」
気絶していたデンチュラが動いた。
違う。動いた様な気がしたのだ。
デンチュラの顔を覗き込めば、光の薄い瞳が僅かに開かれる。こぼれ落ちそうな程の大きな瞳が大好きで、いつも覗き込むその瞳。しかしいまは半分しか開かれず、透明な水晶玉が弱々しく電灯の光を跳ね返す。瞳に映り込む幼い少年の姿。
ゆっくりとデンチュラがまばたきをする。弱々しく開かれた瞼。先ほどよりも小さいながらもデンチュラの瞳は少年を捉えた。
小さく小さく鳴く。
デンチュラの鳴き声。
しかし、どうしてだろう…?少年にはこの鳴き声が泣き声に聞こえてしまった。
揺れる瞳。
ごめんなさい。
まるでそう言っているかのよいに、見えて、聞こえて、感じて………
刹那、胸のずっと奥底が何かに押しつぶされる。
同時に心臓を締め付ける見えない糸が少年を苦しめた。息がし辛い。押し潰す息苦しさ、酸素を求めるも見えない茨が締め付けてくる。
うずくまった。
パートナーの体の中へと。
なぜ突然息苦しくなったのか?デンチュラに触れ、視界へと捉える度に涙がこぼれ落ちそうになる。
胸に当てられた指先が震えた。言うことを聞かない両手は小刻みに震え、海の底にいるみたいに少年が映す世界は不安定で揺れている。
鼻の奥がツンとして、なは水が出そうになった。
何となく……、何となくではあるが気付く。
息を飲み込んだ。
未だに震える両手でボールを支え、掲げる。開閉スイッチを押せば、赤い閃光がデンチュラを捉えた。
瞬く間にボール内へと飲み込まれたデンチュラ。
普段なら外に出たいと主張するボールは、世話しなく左右へと揺れる。しかし、今は其れがない。
更に苦しくなる。
グッ、グッ、と静かに突き進んでくる分からない感情。歯を食いしばっては、其れ以上進ませまいとする。
力のこもらない足に重心をかけた。
一気に立ち上がった少年。顔を上げればやはり、其処には誰もいない。黒を拒むようにある一定間隔で灯された電灯の光。
ジンの姿はどこにも無い。
今はそれどころじゃない。
今は………
グッとボールを握り締める。
少年は振り返る。ジンが立ち去った方向とは別の方角へと。力の入らない右足で踏み込んだ。
目指す場所は一つしかない。
「…センターに」
小さな影が走る。
黒く、黒く、光を飲み込む黒へ。
鮮明が小さくなってゆく、モノクロな世界の中でゆっくり、ゆっくりと
小さくなってゆく。
了
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