《第13話》
「…なにやってるの」
頭上から冷たい声が降ってきた。
ビクリとからだが飛び上がる。
もはや拒絶反応だ。恐る恐る視線を上げると、なんとまあ冷たい目で見下ろす雲雀恭弥の姿が。
『い、いまどきますので』
「僕は、なにやってるのって聞いたんだけど」
冷たい声から少しだけイライラしたような声にチェンジ。
これはイカンと急いで立ち上がって、これ以上雲雀の機嫌を損ねないように姿勢を正す。
『お、落ち込んでたんです』
「…は?」
『こんなはずじゃなかったと言いますか、なんだか、思い通りにいかなくて…うずくまって落ち込んでました…』
脳裏にチラチラとあのときの光景が現れる。
真っ黒なハットに真っ黒なスーツ。小さなからだに似合わない不敵な笑みを浮かべた彼に認識されてしまったのだ。
後戻りが格段に難しくなった。
雲雀恭弥とうっかり出会うくらい、もしかしたら可愛いモンなのかもしれない。
そう考えてちらっと彼を見上げると、ほとんど呆れたような視線をよこしていた。
いや…やっぱりどっこいどっこいだ。
「きみは落ち込んだら、中庭の外れの人通りの少ない通りにあるベンチの前でうずくまってるの」
『……ベンチに座る気力さえ奪われてたんです』
「あっそ。きみの愚痴はどうだっていいけどさ」
そうだ彼は心理カウンセラーなんかではないのだ。
むしろ恐怖政治で人民の発言の自由を奪い取るような人物だった。
「ここはきみも知ってるように人通りが少ない。不良の格好のたまり場になる。だから今日も僕が見回りにきたんだけど」
みるみる青い顔になっていく私をよそに、雲雀は淡々と言葉を繋いでいく。
「…きみはたまたま運がよかったみたいだね、新入生」
皮肉めいたそれに居心地悪くなって『これからは気をつけます…』と私は視線を泳がせた。
「まあそんなことよりさ、きみ最近学校きてた?」
『えっ?きてましたけど…』
「ほんとに?」
『まだ一回も休んでませんから…!』
突如始まった尋問に半ば反抗的に答えると、雲雀は至極うれしそうに「へえ…」といい笑顔を見せた。
私は即効で後悔にのた打ち回りたくなった。
「ほんときみって模範生だね。これからもその調子でいって」
『あ…ありがとうございます……』
なにがありがとうございますだ!
これ以上雲雀恭弥の私に対する株を上げてはならないのに!
「じゃあ遭遇できなかっただけか」
『え?』
「そろそろ新しい意見が出てきただろうって、きみを探してた」
これ以上ないくらいに背筋が凍りついた。
この雲雀恭弥…並中のためなら名前も覚えてないたったひとりの生徒を探してまで並中改善に努めているのか。もう別の意味で恐怖を感じる。
「で?なにか改善するとこあった?」
『ええー…ううん…そうですね…』
そんな突然言われましても。
しばらく黙りこんで考えていたら、雲雀恭弥の機嫌がどんどん悪くなっていくように見えた。なんて理不尽!
「僕だって暇じゃないんだけど」そんなことを口に出そうとしていたであろう寸前、ハッと脳裏にあのときの光景がよみがえった。
『あのっ!この前不審者が…!!』
「……は?」
『ああいやその不審者っていうか…侵入者っていうか子どもだったんですけどその…
』
「それ…朝でも放課後でもなく?授業中?」
『えっ…あ、はい…家庭科の授業のときに』
言い終えてから「だからなに」と一蹴されそうだと気づいて身構えたのに、案外食いつく話題だったようだ。
「おかしいね……並中は学校の関係者以外は侵入できない仕組みになってるんだけど」
『(どこの軍事施設だ)』
「それに子どもって言った?」
『えっ…あ…そ、そうです』
ただの赤ん坊じゃないけどね!
むしろ中身は超一流の暗殺者ですから!
「その子ども、ちょっと興味あるな……」
うわあなんだか聞いたことあるようなセリフを生で聞いてしまった。
雲雀は機嫌よく笑ってみせると、どこかに連絡して
「じゃあ、今日はいいこと聞いたよ。またよろしくね」
そう言って颯爽と立ち去ろうとしたのだった。
『あ、あの!すみません!もういっこだけ!』
急に思い出して雲雀を呼び止める。
もちろん嬉しくはないけどこんな意見言えるのは私だけらしい。ならば活用したって問題ない。
『グラウンドに…その、ライトをつけてもらいたいんです』
「………。」
『あの、夕方暗くなっても練習してたりする部員もいますから…危ないんじゃないかなって!せめて明かりのある場所でと…!』
先ほどまでのご機嫌顔とうってかわってみるみるうちに無表情に戻っていく雲雀恭弥。
「それ、野球部の山本武のこと言ってる?」
まっすぐな視線が突き刺さる。
原作では関わってなかったけど、やっぱり知ってたんだ。
そりゃそうだよなあ、並中を取り仕切るボスだもんね…。
「あのときは他校の風紀を正しに行ってたから並中にはいなかったけど、もし僕がいたら彼は自殺する前に僕に殺されていただろうね」
私もそう思います。
ただでさえ弱い人間は嫌いなのに、自ら死のうとする人間なんて雲雀からしてみれば理解不能なんだろう。
「これ以上自殺志願者が出ても困るから考えてあげるよ」
『あ、ありがとうございます…!』
そういい残して今度は何も言わずにここから立ち去っていった。
自分から雲雀に話しかけるなんて…今更ながら胃がキリキリ痛み出してきた。
感謝されてもいいくらいだよ山本…。
この日はそれからいつも通り授業受けて獄寺と借りた本の内容を談義して(一方的にあっちが話してただけ)、そこに山本がやってきて勝手に野球談義にチェンジさせて(ひとりで)沢田くんが入ってきて止めたあと、やんわり「今度はいつ家に来るの?」的なことを言われその場はなんとか濁した。
いくよ、いくけどまだお礼準備してないんだよ!悩んでて!
その後は花輪さんを部活に送り出して、彼女がおわるまで吉田くんと図書室でオカルト本を消化。
今日もこれといった手がかりはなかった。完全に詰んでる。
ふうっと大きなため息をついて本を静かに閉じた。それから隣で「地球滅亡のサイン最新版」に集中している吉田に声をかけた。
『吉田くんさ…今日なにたべたい気分?』
「えっ?……えーと…今日はそうだな……牛丼かな」
『あー牛丼!いいね。うん、今日は牛丼つくろ』
吉田くんにはこんな風にときどき夕飯を決めてもらっているのだ。
それから吉田くんも読み終わって別れた後、花輪さんを高級車まで送り届けた。
問題はここからだった。直後に運悪く持田先輩に見つかってしまったのだ。
『夕飯の買出しがあるんで寄り道はちょっと……』
「そうなのか?じゃーオレが手伝ってやるよ!」
しつこく遊びに誘う持田先輩にほとんど直接的に断ったはずだけど、なんだかんだで流されてしまった結果、買い物に付き合ってもらった上に荷物もちまでしてもらった。
先輩としては当初遊ぶ予定だったのにこれはなんだか申し訳ないなあ…。
『先輩、今日はありがとうございました』
「礼なんかいらねーよ!オレは楽しかったしな!」
改めて見直してみると先輩はなかなか爽やかに笑う人だと思う。
京子ちゃんと別れて反省して、本当にいろいろ浄化したんだな。
「ところで何つくる気なんだ?」
『あー…牛丼にしようかなって思ってます』
もう角を曲がって見えた公園の先のほうからオレンジ色の光が差し込んできた。まぶしさに思わず目を細める。
狭めた視界から見えた持田先輩の表情は、なんだか理解できないほどの笑みだった。
「オレさあ、女子ってケーキか飴玉しか食わないと思いたいんだよ」
『え?』
「かわいい女子に夢見てた。ずーっと。姉ちゃんがひでえっていうのもあるんだけどな」
「でも千尋が牛丼食ってるとこ想像して、なんかそれもかわいーなって思っちまったんだな、いま」
『は、はあ……』
なるほど。持田先輩ってけっこうストレートで情熱的なんだ。
うん、この調子なら今までの5倍ほどモテますよきっと!
『でも、飴玉はあんまりですよ』
「あめだま!?」
おかしくて思わず吹き出したときだった。
足元から舌ったらずな幼い声が聞こえたのだ。
『え…?』
「ねえいまあめだまっていった!?ランボさんねっブドウがすきだもんね!」
もじゃもじゃの真っ黒な髪の毛に牛柄の全身タイツの小さな男の子。
それに加えていま、「ランボ」って。
なんでこのタイミングで!
「ん?なんだおまえ」
「ランボさんはオマエじゃないもんね!ランボさんだもんねー!」
そう叫んで、抱えようとした持田先輩の手を振り払って私の足にぎゅうっとしがみついてきた。
『お、わっ』
「らっ、ランボさんは…!ランボさんは〜…!!」
近所一帯に響くように叫びながらじわじわと大きな目に涙をためていく。
それからとうとうポロポロと泣き出してしまった。
私はランボと同じ目線になるようにかがんだ。
「り、ぼんっと、けんかっした、から、かえっ、かえれないんっ、だっもんね…!」
『だいじょうぶだよ。みんな君のこと待ってるよ?』
あー…リボーンにぶっ飛ばされてこっちの、私の家の近くの公園まで飛んできたんだろう。
なるべくゆっくり優しく諭しているつもりだけど、ブンブンと思いっきり首を振るランボ。
おかしいな。普通なら泣きじゃくってもまたリボーンに仕返しするはずなのに。
「お、なかがペコペコでっ!うごけないんだもんね!!」
『な、なるほど…』
大泣きするランボが目の前から消えたと思ったら、頭上で持田先輩に抱えられていた。
「腹減ってても住んでた場所くらい言えるだろ?兄ちゃんが送ってやるから元気だせ」
「ハラペコでしゃべれないもんねー!」
「しっかりしゃべれてんじゃねーかっ」
上でぎゃいぎゃい騒ぐランボを見てたらやることはひとつのように思えてきた。
たぶん、いまはどうあがいてもリボーンに会いたくないんだな。
やっぱりここはしばらく時間をおいておちつかせるべきなのだろう。
『ランボ、牛丼すき?』
「ぎゅーどん?うんとねえ、ランボさんねえ、ぎゅーどんすきだよ!」
『じゃー決まり。私んちで牛丼食べてからおうち帰ろうね』
大丈夫すぐそこだから、と持田先輩の腕からランボをこっちに抱えた。
ただでさえ持田先輩は荷物でいっぱいなのにこれ以上負担を増やしてはだめだ。
『すみません先輩、私あのマンションなので荷物そこまでお願いできますか?』
「それは最初っからそのつもりだけどよ……なんかこれって」
『これって…?』
「はたから見れば夫婦みたいじゃねー!?」
『見えませんよ』
私の部屋についてすぐに持田先輩は玄関に向かった。
買い物についてきてくれたお礼に夕飯を食べていってもらう予定だったけど、「女子の部屋にむやみに入らない」という武士道を守るらしい。変なとこでまじめな人だ。
『本当にありがとうございました。なのにお礼もできなくて…』
「いやそれはいいんだけどな…ていうかおまえもちょっとは警戒しろよな!ひとり暮らしなんて聞いてねーし…!」
『はあ…警戒ですか…』
「警戒するにも満たねーみたいなかおすんな!まあ、さ、お礼は今度遊んでくれればそれでいいから!」
そう言って颯爽と帰っていった持田先輩。そこまでして武士道を貫き通すなんてちょっと見直しました。
うしろではランボが「まだー?」とだだをこねているのでそろそろつくり始めることにしよう。
『すぐできるから、待っててね』
「うんわかった!――…。」
『どうしたの?』
急にだまりこんだランボと目線を合わせて首をかしげた。
「ランボさん、おまえのなまえしらないもんね」
『あ、そっか。教えてなかったね。私は……』
そこで口をつぐんだ。
このまま素直におしえて、帰ったあとペラペラしゃべりそうだな。
これ以上リボーンにマークされたくないからどうしよう…。
『……ヒミツ。』
「ひみつ?」
『うん』
『ひみつぅ?へんななまえー!』
あっそういう解釈されちゃったか!
まあいいだろう。それでバレる心配はない。
「ヒミツ!はやくっ!ぎゅーどんだもんね!」
『はいはい今つくりますよー』
このまま「ヒミツ」のままの関係でいれますように。
なんて願いながらも、久しぶりにさわがしい部屋に楽しさがひょっこり顔を出していたのは見ないふりをした。
さあ、腕をふるった牛丼をお腹いっぱい食べてもらって帰ってもらおう!
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