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真後ろから聞こえたのは水音。
緩やかにそして時間を感じさせるかの様な穏やかな水音。とは真逆な激しい水音。
水上へと浮き上がった弾けるような水音は、バシャバシャと粒を飛ばして現れる。
同時に感じたのは何かの気配。
第三となる存在。
ジンでもなく彼の手持ちキングドラ、ランターンでもない。そして少年自身のポケモンではない他の存在と言えば?



バスラオ



そんな単語が脳裏をよぎった瞬間、目の前の彼が自身の名を呼び、叫んだ。

ハッと息を飲み込んだ時にはジンが自身の肩を掴んでいた。ギッと悲鳴を上げる肩にいたっ!と声を上げる。
が、耳を塞ぎたくなるような何かが軋む痛々しい音。
ギチギチと嫌な音が鼓膜を震わせる。

誰から?

目の前の影から。
目の前の影が翳した右腕から。
噛み付くバスラオと少年を庇うように差し出した右腕から。

目を見開いた。

あのジンさんが、自身を庇ってくれた。せり上がって来る声が止まらない。
歯を噛み締めバスラオを睨み付ける一瞬が瞳に映り込んだ。

「ジンさん!」
彼の名を呼ぶ。が、次の瞬間、


響き渡ったのは

何かが砕けた音。








「え?」




瞬きなんて一秒もかからない。
一瞬過ぎるその瞬間に起きた出来事に、少年の思考回路が停止した。

少年を庇うように差し出した右腕は、襲ってきたバスラオが激しく噛み付く。
が、それはただの「噛み付く」で終わらない。
込められた力は一気にジンの右腕を挟み込み、ジンが何かを紡ごうとした刹那生々しい骨が砕ける。

メキ!ミシミシ!そしてバキン!

と……!
初めて聞いた骨が噛み砕かれる音。
ゆっくりと刻まれるかの様に感じた空間。バスラオに食いちぎられた右腕とジンの体が傾く。不安定な弧を描いた右腕が、つい先程まで繋がっていたであろう箇所から黒い雫を撒き散らす。
透明な水へと落ちてゆく黒い雫はパタパタと水音を上げる。

食いちぎられた事により生まれた衝撃を、バランス崩したジンは受け止める事も流しきる事も出来ない。
ただ流れに従うように水が浸かるその中へと崩れ落ちる。

黒と透明。

飛び散る雫が目の前の少年の視界を跳ね回り、数滴の黒が頬に付着した。

黒のまだら模様のような視界に少年は目を見開く。しかし世界は止まらない。
唖然とする存在を取り残すかの様に、カラカラ笑う時はその我を失った狂気を翻弄する。

右腕を失ったトレーナーを横目に、次の獲物へと的を絞ったそれは誰でもない少年自身。
酷く混乱しているのか、目が血走り激しく此方を威嚇しているのが見える。時折零れるのはバスラオの歯軋り音。

次はお前だ。

そう口を開き鋭い牙が顔を覗かせた瞬間、少年は後退りし振るえる喉に両手を当てた。
遠くでキングドラとランターンがバスラオを威嚇する。しかし、興奮状態のバスラオには届いて居ないのか、此方から目を離そうとはしない。

カチン、カチン!

と、恐ろしい牙が噛み合わさる度に、少年を縛り付ける恐怖に体が動かない。
体が震え零れそうになる悲鳴を堪える。


誰か、助けて


されど、誰の助けも来ない。
潤む視界に映るバスラオ。
牙を剥き出しにし、ゆっくりと刻んだまばたきの向こう側。
其処には視界いっぱいに埋め尽くされるバスラオの口内に、少年はただこの数秒後に迎えるだろう末路に頭が真っ白になった。




声も、体も、
全ての機能が停止したかのように。







『れいとうビーム!』


鼓膜が震える。
見えない衝撃波が少年の体を突き抜ける。
しかしそれよりも早い何か。冷気を凝縮した何かが自身の真横から発せられた。
勢いの良い冷気は襲いかかってきたバスラオに命中。効果今一つかと思うものの、その体を遠くの線路へと吹き飛ばしてしまった。
勢いを失わないバスラオはただただ身を任せるだけ。
バチン!と打ちつけられたそれは気を失い、ペシャリと一はねしては目を回す。其処で少年はバスラオが打ちつけられた壁を目にし驚いた。
まるで氷河を連想させる大きな氷の壁。
氷ならではのトゲトゲしさが露わになりながらも、人を惹きつける輝ける美しさを醸し出す。
同時に氷越しに見えるのは、半開きのシャッター。

ああ…、そう言う事か。
少年は理解する。
同時にポツリと頬へと落ちてきた何か。後を追うようにポツポツと降り出したそれは、すぐさまホーム内を飲み込み小さな雨を降らせる。

静かに振り向く。


真後ろに居た一人のトレーナー。
線路内を侵略する水に浸かり、ポタポタと水を滴らせたその人物は少年へと言葉を投げた。

怪我は無いか?と。
右腕をごっそりと取られたその人物。止まる気配の無い黒い雫は、落ちる度に水面に広がり透明な水を浸食する。
明らかに血管や骨では無い何かが顔を覗かせた。ぶらりと露出されたそれは電気色とりどりの配線コード。時折パチリとなり行き場の無い電気が、千切れたコードの先で火花を咲かせる。そんな人物が目の前に居る。瞳に映し出した瞬間、先ほどまでパニックになっていたあの状態が嘘の様に感じる。嫌に落ち着いた自分がこくりと頷くのが分かった。
怪我が無いと安心したそのトレーナーは自身の背中にしがみつくポケモンに苦笑を浮かべた。


『ニョロトノ、私は大丈夫だから』

それでも更にしがみつくそれはニョロトノ。ぴょこんと伸びた触覚が揺れる。

同時に悲痛な鳴き声をあげるニョロトノに、この雨はこのポケモンのものらしい。と脳内で呟くのが聞こえる。

遠くでバタバタと騒がしい音が聞こえてきた。

それはホームの階段から。オレンジ色のジャケットを来た職員達がやってきた。ホーム内に降り注ぐ雨に驚きながらも、無線で何やら連絡を取る。そして線路にいる二人に気がつけば、救急用具を広げるのが見て取れる。

「駅長代理!遅れてしまい……」

線路内を覗き込んだ職員達の顔が青ざめるのがわかった。
千切れた右腕から滴る黒い雫。それが血ではないと理解するものの、絵的には宜しいものでは無い。
グッと顔をしかめる職員の表情に、少年の胸の奥で何かがくすぶる。無意識に動いた唇が何かを紡ごうとした瞬間、いきなり首を締め付けられる。
少年は状況に理解出来ず、モガモガと暴れ出すも体は宙に浮き職員の腕の中へと放り投げられた。


『私はいい。その子を先に診ろ』

「は!はいっ!」


真上からゴクリと唾を飲み込むのが聞こえた。
抱えられた少年は直ぐに近くの職員の元へと連れられ、暖かい毛布を肩から掛けられる。
静かに降ろされては痛い所は無いか?打ち付けられた箇所はあるか?暖かいモノを飲むか?とひっきりなしに飛んでくる質問に、ただただ静かに答えてゆく。


「おい………アレ」



後ろにいた職員が呟いた。

チラリと職員越しに振り向けば、一人の清掃員に引っ張られながら線路から上がったジンの姿が見て取れる。

キングドラとランターンをボールに戻し、清掃員と何やら言葉を交わし受け取った一枚のタオル。それを未だに黒い雫を滴らせる右腕へと巻き付ける姿が見える。きつく絞めたのか黒い雫がピタリと止まるも、衣類に染み付く染みは良い印象を持たせない。
恐る恐る近付く駅員に、ジンは手を振ってあしらう。
すると、懐から出した無線機で何やらやりとりをし、急いで階段へと向かっていく。

ジンが居なくなった途端、ざわざわと騒がしくなったホーム内。

自身の周りではジンの事について言葉を交わす職員で埋め尽くされる。

「見たか?さっきのあれって」
「義手だよな…初めて見たけど」
「多分あれオイルだよな……何だか」



-気味が悪い-





囁かれた言葉に胸が痛んだ。

ペタペタ、ペタタン。

特徴のある足音が少年の真横を通ってゆく。
この辺りでは珍しいニョロトノ。大切に抱える様に義手を持つそのポケモンは、ジンの後を追うように階段を上っていく。


ゆっくりではあるがニョロトノが階段を上ってゆく。
ホームから遠ざかるにつれ、降り続いていた雨が薄らいでいくのが分かった。


















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