謳えない鹿3 | ナノ



彼女は己の片足を泥土で染めた。
彼は己の片足を海水で染めた。
彼女は言いました。
「私は誰も信じない」とーー。
彼は言いました。
「俺は皆を信じてる」とーー。
彼女は殺戮を選びました。
彼は和平を選びました。

彼女は3冊の内の一冊を破り捨てました。
彼は3冊の内の一冊を優しく撫でました。
そんな彼女は彼を知って居ました。
そんな彼は彼女を知って居ました。
彼は彼女の後ろであり、彼女は彼の前なのです。
しかし、彼女は真ん中でした。
しかし彼は最後でした。
頭から数えれば彼女は二番目です。
頭から数えれば彼は三番目です。
後ろから数えた彼女はやはり二番目でーー。
後ろから数えた彼はなんと一番目でーー。




(此処からは白紙の様だ)

114頁,<追憶編.了>


* * *


吹きかけたそれは風だ。
冷たさを失ったと言えるだろうこの季節にしては、酷で仕方ないが今は夜。ぎらつく熱の塊から浴びる暑さが無いだけマシに違いない。
虚ろなる世界を飲み込まんとする息吹は、決して此方へと手出しは出来ない。しかし、虎視眈々と狙うその暗闇は出歩く者に恐怖を与える。
だが、亮にはそれが利かないらしい。
当たり前であり可笑しな点など無い。
それは亮が忍の卵であり、暗闇に対する耐性を既に持ち合わせて居るからだ。幼い子供ならば無理だろう暗闇を、亮は何食わぬ顔でスイスイと進んで行く。

ギシリと鳴るべく本来の廊下は五年生ならではの忍び足で無音となる。鍛えられた過去の訓練は今この場で生かされているみたいだ。
すると、ふと亮が顔を上げる。
前髪によって閉ざされた眼が、一体何を捕らえているのか?第三者からではわからない。
しかし、亮はにこりと口元に笑みを浮かべては、背中に背負う三味線をコトリと小さく鳴らし……


『今晩、潮江先輩』

と、紡ぐ。
南風が吹く。
月を覆っていた白い存在。それはとても軽く、風に背を押されただけで緩やかにその場から立ち去る。同時に差し込んだのは光。この時間帯の太陽とも言えよう光は、灼熱の塊とは輝きが異なり淡く優しく儚い雰囲気を漂わせる。
月ならではの光、輝きとも言えよう。

すると、その光が差し込む廊下に、一つの影が生まれた。
それは柱へと寄りかかり、腕を組んでいるのが分かる。最高学年の制服に袖を通し、じっと此方を伺うそれは六年い組潮江文次郎。彼は亮の姿を捉えると、柱から背を離した。

「既に合って居ただろう」

亮のその挨拶は可笑しい。
そう言いたいのだろうが、亮は既に部屋へと戻ったと思って居たので。と笑う。それに対し、彼はそうか…としか言わない。
ジッとそして、亮から視線を外さない。
自身の顔に何か付いているだろうか?そう考えるも、行くぞ。と短く切られた台詞と共に文次郎は歩き出した。
よくわからないと言わんばかりな表情をする亮だが、目上のしかも先輩の言う事を無視する訳には行かない。
亮は、はい。と小さく返しては彼の後に続いた。







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