《第22話》
「じゃ、体育祭がんばってね!」
『うん、行ってきます。いつもお留守番ばっかりさせてごめんね』
やわらかな髪を撫でると、必ず悲しそうに抱きついて別れを惜しむフゥ太。
二人で暮らし始めてから家を出るときいつも心が痛む。ここ最近毎朝(学校休んじゃおっかな…)なんて考えが浮かんでしまう。
しかし、今朝は珍しくにこにこしながらお見送りしてくれたフゥ太に首をかしげた。
『もしやもう親離れ…!?』
学校に着くまで悶々と考えて、廊下でうっかり口に出してしまった。
いいことだけどそれはちょっと早いかな、なんて。無駄にハラハラしてしまう。
『ん?』
顔を上げると、真っ青な顔をした沢田くんが廊下に突っ立っていた。
『ど、どうしたの?』
「あっ秋山さん…」
ハチマキを握ったまま苦笑いを浮かべる沢田くん。
あ、そういえば沢田くんは総大将になったんだっけ。それと確か記憶が合ってれば風邪ひいてた…はず。
『無理しないでね』
「え?」
『あ、えっと、沢田くんのことだからまた押し付けられたのかなあって』
かなあ、なんて言ってるけど本当にそうだもんね。風邪ひいてるのに無理させるのはあんまり可哀想だからせめて私だけでも優しくしてあげたい。
「あー…秋山さんには隠し事できないや。実は昨日川に落ちて風邪ひいたんだ」
『もしかして、棒倒しの練習して?』
「そう。…情けないけど、実はあんまり乗り気じゃないっていうか…ってオレほんと秋山さんには何でも言っちゃうなー!」
照れ隠しに笑ってみせる沢田くん。
何でも言ってくれるのうれしいよ。そんな気持ちを込めて笑い返したあと、沢田くんの額に手を差し込んだ。
『んー今はまだそんな高くないみたいだけど、用心しとかなきゃね』
「えっ、あ、」
『あれ?顔赤い…?』
「だ、だって!秋山さんが熱計ってくるから!」
沢田くんは真っ赤な顔のままバッと離れた。
『…もしかして照れてる?』
「うっ」
『沢田くんも私にこうした気が』
「あの時は!秋山さんが辛そうだったから夢中で!」
真っ赤な顔の沢田くんにポカンと口を開けた私。
しばらくしておかしくなって笑ってしまった。
『そっか、夢中だったんだ。あははっ、やっぱ沢田くんって優しいね』
「笑わないでよ…」
沢田くんは耳まで赤くしてうなだれてしまった。
ごめんごめん、と笑いながら謝っても効果なし。じとっと睨まれるがそんな顔じゃ迫力ない。
『とりあえずさ、総大将って言ってもあんまり無理せず構えてればいいと思うよ』
「え?」
『敵はまさか沢田くんが総大将なんてって油断してるから、そこを山本や獄寺くんが蹴散らせばなんとかなりそうじゃない?』
「そっか…」
『どうせなら1年生で総大将になったこと楽しんじゃおうよ。めったにないんだから。私もクラスメートから総大将出るなんて誇らしいよ』
にっこり笑うと、どこか安心したような表情になった沢田くん。
うんうん、始まる前から考えすぎると疲れて風邪ひどくなっちゃうかもしれないからね。
そうだよな…とブツブツ言っていた沢田くんは突然顔を上げると、少し拗ねたような顔をしていた。
えっ、なに
「あのさ秋山さん、何度も言うけど」
『は、はい』
「クラスメートじゃなくて、友達」
『……』
「友達」
『りょ、了解』
念を押されてしまった。
「じゃあ、秋山さんも放送委員がんばって!」悪戯っ子みたいな顔で手を振ってこの場を去ってしまった沢田くん。
あんな顔はじめて見た、かも。
『…私だって、そう思ってるよ』
* * *
さて、私はと言えば沢田くんの言った通り体育祭の放送を頑張ってるはずだった――が
「離しなさいよ獄寺隼人!千尋さんと行くのはこの輪島花子よ!」
「あ?うっせー女だな!」
花輪さんと獄寺隼人が私を真ん中に口論してるではありませんか。
――遡ること数分前。順調にプログラムをこなしていき、次は借り物競走だった。
借り物は人物に限定されていて、それぞれ出されたお題の人物をこの会場から見つけ出し、一緒にゴールした時点でその人を選んだ理由をマイクに向かって話すというものである。
この競技はどうやら並中伝統のもので、これで「好きな人」がお題に出て公開告白すると恋が叶うなんてジンクスがあるらしい。
ずいぶんキラキラした笑顔で持田先輩が教えてくれたときは、(へえ〜実況で言ったらおもしろそう)程度にしか思っていなかった。だって私は参加しないし――と思っていたのに。
競技が始まって絶賛実況中の私のとこに来たのが獄寺だったのだ(参加してたの?)。
何を勘違いしたのかうちの委員長に「行ってこい!」と思いっきり背中を叩かれてテントを追い出されてしまった。
『あ、あの…獄寺くん?』
「オレと一緒に来い」
恐る恐る伺えば、何を考えてるのかわからない真面目な顔でそう言われた。
委員長の「山本武とならぶ並中イケメン男子がうちの秋山を呼び出しましたァ!」という偏った実況に会場がどよめく。どこかで女子の悲鳴も聞こえた。
やめて!?別にお題は多種多様だからね!?「気に食わねーやつ」とかもきっと入ってるよ!
「オレにとってこう思えるのは、てめーだけだった」
だから行くぞと、半ば無理やり腕を引かれてコースに足を踏み入れてしまった。
会場の歓声と悲鳴がぐちゃぐちゃになって耳に届く。
「ちょっと待ちなさい!」
困惑だらけの頭の中にひとつ凛とした声が響いた。
と思った瞬間には、獄寺に掴まれていない方の手を引っ張られ思いっきり引きはがされていた。
「千尋さんに乱暴しないでいただける!?」
『花輪さん…っ』
我らが輪島花子の毅然としたご登場である。少し息が乱れてる。走ってきてくれたのかな。
変わりに獄寺の機嫌は一気に急降下だ。
「…あ?」
「私のこのお題も千尋さんが適任ですの。だから彼女は返していただくわ!」
「は?オレが最初にコイツんとこに来たんだからオレにその権利はあんだろーが」
片腕ずつ掴まれ引っ張られ、そうして先ほどに戻る。
「だいたい貴方は不良でしょう!なに真面目に参加してるのよ!」
「関係ねーだろ!オレはA組の勝利が十代目の勝利だと思ったから参加してんだ!」
じゃあA組同士仲良くしよう?
二人が喧嘩してる間に次々と他のクラスがゴールしちゃってるよ?
「千尋ー!」
いつまでも終わらない口論に現実逃避しかけていたとき、遠くから私を呼ぶ声。
B組のゼッケンをつけた持田先輩が満面の笑みで駆け寄ってきた。
「千尋!オレ引いたんだ!引いたんだよアレを!」
『アレ…?』
感激に泣きそうな顔をしている持田先輩が私の肩を掴んで揺さぶる。
「ほら行くぞ千尋!ゴールしたらよ〜く聞いとけよ!」
『っあ、ちょ、せんぱ…』
横の二人がまるで見えてないように、後ろに回ってぐいぐいと背中を押される。
もちろん突然の邪魔者を許すわけもない二人のターゲットは持田先輩へ。
「なんだてめー」
「出たわね諸悪の根源…」
「え、なに、怖い顔して…」
「「邪魔」」
バキッと鈍い音が重なる。
顎にクリーンヒットした二つの拳をもろに受けた持田先輩は白目を向いてゆらりと倒れた。
『せっ、せんぱいいいいい!?』
地面に仰向けになった先輩を揺り起こすが反応がない。
なんか最近揺り起こしてばっかりだな!
「さあ残るは貴方ひとりね!獄寺隼人」
「…はぁ、めんどくせーな」
まだやんの!?
好戦的な花輪さんに比べ、だるそうに頭をかく獄寺と目があった――目があった?
『ぐぇっ』
「オレはとっとと十代目に貢献してーんだ」
世界が反転したと思ったときには鳩尾が潰される感覚。いつのまにか獄寺に俵担ぎされていた。
『は!?なにっ…』
「黙ってろ秋山。舌噛むぞ」
ちょっとー!?と花輪さんが叫ぶ声が小さくなっていく。
肩に担いだ私をものともせず軽快に走り終えた獄寺はゴールラインを踏んだ。
歓声と悲鳴が耳に届く。今やすべての視線は私達に注がれている。
「では、第4位のA組はマイクに向かってお題をどうぞ!」
楽しそうなうちの委員長がわざわざ放送席から飛び出してきやがりました。
「4位だと!?」
その報告を聞いた獄寺は掴みかからんばかりの形相になったが、やがてガシガシと頭をかくとマイクを無視してこちらに寄ってきた。
「…ほらよ」
そう言ってぶっきらぼうに手渡された小さなカード。
顔を上げた時には獄寺はもう背を向けてコースから退場していた。
これがお題だったのかな、とめくるとそこに書いてあったものに目を見開いた。
まさか、だってあの獄寺隼人がこんなこと。
「私の“親友”は千尋さん以外いないわよ!ゴールなんかしないわ!」
「くっそぉぉなんでだー!せっかくジンクスが達成できると思ったのにー!」
地べたに座り込んで不満を吠える花輪さんといつのまにか意識を取り戻した持田先輩が嘆いている。
「親友」「好きな人」のカードじゃなかったらいったい…?観客の視線が私の手元のカードに集まる。
『……“同士”』
ぽつりと呟いたカードに書かれた言葉は周りの耳に届かなかった。どうしようもなく胸がむず痒くなる。
沢田くんの「友達」だとか獄寺の「同士」だとか、いったい、いつの間にこんな場所に?
「…もうそろそろ、時間かな」
混乱する私を、「彼」が切なそうに見つめていたなんて気づかなかった。
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title by 彼女の為に泣いた