謳えない鹿3 | ナノ




穏やかに揺らぐ木々の隙間から差し込む日差しを浴びる時刻とは真逆で、人が寝静まり一面黒が制する子の上刻だ。

黒に溶け込んでいた何かが動く。
野生動物だろうか?

影は一つ。月明かりの無い黒の中に佇んでいる。
瓦で敷き詰められた屋根の上で、二手に別れた二束の線が揺れていた。しかし線を辿った先は人の形をしていた。

それが佇むのはあまり人が寄せつかない場所であった。生徒がめったに近づかない場所の一つ。
鐘の予備倉庫や上級生屋根裏部屋など数え切れないそんな数ある場所の一つ、ゴミ捨て場と言われる場所。

ゴミ捨て場を見下ろせる屋根の上、人影は広々と造られた学園を見渡す。視界を遮る前髪により学園すべてを見渡す事はできないと思うものの、その人影は感情を表す事はせずただただ其処に居た。

夜風が人影の袖を揺らす。すると、立ち尽くしていたそれが静かに動く。背負っていたのだろう。重なる影の中から何かを取り出し、くるりと一回転させた。
取り出したそれは全体的に長細く、先端部分には何か四角いものが着いている。よくよく目を凝らせばそれが三味線である事に気付く。と同時に、本来の正しい持ち方では無いことにも気付くだろう。
随分乱暴な持ち方をするものだと注意されるだろうが、此処にはその人影ただ一人しか居らず注意される事は無い。

くるり。
また一回転する。

そして、とん、と小さな音を立てたそれ。どうやら胴部分が瓦に当たったようだ。すると、人影はその場にしゃがみこむ。

相変わらず夜風は二本の線を揺らし、学園を見下ろしている。すると、その隣に新たな影が現れた。
形からみてそれが人で有ることが分かる。
長い髪を揺らししゃがみこむそれの隣へと腰掛けた。


二人は無言であり言葉を交わす事はない。後から現れた人影が動く。すでにしゃがみこんでいた人影から揺らめく線へと手が伸びた。
それはいつも通りの事で、しゃがみこむ影は止める事はない。


「ねぇ」

線を手のひらに収める影が言葉を投げる。他ならぬ隣にいる存在へと向けられたものだが、これと言って反応がない。

「ねぇ」

それでも声をかける事を止めない影は、手の中の線を再び揺らしては破片が煌めく空を見上げる。

「亮、大丈夫?」


線の本体は亮であった。
五年は組。摩利支天亮次ノ介。
今や飛び級してきたうんぬんの話しは落ち着きを見せ、ほんわかは組に在席する変わった人物として定着していた。
そして、その亮の隣に腰掛けるのは四年い組綾部喜八郎。上級生迄もをはめてしまうトラップを作り上げる、一目置かれた生徒。

深夜にも関わらずどこか土埃を身につけている事から、学園内のどこかで彼が得意とする蛸壷掘りでもしていたに違いない。
そんなマイペースの塊とも言える喜八郎は、何故か亮の長い線を気に入っていた。
線と言う言葉では伝わり辛いだろう。
亮が結んだ髪の毛が正しい。変わった切り方をしたのだろうか、亮が揺った先の髪は上手く一つに束ねられるも、塊からはみ出た二束の髪が線を描いていた。
気に入っているのだろう。喜八郎は亮を見つけるなり、その線を掴みたがっていた。
意図はわからないが。

喜八郎が隣に座る亮へと言葉をかけた所で、それは動く。
少し首を傾げるもしゃがみこんだ体勢は変わらないままだ。


『何がです?』

髪の端を左右に揺らし、此方へと向けようとするが亮はそのまま動かない。
その姿をジッと見ては、抜けた声で色々。と答えれば、亮は色々ですか。と同様に抜けた声を返す。
黎明(れいめい)にはまだ遠く、二人の他に起き出す生徒はいないだろう。


「最近、亮を見ない」

『補習授業をしていましたから』

「でも、他のみんなは見るって言っていた。委員会活動中によく見るって…ついでに他の委員会に混じってお手伝いしてるってのも聞いた」

残念ながら僕自身手伝いをした覚えは無いんですがね。
苦笑混じりの亮の言葉に、喜八郎は感情のこもらない声でふーん、と返す。


「ねぇ、亮」

『何ですか綾部さん』

「…………本当に大丈夫?」


今度は答えなかった。
何も言わず、亮はふさぎ込むだけで、変わりに返事をするかの様に風が薄桜色の髪を揺らす。


「僕は、何か出来ない?」


その問いに今度はピクリと指先が震えた。綾部ではない、亮のものだ。しかし、指先は綾部が座り込む位置とは逆に置かれており、言葉を発した本人がそれに気づく事はない。

変わらない無反応に綾部は掴んでいた線を引っ張り、自身へと気を引かせようとする。だが、その程度だけで亮が顔を上げる訳もなく、2、3度軽く引っ張った手は静かに下ろされた。

夏が近づいているのか、夜風と共に流れて来るのは数匹のカエルの声。

あと数日もしない内に学園周辺はカエルに囲まれ、不調和音と言える野生の子守歌が聞けるだろう。
勿論、その子守歌によるイライラで眠れない忍たま達が暴れると言うトラブル付きで、だが。


『……………』

僅かに顔を上げる。
自身を包み込む世界は相変わらず薄暗く、学園全体を照らす月明かりなんて有って無いようなものだ。
風が揺れ、細く狭い視界に広がるのはーーーー、


『僕、長屋に戻りますね』


ことり、と落ちてきたそのセリフに喜八郎は目を丸めた。
亮、と彼の名を呼ぶも2つの束を揺らすそれは静かに立ち上がるだけ。
日が登る様子は未だなく、柔らかな鼠色の塊が晴れた世界は月夜の天下となっていた。
三味線を持ち上げ真四角な胴で瓦を軽く叩けば、緩やかな風が亮の制服を揺らす。
そして隣に腰かげる喜八郎へと一礼をしてみせた。


『おやすみなさい。綾部さん』

一歩目、パキンと瓦を踏んだ。
しかし二歩目にはそこに亮の姿はなく、ただ一人残された綾部喜八郎のみがとり残される。

まるで風が過ぎ去ったかのように、亮の姿はどこにも見当たらない。
遠くで何かが動く。
顔を上げれば学園を取り囲む塀の上を何かが跳ねる。

と、それが何なのかと目をこらすも既にその存在は消え、長屋へと続く渡り廊下の向こう側へと飛び込む背中しか見えなかった。

黒に紛れた薄桜色を探し出す事は難しく、彼は追う事はしなかった。
ただただぶすりと頬を膨らませ後頭部にて手を回す。マメだらけの手を組んで後ろへと倒れれば、見覚えのある人物が自身を見下ろしていた。


「あ、どうもー」


それは彼の先輩であったが、目上の人物に対する口調、態度ではなかった。しかしその事に関して彼に注意をしないのは、綾部喜八郎と言う人間を知っている彼だからこそ出来る事だった。


「亮なら居ませんよー」


人影は答えなかった。長屋へと移された先は昨日見た変わらない学園の姿があり、すぐ隣から、今行けば追いつくと思いますけど?と言う問いに彼は首を横へとふった。

何も答えない先輩に、綾部は何かを返す訳もなく柔らかな鼠が散った紺碧の空を見上げた。

手が届く事のない煌めく輝きは満遍なく散らばり、一つくらい貰ってもバチは当たらないだろう。と、明後日の事を考え出す。
同時に、あの煌めきで今此処に居ない薄桜色の彼の気が引けないか?とも考えてしまう。

そうすれば少しでも彼と話す事が出来るだろう。
なぜ此処までして彼と話してみたいのかと疑問に思う気持ちはある。
それはただ単に、亮と言う不思議な人間が面白いのか?はたまた……

強弱をつけた輝きへと手を伸ばす。あれへと触れる事なんでできやしない手のひらを返せば、マメだらけの手があった。

緩やかに握るも空をつかむだけで、さわり心地のよいあの薄桜色の線はどこにも存在しなかった。









150203

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