「ありがとうジンお兄ちゃん!」
幼児ならではの高い声は、今まさに角を曲がろうとしたその先から聞こえてきた。普段ならばこのまま進み角を右へと曲がるのだろうが、幼児が言ったばかりのジンと言う名前により無意識に足がピタリと止まった。
苦手意識からか、その表情はどこか厳しく引きつって居るのが分かる。
手に持っている資料がズシリと重く、早くこれを届けて自身の仕事に戻りたいと思った矢先の出来事。
普段は従業員が押し付けた事務を片付ける為に、駅長室に籠もりっぱなしで挑戦者やトラブルが起きない限り部屋から出られない。缶詰め状態が日常であるジンに従業員達は無闇に顔を合わせる回数が減ると安堵する位だ。
寧ろ部屋から出す回数を減らす為に、仕事を押しつけている様なもの。
そんなジンが何故この場所に?
トレイン挑戦者の連絡はまだ入っていない今、ジンが駅長室から出てここいらを歩き回る用事は無いはずだ。
ならば何故?
其処でふと浮かび上がるもう一つの疑問。
幼児の存在だ。
今スタッフ関係者しか入れないこの場所に幼児が居るのは可笑しい。誰かの子供にしては連れてきた、一時的に面倒を見てほしいなんて話は聞かない。
迷子ならば迷子なりの対処法で、此処とは別の部屋にある迷子センターへと向かう筈。
不信に思った彼はこっそりと覗き込む。
制帽の鍔が邪魔で視界を遮る中、視界へと映り込んだのはグレーのジャケットに腰に巻かれる黒白マント。
いつも張り付くようにジンにべったりなポワルンの姿ない所を見ると、駅長室で留守番をしているに違いない。
エテボースも中型のポケモンな為、ステーションの規則により不用意に出歩く事が出来ない。
誰も連れていない姿を見るのが初めてな彼からすれば、ちょっと珍しい物を見れたものだと抱く。
そんな第三者の存在に気が付かない二人の会話は、止まる事無く続く。
しゃがみこんだ事により広がる黒白マント。汚れを気にしていないのか、ジンはそのまま相手へと言葉を返した。
『私は当たり前な事をしただけで御座います』
「でも、私のチラーミィ見つけてくれた!」
花を咲かせた幼児。黄色い小さな帽子、服装からして幼稚園児が着込む水色の洋服。小さな手と腕をいっぱいに使いジンの影に隠れていたチラーミィを思いっきり抱きしめる。
それがくすぐったいのかチラーミィは声を上げながらふわふわの尻尾を左右に揺らす。しかし本人である園児の表情に影が生まれる。落ち込む様に色が差し込んだ小さなお客にジンはいかがされましたか?と背を屈ませ、少し覗き込む。
「あのね、わたしのチラーミィすぐにどっか行っちゃうの。よんだら来るときもあるのにね、たまに言うこときかなくていなくなっちゃう」
今もチラーミィここにいる。けどね、目を離したら居なくなるの。
「わたしチラーミィに嫌われてるのかな?」
クルルと鳴き声を上げるチラーミィに、今の幼稚園児の言葉の意味は伝わっていない。ただ、どうしたの?と伺う様子は以前夜の公園で腕を痺れさせられた手乗りサイズのポケモンを思い出す。
あの少年と幼稚園児、チラーミィとバチュルの影が重なる。勝手に居なくなってしまう友人に寂しいと抱く気持ちはどちらも同じ。
それが何を意味し指しているのか?
ジンは被っていた制帽を少しずらし幼稚園児の顔を見つめる。『チラーミィと出会ったのはいつからでしょうか?』
「チラーミィと?」
うーんと考え出した幼稚園児、すると緩んだ腕の中からチラーミィが抜け出す姿を捉える。
逃げ出すかと警戒していた駅長代理だが、好奇心旺盛なのか向かいに居るジンへと駆け寄るや否やしゃがみこんだ膝を足場とし乗り上げて来る。
ふわふわな大きな耳がジンの頬をくすぐりながらも、振り払う仕草などせずただチラーミィの好きなようにさせる。
小さな指が親指、人差し指、中指の順で折られていく。端まで折られた指はリターン。折り返しては再び戻ってくる最中にピタリと止まった。
「7日目!」
折り返した指をジンへと見せる。指先では中指まで折られており、それでは8日では無いかと指摘したいがあえて触れないで置く。
『チラーミィはいつもお客様とご一緒に?』
「ううん。いえにおいてるモンスターボールでおるすばん。わたしがようちえんから帰ってきてから、一緒にあそんでる」
それがどうしたの?
子供特有の可愛らしい声での疑問。
膝を足場として上がってきたチラーミィは我関せずと言った様子で、ジンの肩へと身を乗せる。被っている制帽が気になるのか、ちょこちょことつついて居るのが伝わって来た。
話しを聞いたジンがそれは確かに、チラーミィが勝手に居なくなりますね。と答えれば、どうして?!と驚きの声を上げた。
『チラーミィはお客様が帰られるまで、一人ぼっちだからで御座います』
「一人ぼっち?」
ポケモンが専用のモンスターボールに納められるのは誰でも知ってる常識な事。しかし、ボールの中にはたった一匹しか居られない。ボールのサイズのせいもあるのか、二匹以上ボールの中に詰め込む事は不可能で必然的にたった一匹で無とも言える世界の中で息するしか無い。
力の無いポケモンは自身からボールの外へと出る事は不可能で、誰かがボールに触れない限りは一人ぼっちの世界を我慢するしかない。
話す相手も居ない、いつ出して貰えるか分からない。不安しか残らない世界でやっと出して貰えたならば、我慢していた寂しさを吐き出す為にアチコチへと走り回る。
それはトレーナーの言うことは聞かずに、俗に言う命令無視と言われる。辛うじてトレーナーの言うことを聞いたとしても、自由に走り回れる気持ちが増しており第一に優先されるのは自身の思い。
幼稚園児と言うポケモンを持つにはまだ未熟な人間だからこそ、それを世話するのは大概親だ。しかしその親が共働きで、日中チラーミィをボールの中に閉じ込めたままならば?
言わずもがなチラーミィの思いはトレーナーの幼稚園児より自由を取る。
きっとこのチラーミィが幼稚園児の言うことを聞いているのは、遊び相手つまり友達としてしか思っていないからだろう。
バトルをメインとするトレーナーならば、ポケモンとの上下関係を強く築き上げなければならない。しかし、幼稚園児とチラーミィの関係を見る所、そう言ったモノはない。
『友達』としての関係が良好。
では、今のジンからアドバイス出来る事は?
『チラーミィといっぱい遊んで下さい』
「遊び?」
遊んで仲を築き上げ、上下関係では無い『友達関係』を築けばよい。
いっぱい遊び、構っては構って貰い楽しい時間を強要する。
寂しそうにしていたら1人じゃないと手を繋いで下さい。
『そうしたら、きっとチラーミィはお客様の側から離れたりはしないでしょう』
友達を見捨てて他の場所へと行かなくなる。寂しいと思う気持ちは、お客様と共に居る事で晴れるでしょうから。
「本当に?」
『ええ。後はお客様の努力次第で御座います』
クルル!と再び鳴ったチラーミィの声。
ふと見上げた先にチラーミィは居た。ジンの制帽を自身の頭に乗せ、尻尾と共に上機嫌で手を振る姿。可愛い姿に被される制帽が似合わない。しかし、どう?どう?と此方を伺う眼差しに幼稚園児は笑顔を咲かせた。
「似合ってるよチラーミィ!」
チラーミィでもない幼稚園児でもない、自分でもない誰かがクスリと笑った様な気がした。
意外だった。
常にバトルでは厳しい顔つきで指示を飛ばすジン。
従業員ともよく口論し、良い話しなんで全く聞いた事が無い。
お客様との会話もマニュアル通りの言葉を並べる様子に、早く新しい上司をと願う同僚達。
そんな駅長代理様が今こうやって、知らない場面で小さなお客様を相手している瞬間なんて見れるものでもない。
堅物と言うイメージが強い為か、ジンの頭上に勝手に上がったチラーミィ、小さな幼稚園児を邪険に扱うかと思われていたが……。
『さて、お客様。ここは従業員専用の通路で御座います』
誰かに見つかる前に私がお送り致しましょう。
言葉の後に伸ばされたのはジンの右手。
初めは意図が分からなかった幼稚園児だが、チラーミィが一鳴きしジンの腕へと移動する。そして腕にしがみつく仕草をした所で何を意味するのか理解する。
「うん!」
ジンの手に触れた幼稚園児を抱き上げる。
頭の上にチラーミィを乗せたジンが立ち上がれば、一人と一匹の楽しそうな声を上げる。キャッキャと明るいそれを持ち上げたジンが立ち上がり、高い高いと再び笑う。
ゴツリと一度鳴らせば、2度目、3度目と次々鳴り響き、ゆっくりとその場から遠ざかっていく。
身を乗り出しては彼は其処に気配が無くなったのを確認し、重い資料を抱え直し早足で廊下を進んだ。
カツカツ鳴り響く革靴越に、固い床の感触が伝わって来そう。しかし、それよりも脳内に残るのは先ほどのジンと幼稚園児とのやり取り。
自身より幼い幼稚園児に対し、他のお客様同様な扱いをしている。その中での幼稚園児に対するアドバイスに、とても柔らかな物を感じた。
クスリと笑った様な気がして、それが酷く柔らかいものだとなんとなく抱く。
「………………」
変に胸が鳴る。
ドキドキと、鳴り響くこの感じは電車の素晴らしさを語っている時と似ている。……似ている?
いや違う。これはあれに近いドキドキ。
新しく導入されたトレインを初めて見た時のドキドキ。初めて触るフォルムの滑らかな感触。
初めてと言える何かに見て、触れた時の高鳴りに近い。
それが一体何を示しているのか?
分かっては居る。しかし、ドキドキの気持ちに対して同様に抱くのはそれへの不快感。
早くジョウトに戻れと思う反面、あの人にも人間らしい優しさが有るんだなと小さな何かを抱く。
「キャメロン、遅れた事に怒るかな………」
先ほど自身が見た事は内緒にしよう。
資料を必要とする同僚が居る事務室へと、トトメスはその足の速さを早める。
了
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