謳えない鹿3 | ナノ





動く事を許されなかった。
気付いたら私はここにいて、気付いたらそれを見回していて、ああ…これが私なのかと。
私はこれでしかないのだと、幼いながらも理解していた。

しかし、変化が訪れた。
眺めていたそれが動き、改変を行った瞬間ガラリと崩れ出し足場が狭くなっている。
計二回。
変わる事を望んだそれだが、それを取り囲んでいた塊は否とし認めようとはしなかった。

あと一歩、足りない。

相も変わらずただただひたすら眺めていた世界に色が生まれた。新たな色に、あれはどう動くのかと眺めるしかなかった。
そんな私に、あれは改変を起こした。
今までになかった改変。

それは私の手をとり、そしてこう言った。

可笑しいと、気付いて居たのだろう?…と。

* * *

欲しかった道具が手には入った。
それは作法委員会でしか使わないものだが、予算会議で満足いく予算が入らなかった為渋々諦めた代物だ。
合戦後に使われる首桶。しかも、真新しいものだ。

以前から使っていた首桶は、月日を重ねる事に痛みが増し丁重に扱わなければすぐに壊れてしまう程だった。定期的に用具委員会委員長である友人に修理を頼んで居たが、損傷が激しくこれ以上使い続けるのは難しいと言われたのが先日。

予算から新しい物を買うことは出来ないと諦めていた所、委員会顧問斜堂先生からある物を渡された。それが真新しい首桶。
友人から貰ったものだと先生は告げる。
それ以上の事を口にしない先生に、仙蔵は深くまで聞かない。
使い古された物よりも真新しい物に、彼は先生へと頭を下げた。

今日は何かと良いことばかり起きている。

委員会へと向かう途中でたまたま出会った食堂のおばちゃんから菓子を(学園長先生から頂いた余り物だと)頂いた。
その次には自身の学年の実技担当の先生と会い、先週行われた実習授業では満足いく点数を出していたと誉められる。


こうも続けて気分をよくする事ばかり起きると、後々何か悪い事が有るのではと思う所がある。
だが、その時はその時だと割り切って歩く仙蔵の視界へとあるものが映り込んだ。

作法委員会へと向かう途中の廊下。

五年は組、摩利支天 亮次ノ介の背中。
素顔を晒した背中の荷物は三味線。こうやってよく見ると普通サイズの三味線より、一回り大きいように見える。
風に揺れる二束の、長い薄桜色の髪。しかし、亮は動く気配がない。
渡り廊下の真ん中で、その五年生はただただ静かに立っていた。


「亮」


どうしたのだろうか?動く気配のない後輩の背中へと声をかければ、びくりと揺れた肩がすぐさま此方へと振り返る。
どこか慌てた様子の五年生に、何だ?と首を傾げるも、ぺこりと頭を下げ仙蔵が歩く分のスペースを、静かにあけたその姿につい笑みが零れてしまう。


「どうした亮。誰か六年生を探しているのか?」

首桶をくるりと回す仙蔵に、一瞬だけぽかんとした亮だがすぐさま引き締まった表情へとなり、中在家先輩を。と小さく返す。

「長次にか?」

『はい。お借りしていた本を返そうと思ったのですが……』

長屋にはいなかった。
今の時間は皆委員会へと出払っている。
勿論それは誰もが知っている事であり、亮も知っている筈だ。だが、仙蔵の目の前にいる五年生は、校舎より離れた場所にいる。誰も居なくなった長屋にだ。

「長次なら今は委員会だ。夕餉後になら戻っているだろう」

それとも、私から伝えておこうか?

首桶を持ち直したと同時に右足にかけていた重心を左へ、頭一つ小さい五年生へと告げるも彼は慌てて首を振った。

『いえ、大丈夫です。それ程急いでいるものでもありませんので』

また、此方にお邪魔した際にでもーー

と、亮の言葉が途中で切れてしまう。続けて、前髪により顔半分隠れた少年は、先輩?と首を傾げた仕草により、自身が口元を綻ばせていた事に気付いた。

「ああ、いやすまない亮」

『もしかして何かついてますか?』

何も持っていない両手で五年生の忍装束を掴む。袖や裾など隅々迄視線を滑らせるも、これといったものはついていない。野外演習は午前の内に終えていた為、あれから何時間たった今でもどこかに汚れが付いているとは思わない。
可笑しいな。確かクラスメート全員で汚れがないかとチェックし合った筈なのだが……。


「すまない。誤解させてしまったな」

『あの……?』

「亮、今少し時間あるか?」


時間ですか?

再び首を傾げる五年生。後ろへと手を組み真っ直ぐ立つそれに、仙蔵の口元の緩みはやまない。勿論、亮自身も疑問符が次々と浮かび上がるだけで、仙蔵の考えている事が何一つわからないままだ。


「私は今から作法委員会活動をしに行く途中だ。亮が良かったら、一緒に行かないか」


仙蔵の唇から生まれた委員会、と言う単語。
後ろにくんでいた亮の手のひらは互いを握り締めるも、背中で隠れてしまい仙蔵に気づかれる事はなかった。しかし、一瞬だけ亮が纏う雰囲気が変わった事に目を細める仙蔵だったが、まるで気付いてないかの様にそのまま話しを続ける。


「お前がどこの委員会に入ったと聞いてないからな。もしかすると今はどこの委員会に入るか迷っているのではないかと思っていた所だ」

今、暇なら見に来ないか?

色々と気になる事があった。
それが何を指しているのか?勿論それを知っているのは仙蔵本人でしかなく、亮が知る由もない。

暫く考え込んだ亮だが、申し訳ありません。と薄桜色は三味線と共に頭を下げるのだった。


『スミマセン。僕は……』

「ん?もしかして他の委員会に入っていたか?」

『………。委員会の件に関してお答え出来ません』

頭を上げた亮が淡々と返した姿に仙蔵は目を見開く。ふむ、と何かを考えてては、先生になにか言われているのか?と問うも薄桜色はお答え出来ません。と同様に返すだけだ。しかし、亮が纏う雰囲気がどこか可笑しい。

まるで、この感じはーー。


「悪かった亮。お前にも事情が有るのだろう?余計な事を言ってしまったな」

『いえ!そんな事は…その、』

厚い前髪により相変わらず亮の表情を読み取る事はできない

「しかし、遊びにくる事は構わないだろう?」

『!』

顔を上げようとした亮だが、自身の頭に置かれたそれにより遮られる。
トンと、感じるそれは柔らかな重みだ。
はて?と思考が追い付かない亮を置き去りにする現実と共に笑ったのは目の前の先輩。
彼は一拍置いた後、亮が被る頭巾越しに頭を撫でるのだった。

強引ではない。
柔らかく、それでもどこか悪戯を含んだ雰囲気は亮を混乱させた。

手が離れていく。
ずれた頭巾からは特徴的な薄桜色が、乱れながらも顔を覗かせる。ぽかんと口を開け呆然。しかし慌てて姿勢を正す亮の肩に手を置いてやれば、その動きはピタリと止まり頭一つ分の背丈ある仙蔵を見上げる。


「作法委員会は放課後に活動している。少しでも興味があったらいつでも見学にくると良い」

仙蔵の言葉に亮の表情が一瞬だけ咲き誇る。も、すぐさまその表情を引き締め、その時はお邪魔させて頂きます。と丁寧に返してみせる。
亮が作った人1人分通れる廊下の間。滑り込むように足を進めた仙蔵に、薄桜色のそれは更に一歩後ろへと身を寄せたそれに何かが伸びた。

ハッと息を飲み込んだのが分かる。

薄桜色の頬に添えるように伸びたのは仙蔵の手だ。
未だに乱れたままの頭巾を被る亮の頬に触れる手は少しだけひんやりとして、こもる熱を吸い取っていくかのようだ。
目の前にいる先輩がフフ、と笑う。


「…可愛い奴め」


こぼれ落ちるかのように呟いた台詞はするりと亮の中へと溶けてゆく。
厚い壁の向こう側で見開く双眼に、仙蔵が気付く筈もない。

だが彼は笑みを止めない。
再びクスクス笑っては、じゃあ、またな?
と亮の隣を抜けていく。傷んでいる筈の廊下を、音をたてる事なく進んでゆく姿は流石最上級生と言えよう。
指通り良さそうな綺麗な黒髪を揺らしながら、仙蔵は六年生長屋から離れていった。角を曲がり完全に姿が見えなくなった先輩。

亮は変わらず、ずっとその背中を見送っていた。

亮の頭の中には先ほど交わした会話よりも、仙蔵が起こした行動の事ばかりでいっぱいいっぱいだった。

暖かくなった季節の風が、亮の髪を、忍装束を、肩をそして頬を撫で己の存在を自己主張する。

途端に、1人の生徒がその場に崩れ落ちた。

亮しかいない。

背中には片時も外さない三味線を背負い、うずくまるように廊下の隅で小さくなった。
背中に背負う三味線が壁に当たり、カコンと軽い音を鳴らす。も、亮は微動だにしない。
どうしたのかとよくみると、両手で自身の顔を覆っているのが分かる。小さく更に小さくと縮こまる亮は何も言わない。
一体なにがおきたのか理解出来るものは誰一人としている訳なく、ただただ亮は顔を手で隠しているだけ。

悲しんでいるのか?笑っているのかすらも分からない。が、一つ分かる事があった。

乱れた頭巾の隙間から覗く耳が、赤く色づいている事。
そして何かを耐えるように食いしばる唇が、覆い隠しきれなかった両手から僅かに顔を覗かせていた。

乱れたままの髪を直す事出来ず、亮は生徒の居ない廊下の隅でこみ上げてくる熱を押し殺すしかなかった。


委員会を終える鐘が鳴り響く時間は、まだまだ先の事。











140606

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