《第25話》

降りていいぞと言われ、車から降りたその場所は海岸沿いの道だった。
空の深い青に浸食される前の、ぼんやりと赤い夕陽の光が薄く見えるだけの薄暗い青紫の世界。
海は空の色を映してやさしく揺れていた。



『どこに連れてかれると思ったら…』


30分ほど前。フゥ太を置いて出たアパートの前に、黒塗りの車と知らない男性が待ち構えていた。
困惑していると、リボーンから乗れと言われたので抵抗せずに乗り込んだ。リボーンは隣の席に飛び乗ると、男性にたった一言「行っていいぞ」と伝えて車を発進させる。
どちらさま?と尋ねると「雇った」とニッと笑う。「この車は俺のだぞ」…いろんな意味でやっぱり彼はこわい。

そうして会話もないまましばらくして着いたのが、海とは。


「海、嫌いだったか?」


ぴょこんと車から降りたリボーンが隣に並んで私を見上げた。
いいや、と私は潮風になびいた横髪を軽く押さえながら、首を横に振って微笑む。


『実家も、――こっちにやってくる前のアパートも海が見えたから、なんだかホッとします』


ザザン、と鼓膜をくすぐる波音を何度か聴いたあと「そうか」とリボーンは返事をした。


「なら、もう少し近寄ってみるか」

『…そうですね』


車と運転手を残して、私たち二人は海に向かって足を進めた。
逃げも隠れもできない二人だけの世界になる。不思議と不安はなかった。


『どこから話しましょうか』


潮のにおいを強く感じる位置にしゃがみこんで、手持ち無沙汰に砂に触れた。


『どこまで怪しんでますか』


つかんだ砂が滑り落ちて、隣で立って海を見つめる彼にそう尋ねた。


「最初の頃は何も。あのツナが風邪ひいたってだけで女を家に連れてきたからだろうな。どんなヤツか気になったんだ」


だから接触した。おにぎり美味かったぞ。と悪戯っぽく笑うリボーンと目が合った。
うーん、やっぱりあれがきっかけかと苦笑い。


「家庭教師としてツナの交友関係は知っておかねーとな。最初は興味本位で調べてみたんだ」


獄寺はともかく、山本や京子、ハルのことも調べてんだぞ、と続ける。


「でも、最初からお前の違和感にぶち当たった。調べても調べても秋山千尋の情報が一切出てこない」

「そのクセに入学手続きはしっかり出来上がっていた。アパート契約も、だ」


じっとリボーンが私を見つめてくる。反応を見ているのだろうか。


「千尋の確かな存在を証明するものだけがないんだ」


空はいつの間にか茜色をなくし、深い藍色に染まっていた。海は銀色のビロードのように光って揺れている。
不思議と心は穏やかだ。もしかすると、私はこの時を待っていたのかもしれない。


「秋山千尋、お前は何者なんだ?」


だれかに問いかけて欲しかった。
息を吐いて、海を見つめながら話すことにした。彼の目を見ると、なんだか泣いてしまいそうだったのだ。


『…私は、ここではない世界で18年間生きていました』

『家族と友達に囲まれ、普通に幸せに暮らしていた私は大学生になって、地元から離れた土地にひとりで引っ越してきたんです』


だいぶ暗くなってきたが、リボーンが私から少しも視線を逸らさないのは感じ取れた。


『――それで、散策に行こうと玄関から外に出たら、まったく知らない景色でした。私は並盛に居たんです』

『私の知ってる物語の登場人物と会って、確信しました』


ああ、そうか、もうあれから6か月も経ったんだ。
まだ戻れていない。


『リボーン、私は貴方たちのことを知っているんです。貴方たちの物語を知っています』


言ってしまった。
リボーンの顔が見れずに、思わず俯いた。
こんなおかしなこと言うなんて、銃をつきつけられてもおかしくない。
でも、本当なんだ。嘘はひとつも言ってない。

信じて欲しい。
こんなに強く強く願ったのは初めてだった。


「予言者…ってわけでもなさそうだな」


リボーンの発言に反射的に顔を上げ、首を横に振ると小さく笑われた。
リボーンは、笑っていた。


『そんな立派なもんじゃないの。ただ知ってるだけで――ルーチェやユニとはまったく違う』

「…そうか。二人のことも知ってんだな」

『うん…。リボーンが本当は大人だってことも、どうして呪いを受けることになったのかも』


リボーンの目の奥が鈍く光ったように見えた。


「なるほどな…。俺たちは物語の登場人物。宇宙の外側を知ることができないように、俺たちは誰かのつくった物語の世界であることを知ることができない」

「ありえねー話ではねぇな。そういう話は子供から大人まで一度は考えたことがあるし、何より確か研究されてるみたいだしな」

『し、信じてくれるんですか…?』

「信じるも何も、お前の行動がそう言ってんだろ。俺が拾った本も、部屋の角に積み上げた本も異世界関係で、獄寺のオカルト話を聞いてんのも、俺たちにどこか壁つくってるのも全部」

『でっ、でも…だってこんなおとぎ話みたいな…!』


なんで、信じてやると言われているのに動揺してるんだろう、私は。
…そうか。自分が簡単には受け入れられなかったことをこんなにもすんなり飲み込んでくれたことが理解できなかったんだ。


「知ってるだろ。おとぎ話みたいな経験は俺もしてる」


ニヤリと不敵な笑みを浮かべたリボーンの輪郭が、月夜に照らされぼんやりと光っていた。


「疑えるわけがねぇ。そういう意味じゃ、仲間だろ俺たちは」


信じてくれたんだ。
胸が詰まる思いをしながら、ありがとうと伝える。信じてくれた。知ってくれた。理解してくれた。それだけでもう十分だった。


「まあもっとも、どこぞの殺し屋が次期ボンゴレボスの命を狙うために近づいたってことも考えられるが」


それはちがうと声を上げる前に止められた。


「殺し屋ならもっと上手くやれてる。異世界から来たなんて突拍子もねーこと言わねえ」


大丈夫だ、心配すんな。疑ってねーよ。
笑いながらぺちぺちと足元をたたかれた。


「ボンゴレに雇われた身の建前として、保護監察はさせてもらうけどな」

『それは、とっても心強い』


久しぶりに笑った気がした。
ああ、なんだか肩の力が抜ける。

ふと顔を海に向けると、すっかり空は暗くなっていて、海はまるで墨汁を垂らしたような色になっていた。
ぽっかり浮かんだ白い月が海に光の道をつくっている。


『…リボーンは』

「ん?」

『リボーンは知りたくないんですか?自分がいずれどうなるか』

「急になんだ」

『だって私なら、この先の物語を知ってる人が現れたらきっと問い詰めます。私は戻れるのかって。だけどリボーンは…知らなくていいんですか?呪いのこと』


そうだな、と帽子を深く被りなおしたリボーンが小さく息を吐いた。
トプンと水が揺れる音がやけに耳に残る。


「知りたくねーわけじゃねえが、この世界が物語ならいずれ知る機会はあるだろ?なら今はそのタイミングじゃねーってことだ」

『タイミングじゃ…ない…』

「ランボもいずれ選択するときがくるって言ってただろ?」

『…うん』


そっか、と小さく息を吐いた。
いつかくる。先の見えない不安に溺れかけていたところを掬われた気分がした。呼吸がしやすい。


「赤ん坊の姿もなかなか気に入ってるしな。今しかできねーことをやるんだ」

『うん…そうだね。私、沢田くん達と出会えてよかったって本当に思ってるから…この時を大切にしたいな』


でも、とまた気持ちが沈む。


「いつか離れる時のことを思うと、一緒にいるのが辛いか」


びっくりしてリボーンを凝視した。
ぴったり言い当てられてしまった。


「そろそろ千尋の心も読めるようになってきたな」

『……もー…このタイミングで、ずるいです』


そうだ、はじめて彼と会った時も考えたんだっけ。
初対面の相手に読心術を使うことはありえないって。ある一定の条件を満たさないと使えない実験的なものだ。
ただし、そうじゃないとすれば。「思考パターンがわかるほど長く一緒にいた」「相手を理解している」という条件下で発揮できる。


『…ずるい』

「ツナは顔に出るからわかりやすいんだ。千尋の場合、クセや思考パターンを熟知すればもっと当てられるぞ」


追い打ちだ、こんなの。このタイミングで「理解している」なんて嬉しいに決まってるのに。
唇を尖らす私をクツクツ笑うリボーンは笑うのをやめると、「でもな」と真剣な目を向ける。


「お前が今まで不安や寂しさから耐えてきたこと全部知ることはできねー」


やさしい風が髪を揺らした。


「だから“これから”は、全部俺にぶちまけていいからな」


「今まで誰にも言わずに、よくひとりで頑張ってきたな」


潮のにおいを強く感じた。
鼻の奥がツンとする。




「えらいぞ、千尋」


やめて

いま そんな言葉をかけられたら


『……っ…』



瞳からぼろりと涙が落ちた。

やめて


グッと手でこすってもこすっても、次から次へと涙がこぼれ落ちてくる。


『あっ…あれっ…?な、なんで…!』

『おっかし、な、とまんない…っ』


とまんないよ、ねえ。
熱い熱いそれが腹の底から込み上げてせき止められなくなっていた。
その熱が涙へと姿を変えて溢れ出して止まらない。


『…う、あっ…なんっ…で…!こんな、…ふっ…!…う〜っ…!』


視界が揺れる。
苦しい。苦しい。次から次へと涙として出てくるのは、ああ、そうか不安と寂しさか。


『ぅああっ…もうっ…もぉ…っ!』


やっと安心したんだ、私は。


『みっみないで…っ!か、こわっ…るい、からあ…!』

「かっこ悪くなんかねーぞ。頑張ったから泣いてんだろ。悪いことじゃねー」


俺がいる。大丈夫だ。
肩に飛び乗って、ポンポンと小さなその手で頭を撫でてくれた。


『うう〜っ…!も、ずっと…こわか、った…』
「そうだな」

『ひとりでっ、ふあんで…!これ、から、どうしよって…!』

「よく耐えたな」

『かえりかた、さがしたっ、けど、ぜんぜんもどれなくて…っ…いっしょう、もどれなかったらって…!』

「……千尋、よく頑張ったな」


その言葉が耳から通って、頭から足の先まで流れわたる。ひどくあたたかいものだった。



そうしてその夜、私は子供のように声を出して泣いた。
しばらくして涙が出なくなって、ぼうっとした頭で見た海には、やっぱりどこまでも続く光の道が流れていた。
真っ黒の海だからこそ、光の道が一段と眩しく光って見える。


『まだ、歩けます』


あの美しい道なら、どこまでもどこまでも行ける気がした。

昔、夜の海はどこかこわいなと思っていたけど、今夜はそんなこと思わなかったなあ…なんて隣で同じように海を見つめるリボーンを盗み見た。
彼はなにかに似ている。


私は最後にもう一度、夜の海と光の道を眺めて立ち上がった。
墨を垂らしたような真っ黒な海がすべての不安を包み込んでくれるような気がした。

真っ黒な、真っ黒な――


140701
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