酸素を吸い込む動作と共に、短くなった煙草の煙を肺へと流し込む。
先端から仄かに上がる白い煙は一瞬だけ己の存在を、白と言う色を使い主張するも儚く溶ける。
今日も激しいバトル及び業務を終えたジン。視界の暗さがさらに増したサングラスをかけ、誘惑するネオンの街を無視し真っ直ぐ自宅へ向かう。
昨日と変わらない帰宅ルートである公園を歩めば、出していたエテボースとポワルンが無人の公園へと走り出した。
昼間では人で賑わう公園だが、黒が深まる時間帯となれば無人と化す。
まるで黒を恐れるように、人の姿はどこにも無い。
故にエテボースとポワルンは人を気にする事なく好きに動き回る。
浮遊するポワルンを追いかける様に回るエテボース、地下にある狭い部屋から解放されたのが嬉しいのか楽しそうに声を上げる。
しかし、いくら人が居ないとは言え、ヨーテリーなどを散歩して回る人だっているだろう。
『エテボース、ポワルンあまりはしゃぐな』
危ないと言いかけた所だった。
公園内に設けられているベンチ。ふと止まった視線の先には、ジン達よりも前に既に先客が居た。夜だと言うのにも関わらず深く被る帽子。
見覚えがある。
バチュルを連れたあの少年だ。
サングラス越しにチラリと見上げた先には時計。やはり2時過ぎて居り、ジンは無意識に眉を寄せる。
以前言った事を理解して居ないのだろうか。もしかしたら今度は補導される目的で居るのか?
などとくだらない理由を脳内で払い去ったジンは、ゴツゴツとブーツを鳴らしベンチに腰掛ける少年へと歩み寄る。
設置されている電灯の光が、ミュージカルのスポットの如く照らす。しかし、まるで主役であると言わんばかりに浴びるスポットに対し、少年は俯き顔をあげようとはしない。
一体どうしたのだろうか?
動揺の色が右へ左へと、観客席は不安に揺らめきひそひそと囁き筈めるに違いない。
そんな中ステージ脇から現れた存在により、観客は新たな展開に胸を踊らせ息を殺し始めるに違いない。
『何をしている』
棘と言う感情。まるでハリーセンの針の様に鋭い声に、少年はあからさまにびくりと肩をいや、体を震わせる。
そして後を追うようにふるふると震えてしまった小さな体に、苦味を噛み締める顔つきで頭を掻く自身のイメージが浮かんでは消える。
吸っていた煙草を左指で掴み、ゆっくりと離す様はどこか名残惜しいそうに見える。吸い手の無くなった煙草は煙草本来の存在意義を無くし、どうするべきかと不安に揺れる煙と仄かな熱。
しかし、役目を終えた様に地面へと押し込められた煙草は、グシャリと悲鳴を上げ無残な吸い殻へと化す。
熱を失い僅かに灰を零した煙草は、棺桶と言っても可笑しくない携帯灰皿へとダイブ。同じ姿をした吸い殻の山の上に虚しく積もり、唯一の出入りである穴は無情にも蓋で塞がれてしまう。
『驚かせてしまったな』
すまない
少年が座るベンチ。砂利を踏みつける音が上がってから一拍し、先ほどより鋭い感情が抜けた声が少年の真向かいから発せられる。
膝を折り目の前でかがみ込んだジンの視線は少年の目線より少し低い。
自身よりも大きな存在からふり注ぐ言葉より、こうやって同じ目線で話した方が警戒の色は少しは拭えるだろう。
走り回っていたエテボースとポワルンが気付いたのだろう。尾を揺らしたエテボースは、ダイブするかの如くジンの背中にくっ付く様に張り付く。そして温いのだろうジンの体温に満足し、背中越しに顔を覗かせ一鳴き。後を追うようにポワルンも一鳴きしては、しゃがみ込んだジンの膝と胸の中へと無理やり入り込んでは顔をスポンと出す。
『以前私は言った筈だ』
こんな時間に出歩いて居ると補導されかねない。とーー。なのにも関わらず、何故また此処に居る?
ライモンシティのジョーイは、アチコチ見回っている。
しかも知能の高いハーデリアをお供に連れて。
つらつらと並べられる台詞。に少年は頷き一つ所かリアクションすら返さない。
それ位は分かっている筈だ。
此処はライモンシティ。
大都市ヒウンシティの次に人々が集まるこの街には、様々なトラブルが起きる。人が多い分何が起きても可笑しくないのだ。その為、街の治安を守るジョーイの派遣率も高ければ、検挙率も高い。すぐ近くには暴走族が集まるたまり場の橋もある。
深夜を歩く人間ってのはたかがしれて居り、昼間の様な人間を探せという方が難しい。
仕事にしろ飲みにしろ、寝静まる時間に出歩くのは変人ばかりだと言う事だ。
変人の思考は理解出来ない。故に少年は何かしらの事件に巻き込まれかねない。
そもそもこんな時間帯だ。親が家から出そうともしなければ、出す用事を押しつけたりはしない筈だ。
なのにも関わらず、少年は今こうやってジンの目の前に存在する。
そういえば、以前会った時もこんな時間だったと思い出す。
連続的に深夜遅く子供が出歩く理由と言えば……家出?喧嘩?それとも……。
「お兄さん」
『ん?』
震えていた少年がやっと発した声は、酷く枯れておりまるで今にも水が欲しいと言わんばかりの声量である。
目深く被る帽子が揺れる。
ポタリと何かが音を上げ、存在を主張。
不審に思ったジンが何だと顔を覗き込めば、ハラハラとこぼれ落ちる雫にギョッとする。
もしや自身は少年を泣かせる迄に怖がらせてしまったのだろうか?そんな思いがよぎったがどうやらそうでも無かった。
「お兄さんどうしよう!僕のバチュルが……」
エグエグと息を詰まらせながら話し出した少年。包んでいたのだろうその小さな両手からは、ふわふわした黄色い毛を纏う手乗りサイズのポケモン。
活発的ですばしっこい筈のそのポケモンだが、何故かジンの目に映るバチュルはそれらからかけ離れた様子。
いや、違う。このバチュルは……。
「今日ポケモンバトルしてから、ずっと様子が可笑しいの。いつもなら元気に動き回っているのに、ボールに戻しても全然良くならなくて……」
ポタポタ。雨乞いをし始めた時に降り出した如く、不規則に溢れ落ちる涙に続いたのは止まらない嗚咽に鼻を啜る二重奏。
力無く身を任せるバチュルを両手で包んだまま、少年は息を押し殺す様にか弱い悲鳴をあげる。
どうすれば良いのか分からない。
そういう事。
本来ならばポケモンセンターに向かい専門とするジョーイさんに見てもらえば良いのだが、こんな時間に未成年の少年が向かえば明らかに警察へと連絡が入り補導されるだろう。
以前にも補導される。と言えば、少年は酷く焦っており嫌がって居たのを覚えている。
補導されると言う事は、家に連絡が入り保護者が迎えに来ると言う事。
それらから連想される内容なんて、だいたいが親子でのトラブル関係が大半。
って、今はそんな事を考えている場合では無い。
少年が持つバチュルへと視線が移る。
空色の様に澄んだ可愛らしい複眼は、まるで世界を拒絶するかの様に必死に閉じられる。活発的な性格な為、一カ所に留まる場合はその衝動を抑える為にふるふると体を震わせ我慢するも、今のバチュルは不規則な震えをしている。
小さな足もまるで自身を守るかの様に収められ、更に縮こまった体が痛々しく見える。
不規則に震えるバチュルの体を、手袋をはめた手で静かに撫でる。
すると、小さな悲鳴を上げたバチュルに、少年の涙の量が増し名を呼ぶ。
理解した。
バチュルが今どういった状態なのかを。
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