謳えない鹿3 | ナノ






ほうれ………見てみろ。







どこからともなく聞こえた言葉は、誰に対しての台詞なのかが理解出来ない。
きっと誰かが近くで会話しているのだと思うのが当たり前で、今自身が行っている仕事を済ませなければならないと次の一歩を踏み出した時だった。

先ほどまであった床がいつの間にか姿をけし、アンバランスと言う不安定なそれが彼を襲う。
あっ!と気付いた時にはすでに遅く、体すべてを襲う浮遊感にやってしまったと悪態付く。そして間を空けてから、ああ、きっと痛いんだろうな。とまるで他人ごとの様な思考。
襲ってくる痛みに耐える様に瞑った。

初めに悲鳴をあげたのは膝小僧。
土で固められた底へと叩きつけられガツ!と鈍い音が生まれた。続いて痛いと脳内で赤色をちらつかせたのはおでこ。
ガリリ!と明らかに皮膚を引っ掻いてしまった痛々しい音を耳が拾う。
が、珍しくそれ以上の痛みは襲って来ない。
瞑っていた目を恐る恐る開ければ、視界いっぱいに広がる落とし穴の底。だが、そんなに深くないらしい。

深くないのならば一人でも問題なく出られる。
僕は膝をついた態勢のまま開いていた両手を、目の前の土へとぐっと押し付けた。
その反動で体を起こそうと思ったが、何故か体がビクともしない。

え?は?

膝をつく形で穴に落ちてしまった為、起き上がろうにも起き上がらない。
ポーズ的に見れば正座した状態で突っ込んだと言えよう。全く不思議なポーズで落とし穴にハマったものだと、我ながらに思う所もある。
いや、まずはこの状態から脱出しなければならない。

が、やはり体は動かないまま。

誰か、誰か居ないかなと思うものの僕は不運体質を持っている。こんなタイミングに誰かが現れて僕を助けてくれる確率なんで数パーセント程度。
良くて夕食前。悪くても明日の朝まで出られない可能性だってあるのだ。
落とし穴に引っかかるなんて日常茶飯事であり、どういった流れになるのかもわかりきって居る。

が、そこであきらめたらそこで負けだと思う。


「すみませーん!誰か近くに居ませんかー?」


蛸壷に落ちた時や抜けた廊下の下で動けなかったあの時も、僕は変わらずに助けを求めた。
不運体質に拍車がかかって、人が近くを通る確率は低くなっているかも知れない。
でも、僅かな可能性にかけて僕は声を上げる。


「誰か近くに居ましたら、僕を引っ張り出してくださーい!」

モダモダと動いて少しはアピールしてみる。
僅かでも良い。誰か僕の存在に気がついて欲しい。




空気が揺れた様な気がした。
風に煽られた青がざわざわと声を上げる。
その時である。

それは突如として彼を襲った。

痛みと言う衝撃。
初めに襲ったそれは喉を締める圧迫感。
食道を通して体全体へと巡っていた空気がいきなり止められ、んぐ!と可笑しな悲鳴を上げてしまった。同時に後ろへと引き寄せられた体はぐらりと傾き、更にバランス崩れた体は後ろへと倒れ込む。

まるで引き寄せられるかの様に倒れ込んだ体は、思っていた方向とは逆の方向の痛みを生み出す。
背中とお尻を襲った衝撃は、瞬く間に脳内へと伝わり痛いと表現。
無意識に伸びた片手が背中をさすった。


「あたた!」

一体なにが起きたのか理解出来なかった彼だが、後ろから感じる気配に徐に振り向けば見たことの有る人物に痛みは一気に吹き飛んだ。


「亮君!」


痛みでゆがんでいた顔色は一気に明るいものへと切り替わる。すぐさま立ち上がり転んだ衝撃でついた土を払い立ち上がれば、クスリと笑う亮が彼、三反田数馬を見下ろす。


『こんにちは三反田さん』

「こんにちは亮君!」


まさかこんな所で彼に会えるだなんて思っても居なかった。人気の無い廊下でもあり、誰かと遭遇しる確率なんて低い場所だから尚更である。
それに彼は五年生で学年が違う事から会う事なんてあまり無い。あったとしても教室移動中や食堂で見かける程度で、こうやって話す事はあまりないのだ。

不運と言われる委員会に所属している彼が、亮と会えそして助けて貰ったと考えるだけで嬉しくなる。

その亮の手には何十枚ものプリントに、書物が数冊。
混じって見える白い本は忍たまの友だろう。


「亮君もどこかに向かう途中だったのかい?」

指されたのが一体何に対してなのかを理解すれば、そうですね。と短く答えた。


『提出されたプリントをやるべく自室へ』

「プリント?」







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