タタン…タタン。
タタタン…。タンタタン。
明らかに水音と異なる何か。まるでリズムを刻むかのように静かに鳴り響くそれは、確実に少年達が居る場所へと近づいている。
タタン。タタタン…ダン。タダンダン。
同時に軽やかに聞こえた何かは鈍い音を含みだし、深く踏み込む振動が水面に波紋を生み出す。
ダダダン!ダン!
ダダンダダダダダ!!
迫り来るのは恐怖。
小さな波紋は音が鈍く深く鳴るにつれ大きくなり、先ほどまで勇気付いていた少年の気持ちをガリガリと削りゆく。
ダン!ダン!と更に鳴り響けば、柔らかな唇から零れる悲鳴。ヒトモシを抱える力が強まり、その恐怖もヒトモシに伝わっているのか無意識に少年へしがみつく。
ギアルが守るように一人と一匹の前に現れ、見えない相手にギアを激しく擦りあわせ酷く威嚇する。
おさまる様子の無い鈍い音は、此方に気づいているのかまっすぐ向かってくるのが空間に伝わる振動でイヤでもわかる。
怖い 怖い
怖い
怖くて足が竦んでしまう。
先ほどまで動こうとしていた足は新たな恐怖により、すぐさまスタート地点へと逆戻り。
それを知らない相手は遠慮なく此方へ向かってきていた。
ダダダン!
ダンダッ!
ダダダン!
ダン!
ハッと少年は目を見開く。
見えない恐怖が止まった。
「…………………」
響かせていた振動はジワジワと揺れながらも緩やかにおさまり、嫌な静けさを一帯へと生み出す。
いきなりシンと静まり返る空間が気持ち悪い。
少年はヒトモシを抱えながらグッと息を飲み、後ろへと後退した。
動くと同時に広がった波紋がジワジワと広がってゆく。
一歩また一歩。ゆっくり後退していく度に緊張が走る。
早くここから移動しないと。
体を支配する恐怖から逃れるようにバレない様に距離をはなして行く。
急げ…
急げ……
そんな思いが少年の全てを満たしていた時である。
水中にて黒い何か己の存在を主張。
何だろうと目を細めた少年が、少し身を乗り出したその時にそれは起きた。
いきなり立ち上がった水柱。
激しい水音と共に飛び出してきたのは黒い塊。
シルエットを描き飛び上がった塊の何かがキラリと光る。
攻撃的な感情を含んだそれは少年を激しく睨み、隠されていた牙をさらけ出す。
見た事がある。
魚の様なシルエットながら、どんな環境にでも適した体となり住み着くことのできるポケモン。このポケモンは……。
「バスラオ?!」
薄暗い空間でもわかるそのシルエットは、はっきりと少年の瞳へと映り込んだ。間違いない。バスラオだ。
何故こんな地下鉄に……!
人工的に作られた空間に野生のポケモンが居るはずがない。
寧ろこの地下鉄はポケモンが住める環境ではない筈、だ。
いきなり現れたバスラオに少年は目を見開くしかない。しかし、現実は待ってはくれない。
水面から現れたバスラオは鋭い牙を剥き出しにし、少年へと襲いかかってきた。
勢い良い飛び出すバスラオに、少年は頭が追い付かずギアルに指示を出せない。
ギアルも少年同様に今起きた出来事に、どう対象すれば良いか分からず硬直するしかない。迫る攻撃は止まらずまるでスローモーションの様に感じられる時間。
鋭いあの牙に噛まれる。
ヒトモシを抱えていた腕に力を込めた時だった……。
「……ルッバ!」
何かの鳴き声が少年とポケモン3匹の耳へと届く。
同時に視界を駆けた黒い影は、目にも止まらない速さで姿を捉える事が出来ない。
しかし、突如として現れた影は襲いかかってきたバスラオの頭上にと着地するなり、落下速度を利用して水面へとバスラオを叩きつけた。
激しく叩きつけられたバスラオは水しぶきを上げ、大きな波紋を広げては水中へと沈む。
間近にいた少年とギアルへと飛び散る水の雫は、バシバシとその体へと叩きつける。とっさにヒトモシを庇うように背を向けた少年の背中へ、容赦なく叩きつけられる水の粒。
「っ…ギアル!大丈夫!?」
パートナーが居る方向へと振り返れば、シトシトと浴びた水を滴らせるギアルの姿を捉える。
金属音を鳴らしながらも、降りかかった水を払うように上下左右に動く姿からみてどうやら無事らしい。
同時に庇ったヒトモシも水を浴びてない事から、二匹ともこれと言った異常がない様子に安堵する。
ホッと胸をなで下ろした少年だが、すぐさまバスラオがいた方へと振り返る。
今何が起きたのか分からない。
先ほどまで自分達は野生と思われるバスラオに襲われかかっていた。
しかし、突然現れた何かがたった一撃で、バスラオを沈めてしまう。
薄暗い空間の中、収まらない波紋の上に何かが佇む。黒い黒い塊。
何声はまったくしない。ただ、騒ぎ立てる波紋に身を預けるかのように…いや、此方の様子を伺っているのかも知れない。
とりあえず言える事、それは自分達を助けてくれた何かが其処にいた。
と言うしかない。
……ポケモン……だよね?
自分達を助けてくれたと言う事は、誰かトレーナーのポケモンの可能性が高い。助けにきた救助班のポケモンか、或いは従業員の手持ちか……どちらにせよ助かった事にはかわりはない。
「ね…ねぇ、君!君は……誰かの『誰か居るのか?!』……!」
体の緊張が一気に抜けた。
少年の耳に届いたのは紛れもなく「人」の声。
釣られるかのように影が佇む逆の暗闇へと振り向いた。
同時にバシャバシャと水を蹴り上げるかのような音。
暗い墨一色の世界の中で浮かび上がった淡い光に腕と共に喉が震えた。
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