《第19話》
あのショッピングの一件から、フゥ太もどうやら少しずつ心を開いてくれたようだ。
フゥ太の方から話しかけてくれたり、家のお手伝いをしてくれたり、笑顔を見せてくれることも多くなった。
だからこそ、明日から学校が始まる…なんてことを言いづらくなってきた。この朝のうちに言っておかないといけないよね、やっぱり。
夏休みの宿題ラストスパート、懸命にシャーペンを動かしながら考えることは居候のことだった。
「千尋さん…おはよう…」
宿題の最後のページを埋め終わったと同時にフゥ太が起きてきた。
『おはよう、フゥ太。顔洗っておいで』
「うん…」
まだ眠そうに目をこするフゥ太はフラフラと手洗い場に向かって行く。
それを見届け、宿題を片付けてから朝食の準備をする。つくっておいたハムとチーズだけの簡単なサンドイッチとオレンジジュースを冷蔵庫から取り出す。
テーブルについたフゥ太が飲み物をコップに注ぐ。その間に私が朝食の準備。いつの間にか定着した役割分担に内心嬉しくなる。
「『いただきます』」
不意に揃ったかけ声に、どちらともなく小さく吹き出す。
ああ、こういうのっていいな。家族みたい。…フゥ太もちょっとだけそう思ってくれてないかなあ。
「そういえば千尋さん、僕ずっと気になってたんだけど…」
『ん、んっ?なに?』
「あの、いっぱい積んだ本。ああいうのが好きなの?」
そう言ってフゥ太が指さしたのは、今ではフゥ太の部屋となった一室の端に積まれた数冊の本。
なんとも曖昧な表情を浮かべるのも無理はない。あの本は獄寺から貸してもらったり、図書室で吉田くんにアドバイスを受けながら借りたり、はたまた自分で買ったオカルト本なのだから。
『うーん…好きってわけじゃないんだけど…べ、勉強のため、かな?』
「べんきょう……」
笑顔を浮かべる顔がひきつる。ほら、フゥ太もちょっと引き気味だ。
「今は読まなくていいの?」
『うん、今はいいんだよ。必要ないから』
そう、必要ない。
フゥ太をツナに無事引き渡すまでは、きっと元の世界に帰ってはいけないから。
『ところで、今日は何食べたい?』
不思議そうなかおをするフゥ太にごまかすように話をかえた。
「え?…んーなんでもいいの?」
『うん、なーんでも!』
素直に考え出してくれて一安心。
「じゃあ……ハンバーグが、いいな」
『ハンバーグ好きなの?』
「うん、だいすき」
照れくさそうに頬を緩めるフゥ太の頭を衝動的に撫でてしまった。
『あ、ごめんっ思わず、』
「………べ、つに」
『え?』
「…やじゃないから」
慌てて手を引っ込ませた格好のまま固まる。
『い、やじゃないの?』
「いやなんかじゃ…!ないよ、ぼくは、千尋さんだったら…嬉しいから」
真っ赤なかおでモジモジと口にしたフゥ太をたまらず抱きしめた。
あんなに拒絶されてたのに、ああ、もう
『すごくうれしい、フゥ太』
「ふふっ…」
くぐもった照れくさそうな声を耳元で聞いた。フゥ太は胸がくすぐられるようなかわいい笑い声なんだね。
「あのね千尋さん、今日聞いてほしいことがあるんだ」
すっと体を離して真剣な顔でこちらを見つめる。
わかった、そう頷いて私もフゥ太を見つめ返した。これからの二人にとって大事な話なら、お腹いっぱいおいしいごはんを食べてからにしよう。
『フゥ太、こっち!』
照れたようにふふふと笑いあったのが数時間前。
卵の入った買い物袋を慎重に扱うなんてこと頭から吹っ飛んでしまう事態発生。
『フゥ太…マフィアだ。逃げるよっ』
急いでフゥ太の手をとって走り出した。わけもわからないまま着いてくるフゥ太に、声を落としてそれを伝えた。
スーパーから出た途端に目に入ったのは黒のスーツを着た外人風の集団。もしかしたら関係ない人かもしれないし、沢田くん関係かも…とちょっと過敏すぎると思いながらも、彼らがちらりと銀色の銃を見せた瞬間にはフゥ太の手をひっつかんでいた。
気づかれる前に逃げないと。
家までの道を遠回りで走り続けた。やっとの思いで着いた頃には、汗で額に前髪が張りつくくらいには疲労していた。
玄関の鍵をしっかりかけて、そこでやっと息をつく。
『っはー…よかった…なんとか撒けて』
ね、とフゥ太の方を向くと何故か困惑したような、それでいて辛そうな表情を浮かべていた。
『フゥ太…?』
「な、なんでっ…なんで千尋さんが!」
服の裾をぎゅっと引っ張って小さく震えている。その手をそっと離させて、フゥ太の両手をそれぞれ自身の手で握った。
屈んだ状態から、フゥ太を見上げる形でなるべく優しく声をかけた。
『フゥ太、どうしたの?』
「っ…!…千尋さん、まで、逃げる必要ないのに…ぼっぼくが日本に連れてってなんて言ったから…!」
『…そんなの、気にしなくていいのに』
もしかして、マフィアから逃げている間ずっとそれを考えていたのだろうか。
フゥ太はぶんぶんと首を横に振った。
「こうなるって、わかってたのに…!僕は、マフィアのオトナたちと同じように…千尋さんを利用したんだ…!」
とうとうボロボロと涙を流し始めたフゥ太の頬をそっと指で拭う。
「ごめんなさい…ごめんなさい…!おいしいご飯も、あったかい布団もくれたのに…!」
『フゥ太…』
「ぼく、僕、こんなんだからっ大切な人はつくらないって決めてたのに…辛くなるのはわかってたのに、千尋さんがやさしくするからぁ!」
『いや、だった?』
「いやなんかじゃ、ないっ!…こ、こんなに、あったかく迎え入れてくれたのはじめてだったもん…」
抱きしめてあげたかった。だけど、今はフゥ太の目を見て話を聞いてあげることが大切だから、それはしない。
フゥ太は目をこすって涙を拭いたあと、不安そうに瞳を揺らした。
「ねえ、なんで…情報がいらないのに僕にやさしくするの…?情報を持たない僕は、ただの、役に立たない、ガキだって、」
言ってた。たくさんのオトナたちが。
消え入りそうな声でフゥ太は続ける。
「…どうしようもないときがあったんだ。雨の日で、うまく力が使えない日。逃げるのに失敗してまた同じマフィアに捕まった」
「それで、僕は、どうしようもなくて、痛いことされる前に情報を与えたんだ。ケガなんかしなかったけど…心はとっても痛かった」
「僕の情報でいったい何人の人が死んだんだろうって考えたら、苦しくて、痛くて」
しばらくの間のあと泣きそうに細められた瞳が見えた。
「なんで僕、こんな力持っちゃったんだろう」
大丈夫、大丈夫だよ。そう言ってフゥ太の震える背中を撫でる。
『あなたのその力は素敵だよ。ねえフゥ太、怯えないで。私も一緒にその力を正しく使ってくれるところを探すから』
「いっしょに…?」
『うん、一緒に。私だって…フゥ太は大切な人だから』
やわらかな髪質の頭を撫でると、とうとうもう一度フゥ太は泣き出してしまった。
『私も謝らなきゃいけないんだ。私こそ、フゥ太を利用してた』
「え…?」
『友達とか、そういうのよりも強い繋がりが欲しかった。だからひとりぼっちのフゥ太に自分を重ねて、寂しさを紛らわすように家族みたいなことをしてたんだね、きっと私は』
この世界に放り出されてから、ふと訪れる強い孤独を埋めたかった。無理やり地に足つけるように、この世界のものに没頭したかった。
『…この手を掴んでてほしかったのは、私のほう』
恐ろしかったのだ。まるで元の世界から「いらない」というように捨てられた感覚が忘れられない。だから私はこの世界からも捨てられることに怯えていた。そんなの、もう今度こそどこに行けばいいのかわからないじゃないか。
「…でも、千尋さん。僕はうれしかったよ」
フゥ太の顔が見れずに下を向いていたら上から声が降ってきた。
「僕はすごくうれしかった。安心した。千尋さんと会えてよかったと思った。だから……これはきっと正しいことなんだね」
涙がかわいたフゥ太がすっきりしたように笑顔を見せる。
「こういうのって、りがいのいっちって言うんだっけ?」
ああ、いったいどっちが慰められてるんだ、なんて思わず吹き出してしまった。
私は小さく流れた涙を拭い取って、思い出したように立ち上がった。きょとんとするフゥ太の手を引いて、リビングに到着するとソファーに座らせる。
自室から持ってきたのは紙製の小さなショッピングバッグ。
二人でショッピングモールに買い物に行ったときに見つけたプレゼントだ。
『フゥ太に似合うと思って』
フゥ太の首にやわらかなストールを巻いてあげた。
そう、それはどこかで見たことのある白と黒の縞々のストール。びっくりしたようなフゥ太に笑顔を向けた。
『よかったら、もう一度私の家族になってください』
しばらく目をパチパチ瞬かせたフゥ太だったけど、やがて満面の笑みで大きく頷いてくれた。
「ねえねえ家族ならさ、これから千尋って呼んでも…いい?」
『え?うん、もちろんいいけど…。でも千尋姉とかじゃないんだね?(たしか沢田くんはツナ兄だったけど…)』
「んー…千尋はトクベツってこと!」
さっきとは少し違うようなはにかんだ笑み。なんだか意味ありげだけど、特別ならいっか。
ここから二人の仕切りなおしだね。
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title by 息ができない
冬には同じデザインのマフラーを買ってあげるつもり
(※原作でもフゥ太はストールとマフラー使い分けてるからチェックしてみよう!)