《第16話》

いったい何度繰り返しただろう。

目の前に立つスーツを着たオトナ達。愛想のいい笑顔を浮かべて抵抗せずに彼らについていくと、当然のように衣食住を提供される。
僕は満足そうにそれらすべてを行儀よく受け入れるんだ。そうして、オトナもご機嫌なカオで今か今かと僕のもつ「情報」を待ち望んでいる。
今回のオトナは何日持つだろう。何日経ったら僕自身から情報を聞き出そうとしてくるのかな。


「…それで、フゥ太くんに少し協力してほしいことがあるんだけど」


なんだ。一日も経ってないじゃないか。
僕はタイミングよくあくびをして目をこする。


「おじさん、僕なんだか眠くなっちゃって…」

「ああそうか、すまないね疲れているときに…。それじゃあこの話はまた明日にしようか」


さあおやすみ、と名前も知らないオトナに促されて用意された部屋に入る。
今回当たったオトナは随分せっかちな人だったなと小さくため息をつく。もう5日は食事をとれると思ったのに。
明日ははやめに起きてここから逃げる準備をしなきゃ。まずは僕が完璧に逃げれるルートのランキングをして……。

目を覚ましたとき、小さな雨音が最初に聞こえた。
ああ、なんて運がない。それでも逃げなきゃいけないから、大きなランキングブックを広げる。
結果はもちろん、失敗。
だけど今まで伊達にひとりで逃げてきたわけじゃない。小さなからだを利用して狭い路地をくぐりぬけて、追いかけてくるオトナを撒く。

でも、もう正直限界だった。
雨でぬれるし、走り回ってへとへとだった。
雨のせいで人通りがわるい。いつもならここらへんで優しそうな人がかくまってくれるのに。


「(…視界がわるいな)」


頭がクラクラして目の前がチカチカと点滅し出す。
そのとき、角を曲がったそこに僕より年上の女の子が振り返って目を丸くする。それから傘を投げ出して駆け寄ってきてくれている。その腕をめいっぱい広げて―――

僕は、吸い込まれるようにそこに倒れこんだ。
(だから雨はきらいなんだ)



* * *



「本当は千尋さんも連れて行きたいのだけど…」

『ううん、私みたいな部外者がついていっても邪魔になるだけだよ』


だから、ね?としぶる花輪さんの背中を押して船から降りさせた。
それでもさびしそうにこちらを見上げてくる彼女に手を振って見送る。

一息ついて船内を見渡すと、何人かの使用人さんと警備員。
花輪さんとほかの使用人さんはドイツでお仕事をしているというご両親に会うために街に向かっていった。
じいやさんの話によると、花輪さんのご両親は海外を転々とされているらしい。日本に残された花輪さんたちは毎年そのご両親が滞在している国に旅行に行くというわけだ。
もっとも、会いに行くだけというわけでなく、いつか花輪さんが会社を引き継ぐ話もするようなので、それについていくのは遠慮しておいた。


「千尋様」


優しげな表情を浮かべた使用人さんの声に振り返る。


「せっかくの旅行なのですし、少し観光してみてはいかがでしょう?」

『えっ、でも…』

「お嬢様方はきっと夜まで戻ってこないかと思われます。私どもとしても千尋様を退屈させるのは心苦しいので…」

『そう、ですね…』


実はドイツの地に足を踏み入れたくてうずうずしていたのだ。
うーん…わかりやすかったのかな。上の方に連なるかわいらしい屋根から、ずっとにこにこしている使用人さんに視線を移して頷いた。


「あら…雨が降ってまいりましたね」


出かける準備を整えて、部屋から出ると、使用人さんが空を見上げて困った表情を浮かべていた。


『いえ、好都合かもしれません。』


雨に濡れたドイツの街並みもきっと美しいだろうな。
もうひとりの使用人さんがすぐに傘を持ってきてくれたので、お礼を言って船からひとり降りる。
輪島家の船を見上げて、上品に手を振る使用人さん方に手を振りかえしてお辞儀をした。


『それでは、いってきます』


雨が染み込みはじめたアスファルトを踏みしめた。
(雨はすきだから)


* * *


船から降りてどれくらい経っただろう。
街の雑貨屋さんや、それなりの観光地は見て回ったのでそろそろ戻らなければと考えるけれど、視線は相変わらずしっとりと雨水を含んだ屋根をじっと見つめたままだ。かわいらしくて思わず口元が緩んでしまった。
よかった、雨が降ってて。人通りが少ない道の端っこ、そっと傘で顔を隠した。


『…?



どこからかパシャパシャと激しい足音が聴こえる。
不思議に思って、その音の方向に顔を向けると、小さな男の子がこちらに向かって走ってきている。
荒い息遣いに顔色の悪さからただならない雰囲気を感じ取って、さらにその男の子を見つめる。
なぜかその男の子を知ってる気がした。薄茶色のやわらかそうな髪にくりくりとした瞳―――たしか、どこかで…


『フゥ太…?』


確信したと同時に私は傘を投げ出していた。そして腕をめいっぱい伸ばして倒れこむフゥ太を間一髪で抱き上げた。
しっかりと抱えなおし、拾い上げた傘をさっきよりも深く被る。壁の広告を読み上げているふりをして、道に背を向けて壁際に寄った。


「おい、あのガキどこに行きやがった!」

「探せ!まだそう遠くに行ってないはずだ!」


背後でスーツを濡らした何人かの男性が、怒声を上げてこの場から遠ざかって行った。
ドクドクと激しく脈打つのを感じながら、そっと男の子の顔をのぞき見る。

顔色が悪い。それに、長時間雨にあたっていたのか、子どもにしては体温が低すぎる気がする。
―――それにしても、なんでドイツにいるんだろう。
いや、今はそんなこと考えてる場合じゃない。
自分の着ていたパーカーをフゥ太に羽織らせて、なるべく体温を与えられるようにぎゅっと抱えなおした。




「千尋さん…?どうしたのその子…」

『事情はあとで話すよ。とりあえず、お願い、この子をあったくして寝かせてやりたいんだけど…』


船に戻ったら、花輪さんもじいやさんもすでに帰っていた。
私の雰囲気や抱えた子どもに、事情を察してわけもわからにまま準備してくれた。

タオルで濡れたからだを拭いて、使用人さんから渡された子供服に着替えさせて(事態を把握してすぐに買ってきてくれた)、今では顔色もだいぶよくなって穏やかな寝息を立てている。


『――もう大丈夫だよ、フゥ太』


フゥ太のやわらかな髪を優しく撫でたあと、フゥ太を寝かせている自分の部屋から出た。
部屋の前には花輪さんが戸惑った顔をして立っていた。


「体調はどう…?」

『だいぶよくなったみたい。ありがとう、花輪さんたちのおかげだよ』

「それくらい構わないわ。…ただ、一体…」

『まだ、その…男の子が起きてからじゃないと詳しく話せないんだけど、私が一方的に知ってる子なの』

「千尋さんが知ってる…?」


おかしな話だと思う。ドイツのある町で知り合いに出会うなんて。でも、説明しようがないのだ。それに親身になって聞いてくれる彼女をごまかしたくない。


『…その……。』

「…まだ詳しく話せないのね」


黙り込んでる私に嫌なかおひとつせず、仕方ないという風に笑ってくれた。


『もしかしたら、花輪さんをすこし巻き込んでしまうかもしれないから』

「何をいまさら。私はいつだって貴女の味方よ」


迷った末に出した言葉に花輪さんはあいかわらずの表情。
彼女の瞳はいつも迷いを断ち切る光が見える。


「じいや達にはテキトーに言ってごまかしておくから、貴女はしっかりその子の面倒を見てなさい」

『…ありがとう、花輪さん』


お礼を言うと、彼女はやっぱり真っ赤になってしまった。





―――フゥ太。

僕の名前を呼ぶ、優しい声を聞いた。
久しぶりに温かな声で呼ばれてうれしかった。最後に呼ばれたのはいつだったんだろう。

ふと暗闇から意識が浮上する。
クリーム色の天井が見えた。たしか僕は――マフィアから追われてて、もう限界だと思ったとき、目の前に傘をさした女の子が見えたんだ。
それからその子は振り返って僕に気づいてその腕をいっぱいに僕に伸ばして――


「…それが、仕事の関係で急きょ日本に戻ることになってしまって…。バタバタしててごめんなさい」

『ううん、私は構わないけど…』


ドアの向こうから女の子の声がして顔を右に傾ける。どちらかが僕を助けてくれた子だろうか。
話し声が途切れて、ガチャリと部屋のドアが開かれる。


『あっ、目が覚めたんだね』

「あの…っ」


お礼を言うために上半身を起き上がらせようとしたら、女の子はあわてて僕をベッドに寝かせた。


『だめだよ、まだ寝てなきゃ』

「あ、りがとうございます…」


女の子は流れるような動作で僕の額にてのひらをおいた。あったかくて、なんだか安心する。
大丈夫みたいだね、とほほ笑むとそばにあった椅子に腰かけた。


『はじめまして。私は秋山千尋』

「日本人…?」

『そうだよ』


日本といえば、僕が昔から会いたがっていた総合力ランキング最下位の「沢田綱吉」がいる国だ。
それに、イタリアから流れてドイツに居座ってるマフィアからも逃げられるし…。
すぐにそんなことを思いついてしまう自分にすこし嫌気がさした。


「僕はフゥ太。さっきは助けてくれて本当にありがとう」


千尋さんはそれを聞いてなぜかすこし苦い顔をしたけど、すぐに困ったような笑顔になった。


『ねえ、なんで君は追われてたの?』

「それは…」


まっすぐに核心をついてきた千尋さんと目が合わせられない。
おかしいな、いつもならもっとうまくごまかせるのに。なんで僕は、まだなにも知らないこの人にごまかしが効かないなんて思ってるんだろう。


「その…千尋さんこそ、なんであんな雨の日に出かけたの…?」


わかりやすすぎる話の変え方。
それでも千尋さんは機嫌を損ねずに、ひとつうなずいて答えてくれた。


『まあ確かに…観光するには向いてない天気かもしれないけど、雨に濡れた街並みもきっと美しくて私とっては貴重な光景だと思ったんだよ』

「…千尋さん、まるで雨がすきみたい」

『え?うん、好きだよ』


驚いてまばたきを繰り返すと、その反応に驚いたのは千尋さんだった。
雨がすき、とか、僕には理解できない。


「なんで…?だって、雨はじめじめして気が滅入るとか…外に出かけれないとか言ってみんなきらいなのに」

『うーん…みんなじゃないと思うよ?』


考え込むようにしばらく指を口元においた千尋さんは、やがて小さく口角を上げた。


『私は、雨が降る前の鼻がきゅんとなる匂いもすきだし、車の窓についた、外の景色に色をつめこんだ雨粒もすき。それに雨音を聴きながらお昼寝するのなんて最高なんだよ』


それは僕の知らない世界の話のようだった。僕のきらいな雨の日にも、やさしくて、きれいで、安心する世界があるなんて知らなった。


『…ああそうだ、雨の日の傘の中は人の声がとっても美しく聞こえるっていうのも聞いたことあるよ』


そう言ってとびっきり優しい笑顔を見せてくれた千尋さん。
まるで内緒話をするように小さな声で言うから、僕の瞳は星がこぼれおちそうなほどいっぱいに見開かれた。
それから何度か口を開閉し、意を決して唇を動かした。


「…千尋さん」

『ん?』

「ぼくを…僕を日本につれていって。…僕を千尋さんのそばにいさせて」


千尋さんは一瞬目を丸くしたけど、やっぱり優しく微笑んでうなずいてくれた。
そこには「沢田綱吉」に会いたいから、という気持ちももちろんあったけど、ちがう、それだけじゃなくて

僕は、このひとの見てる世界をおなじように見れたら、なにかが変わる気がしたんだ。


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title by 夜に融け出すキリン町
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