エテボースとポワルンが鳴く。
同時に感じた冷たい机の感触に、集中していた意識が途切れた。は?と眉間にシワを寄せたジンは、そこに有るべき物へと視線を傾ける。が、想像していた白い山は何処にも見当たらない。
顔を上げ、机に顎を乗せていたエテボースと目が合う。
あれはどこにある。
そう言ったかのようなジンの視線。エテボースもそれを読み取ったのか、首を横へ振っては答える。
横。
つまり否。
書類がないと言う事。
そんな馬鹿な。いつもならば明日までかかるだろう、積まれたシロガネ山がジンの机周りを埋め尽くしている筈。それがないだと?
一瞬脳裏をよぎった意図。送るべきそれをギリギリに渡しに来るのでは無いかと考えてしまった。
更に眉間にシワが寄る。
アイツ等………ウィンディを連想する歯、鋭いぎざっ歯が顔を覗かせた。
だが、再びエテボースが鳴く。
内線用の電話をとりかけたジンが視界に捉える。
なんだ。そう言わんばかりな視線だが、エテボースを尻尾を揺らし再び鳴く。
普段笑っている口元が更に笑っていた。
二本の尾が揺れ、何やらご機嫌である。
やっとそこで、ジンは理解。耳と肩で支え、内線番号を押そうと考えていた思考は一気に打ち消された。
やっぱり、そう言う事か。
舌打ちを一つ。電話を元の位置へと戻し、時計を見上げる。時刻は4時過ぎ。そろそろ帰宅ラッシュを迎える時間帯だ。
普段この時間帯であれば書類の山を置き去りにしバトルトレインホームへと向かい、帰ってゆくトレーナー達を見送る場へと着いている。が、この腕だ。
表向きでは骨折と言った所で、腕の一本ない人間のどこが骨折だと騒ぎになる。噂と騒ぎは不安定な人の波を縫い、スクープと言う残飯を探し回るバルジーナもといマスコミに流れ着く。
それを避けるべきにギアステーションの表に立つことが出来ない。
では、いつも通りに大量の書類を処理してやろうと意気込んだ所で、それすらないのだ。
「…………」
はぁ…。
椅子の背もたれへとのしかければ、錆び付いた悲鳴が上がる。
此処最近書類の量が少ないのだ。いや、多い事には変わりが想像していた量より少ない。
今回の件もあり、普段の数倍を予想していた。家にいる彼らにも遅くなると伝え、先に休むようにと指示も出している。が、普段帰宅する時間より一時間程度遅くつく位と言う予想外な出来事。
きっとアイツ等の事だ重要書類の中に、どうでもよい物を十枚叉は二十枚ほど入れているだろうとペンを取った。が、目を通せどどれも大切なものばかりで、以前自身が書いていた嫌がらせ書類の類が全くない。
忙しくなると同時に一本しかない腕を思い、此方へと通す書類を減らしたか……はたまた……
『(彼女の件もあるのか)』
先日、いきなり現れた彼女。学者と言う事もありシンオウ地方をアチコチ歩き回っているかと思っていた。しかし、こんな遙々外国であるイッシュに来るとは思っても居なかったジン。
あと数年、落ち着いたら此方から連絡しようとは考えていた。
以前、ジンへと連絡をくれた彼は、ちゃんと連絡しなければ昔のように彼女が何をしでかすか分からない。なんて台詞流してはいたが…
まさか本当に来るとは思わんなんだ。
その様子をどこかで見ていたのか、何かと伺っては探る従業員達がうるさくて仕方ない。
何度も何度も親族だと説明するが、彼らは不満げな声をあげる。いや、彼らと言うより彼女らと言うべきか…。
浮ついた話を好む女性従業員は、事ある毎に先日の彼女との関係を聞いてくる。
その目の色は十人十色。何を考えているかなんて、想像もしたくない。
彼女らから逃げる口実に、書類はうってつけなのだが………。
色気(いろあい)のない室内を見渡す。
求めているものが何一つない。
先日のように彼女がこの場に居れば、何かと時間が潰せるのだろう。が、彼女には彼女の仕事がある。丁度自身が住んでいる家(でよいのだろうか)には、空いた空間がいくつか存在する。高いホテルに泊まるよりかは、ジンの家を使った方が安上がりだ。
殺風景なあの家に人が増える。たったそれだけでも手持ち達は多いに喜んだものである。
相手があの彼女ならば尚更。彼女から離れず困らせているかも知れない。
あぁ、今日もさっさと帰ろう。
内線用の電話を取り、挟んでは支える。事務室用の番号を押してやれば、聞き慣れたコール音が鼓膜を揺らす。3回、4回と鳴らせど、なかなか出ない辺りきっとバタバタしているに違いない。
ふと、視線を感じたジン。
机に顎を乗せたエテボースが、前髪に隠されていない隻眼を見つめる。
眉が少しよっている。眼差しの中から感じ取れるそれは、「明」ではない「暗」から連想するもの。
いつもならせわしなく動いている筈の尻尾が動かない。
エテボースの頭にポワルンが座り込む。ジンへと向ける眼差しは同じで、二匹とも何かを訴えているようだ。
『………』
目を細めるジン。未だにコール音は鳴り続け、相手を呼び出し続ける。
エテボースとポワルンが何を伝えたいのか何となく分かった。
せっかくできた暇。それを自分から潰しに行く姿が嫌だとみえる。此処最近、ポケモン達に構ってやる時間があまり無いのは、気のせいではないだろう。
余ったこの時間を自分達に配って欲しい。つまり、相手をしろと言う事だ。
エテボースとポワルンを視界から外す。
同時、やっと出た事務員がお決まりのフレーズを並べる。少し息切れしているのは気のせいでは無いだろう。
『駅長代理のジンだ。残りの書類を取りにいく。用意しとけ』
<!……いえっ、しかし、それらの書類は他の従業員へと渡しますので、駅長代理は休んでいて……>
『そう言うもんは分担した方が効率はよいだろうが。変な気を回す必要はねぇ』
<し…しかし、駅長代理未だに腕が……>
『んな事は関係ねーだろうが、エテボースを今向かわせるから準備しとけ』
一方的に繋げた電話を、再び一方的に切らしたジン。ガチンとはまった電話から視線を逸らし2体のポケモンへ。
電話かける前よりも険しくなったその表情、笑いがこぼれ落ちそうになる。
『そんな顔するな、ほら、エテボース行ってこい』
「………エー」
『構って欲しいんだろ?だったら早くいけ』
疑問符を浮かべ、首を傾げる。
なんで?どういう意味?と言っているようなその間抜け面に、ジンは鼻で笑い扉を顎でさす。
『他の仕事が終われば、今日だけじゃなく明日もしかしたら明後日まで暇になるかも知れないな?』
背もたれへと深くもたれるジン。
そこで漸く意図を理解。暗い表情をしていたエテボースは、弾かれるかの様に駅長室を飛び出した。
未だに分からないと、ポワルンはジンを見つめる。
遊んでくれないの?
そう言っているかの様な視線手で振り払う。
作業するから邪魔をするな。
机を片付け始めたジンの姿。
ケチ!まるでそう言ったかのように鳴いたポワルンは、ジンの頭へと移動しのしかかる。
グリグリとのしかかるポワルンに、うぜー、と小さくこぼしたジンだった。
了
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