《第12話》
『本当にほんっとうに!お世話になりました!』
「あらあらいいのよ千尋ちゃん、気にしないで。また何かあったときは頼ってね」
『……ありがとうございます。また後日ちゃんとお礼にきますから』
もう一度深々と頭を下げる直前、困ったように微笑む奈々さんのかおが見えた。
「お礼としてこなくてもいいのよ。あなたが来たいときに来てくれればそれで」
奈々さんの優しい言葉に揺れそうになるが、ぐっとこらえた。
このまま甘え続けたらきっと戻れなくなってしまう。
私は曖昧に笑うだけにした。
「それにしても、もうちょっとゆっくりしていってと言いたいとこだけど…女の子だものね。家に帰って学校に行く準備もあるから仕方ないけど…ツっくん起こさなくてよかったのかしら?」
『はい、昨日心配かけて夜遅くまで起きててもらってたのに今起こすとかわいそうですから…。沢田くんには学校でお礼を言わせてもらいますね』
現在時刻は6時過ぎ。
少し前に具合を確かめにきた奈々さんの足音で起きた私はすっかり熱が下がっていた。
それから「もう少し寝てて」と言ってくれる奈々さんの気づかいを断って一旦家に帰ることにしたのだ。
『…それじゃあ、奈々さん。本当にありがとうございました』
「本当にいいのよ。私、まるで娘ができたみたいで楽しかったんだから」
おちゃめに舌を出す奈々さんに思わず笑みがこぼれる。
それから奈々さんは私にそっと近づくと、優しく抱きしめて背中を撫でてくれた。
『奈々さん…?』
「ひとりだからって、あんまり無茶しないでね」
奈々さんはそっと離れるとやわらかく頭を撫でて眩しそうに目を細めた。
私はじわりと目頭が熱くなったのをごまかすように何度も頷いた。
『…また、来ます。ぜったい』
きっと彼女が一番聞きたい言葉はこれなんだ。そして、私ができる最大のお礼なんだと思う。
本当はこれ以上関わっちゃだめなのは知ってる。いつか離れがたくなってしまうことも、自分も相手も苦しめることも知ってる。
だけどほら、奈々さんが「よくできました」とやっと嬉しそうに笑ってくれたから。
いまはきっと、これでいいんだよね。
身支度を整えてから、いつもの時間に家を出た。
ああもう本当にすっかり体調はよくなっている。すっきりしたからだで足取りも軽い。
歩きながら考える。―――お礼。いったい何を渡したら喜んでくれるんだろう。夜中までずっと心配してくれた沢田くんへの感謝と、もう一度奈々さんのあの笑顔が見たいと思った。
「秋山さん!」
「千尋!」
教室に入った途端、沢田くんと山本が駆け寄ってきた。
うしろから獄寺くんも大股で近寄ってくる。
「よかった元気そうで…!もう治ったんだね、安心したよ」
『沢田くんのおかげだよ。本当に昨日はありがとう。それに、何も言わずに帰ってごめん』
「や、いいっていいて!オレが起きれなかっただけだし……!」
『でさ、朝は時間なくて沢田くんにも奈々さんにもちゃんとお礼できなかったから、また今度お家に寄らせてもらっていいかな?』
おそるおそる尋ねてみた。
昨日の晩、沢田くんにあんなに冷たいことを言ってしまった人間にもう一度来てもらいたいなんて思うのかな。必要に迫られたわけでもないのに、普通は快く思わないだろう。
だけど、ほら、(少しだけ確信してたんだ)沢田くんは嬉しそうに瞳を細めて笑うと「もちろん」と大きく頷いた。奈々さんとそっくりの優しい笑顔で。
沢田くんってどうしてそこまでお人よしでいられるんだろう。なんだか予想通りすぎて少しだけ笑ってしまった。
そんな沢田くんの横からぬっと出てきた山本も、負けず劣らずのまぶしい笑顔を浮かべていた。
「ツナから聞いてさあ、オレらも心配してたんだぜ。なっ?獄寺?」
『えっ』
「は、はあ!?別にオレは……っつーか秋山!てめーはまた10代目に迷惑かけやがって!」
獄寺はあいかわらずだった。
いやべつに心配してほしかったわけじゃなかったんだけどね…。
なにか勘違いしている山本が獄寺を小突いているが、見るからにイライラを募らせている彼はとつぜん私の腕を掴んできた。
「ちょっと、こい」
『……え…』
「いーからこいっつってんだよ!!」
なんだなんだなんなんだ!
すごい形相で引っ張られるからなにも言えなかった。とうとう廊下まで引っ張り出してきた獄寺は私をガンつけている。
どうしよう、私とうとう締め上げられるのか。
「本当はまた10代目にメーワクかけたてめーを説教してやりてえところだが」
『だ、だが…?』
「病人だったってーならしゃーねえ……いいか?本当は貸したくねえ。でも、まー病み上がりだからな…見舞い品だと思えよ」
『えっちょ、話が見えないんだけど……』
「特別だからな!言っとくけどプレミアだからなこれ!!」
そう怒鳴って半ば無理やり渡されたものは、まさにプレミアと名のつくような金のカバーがかけられた本だった。
『ちょ、あの、獄寺くんなにこれ!?ていうか重い!若干重いよ!』
「神秘の重みだ」
『(なに言ってんだこいつ)』
よくよく中身を見てみれば、相変わらずオカルト臭漂うそれだった。獄寺の私物という時点でわかりきっていたのも同然だったけど。
しかし、なぜこれが見舞い品?やっと今日で借りた本を返し終えるというのになんでまたスタートしちゃったの?それ以前に朝から持ってきてる時点で貸す気マンマンだったよね?
『ていうかなんでわざわざ廊下で……』
「はあ!?そ、そんなの…てめーが怪訝な目で見られないようにしてやったんだよ」
『(自分の方を気にかけたほうが)』
本音を必死に飲み込んで黙って「お見舞い」を受け取ることにした。
これ以上彼を刺激したら不利になるのは経験からしてわかる。経験になるほど関わってしまったのか…と思わず頭を抱えそうになる。
獄寺とふたりでまた教室に戻ると、そこには少しだけ心配そうな沢田くんと、相変わらず爽やかな笑顔の山本。隣を盗み見ればどこか満足げな獄寺。そんな、たかがクラスメートの風邪ってだけで心配したりホッとしたり、お見舞いだなんて。本当になんていい子たちなんだ。いや、もしかして三人の中ではもう沢田くんが言ったとおり友達になってるのかもしれない。
あなたたちがそんなに優しくておせっかいじゃなかったら、こうまでなってなかったはずなのになあ。
誤算と言えば誤算だ。私はため息をつくはずが、無意識に「お見舞い」を抱えなおしていた。
『そういえば今日は家庭実習なんだっけ?』
「忘れてらしたの?」
『うん…』
隣で1万2千円するらしい淡い花柄のエプロンを着用しながら花輪さんは唇をとがらせた。
「私にオニギリの作り方おしえてくださるって約束でしたでしょ?」
『あー…そういえばしてたね』
「そういえばって…」
私は楽しみにしてたのに!とほっぺたを膨らませる花輪さんをなだめかせながら原作を思い出していた。
ええっと、ビアンキも並盛にやってきて、そしてこの家庭科の時間に毒物テロおっぱじめる話だったと思う…。そしてツナが死ぬ気モードでみんなのおにぎり食べちゃうんだったよね、たしか。
中学1年生の女の子が好きな人を思い浮かべたりしながらにぎったおにぎりを味わうことなく飲み込んでしまうなんて罪な男だ。
「ところで千尋さん、オニギリってなんですの?」
こんな例外もいるけど…。
とりあえず私のつくった分はうまく避難させたいと思う。
授業が始まって、花輪さんに教えながらつくった自分のおにぎりはなかなかきれいなかたちになったと思う。塩味のみの真っ白なおにぎりがみっつ。他の子たちは梅やらシャケやらを埋め込んでいたけど、なんだかんだいって素材を生かした味が一番おいしいのだ。米本来の味を噛みしめるべきだよね。だれですかいま色気ないって言ったの。
しかし中1の初めての家庭科実習でおにぎりは正解だと思う。
私の頃は班でみそしるをつくらされた。みそしるって案外ハードル高いんだよね。それぞれ慣れた家庭の味ってものがあるわけだし。結果は大失敗。うっすいわまっずいわで女子はみんな「私…もしかして料理下手なのかも…」とトラウマを植えつけられたほどだ。
だから先生はよくやったと思う。ナイス先生。やったね女子諸君。
もうみんな思い思いのおにぎりができあがって、私もこれで今日の夕飯はおかずをつくるだけだと考えていたら、教室で教科書とにらめっこしていた男子が興奮気味に家庭科室に入ってきた。
「うおー!うまそー!」
「オレおかかすきなんだよなー」
男子の目が輝いている。それはもちろんツナも同様に京子ちゃんのおにぎりを物欲しそうに見ていた。
「変な行事スね」
『(獄寺は一回女子に刺された方がいいと思う)』
女子の純粋な気持ちを雑に扱う獄寺を一瞬にらんだあと、私はこっそり家庭科室が出るようにみんなの死角に移動していた。それからそろりと退室しようとしたときだった。
「あっ、千尋!なんだこんなとこに居たのかー」
捕まえたと言わんばかりに筋張った腕を私の肩に回してきた山本。
な、なんて爽やかな笑顔…!流されるまえにばりっと離れたけど、変わらない笑顔にたじろぐ。
おまけになぜか獄寺もついてきたようだ。そんなに仲良かったっけ君ら?
「言っとくが群がってくる女子から避難してきたんだからな」
『(読まれた…!)』
ていうか避難できてないよほら二人がこっちに移動するから女子の大半の視線はこちらに注がれている状況だ。
しかしそんなことおかまいなしに、山本は私のにぎったおにぎりに手を伸ばそうとしていた。
『ちょちょっ、山本!?』
「ん?だめなの?」
『だめっていうか…!あなたたちは京子ちゃんのに手を…!』
伸ばす流れのはずじゃん!なんで私の夕飯を…!と言葉にできないそれを必死に飲み込んで山本からおにぎりを死守する。
こわい!この子に流されそうになるのこわい!
「…ん…?なんだこれ中身なんも入ってねえじゃねーか」
『…あー!!』
獄寺の不穏な発言に振り返ると、私の真っ白に輝くそれを頬張っていた。
『なんで食べてんの!』
「はあ?いいじゃねえか減るモンじゃねーし」
『いやいや確実に一個減ってる!それ言いたいだけだよね!?』
「…獄寺だけずりーなあ」
小さく聞こえたそれに意識を奪われる前に手元のおにぎりはたった一個になっていた。
『山本まで!』
「だって腹へったしうまそーだし獄寺だけずりーもん」
『二人にあげたい子なら私じゃなくてもいるのに…!』
「それじゃ意味ねーだろ?オレ女子の友達っつったら千尋しかいねーし」
いやいやあなた方の友達に立候補したい子なら山ほどいますから!もういっそ友達以上求めてるからね?
この鈍感っぷりいい加減にしてほしい。はやく彼女つくれよもう…なんて頭を抱えていたらツナの大声が耳に届いた。
「ちょっ、まてよ!何してんだおまえ!?」
「10代目?」
「ツナ?」
そのおかげで二人はツナの元に向かってここから離れてくれた。
ほっと一安心して、ひとつだけ残ったおにぎりと共にこれからやってくる大騒動に関わらないようにそっと廊下に出た。
『けっきょくおにぎり一個…』
しょうがないこれは放課後小腹が空いたら食べよう。今日はカルボナーラが食べたい気分になってきた。買いだめしておいたあえるだけのパスタソースの出番ですよー。
おにぎりを無遠慮に食べられる仲にまで発展していたんだなあとぼんやり考えていたら、家庭科室からツナの暴動に生徒の文句や怒声が聞こえてきた。
これはまた大事になってるなあ。おちつくまで廊下に居ようと視線を落とすと、扉が静かに開いたのが見えた。
「ん?」
『……え』
最初に見えたのは小さな小さな足だった、それから真っ黒で光沢のあるハット。こちらに気づいて見上げるまんまるの瞳。
『なんっ…!?』
なんでここにリボーンが!!飛び出してしまいそうな声に急いで片手で口をふさいだ。
私の記憶がただしければリボーンは家庭科室ましてや学校にはいなかったはずだ。その小さな手の拳銃の銃口から薄い煙が上がっているのが見えるってことはいまリボーンは家庭科室でこっそりツナを撃ってきたってこと…?
「…おまえ」
『……は…はい…』
リボーンは私を見上げながら口を開いた。
混乱していた頭を冷静に落ち着かせてからおそるおそる返事を返す。
「どこかで会ったことあるな」
『(つい先日ですよ)』
「まあいいが…なんでおめーはこんなとこにいるんだ?」
『えっ!?…え、えと…その…』
「…ツナから逃げてきたのか?」
『ええっ!?…あの…は、はい』
ふうんと意味深な相槌を打たれたと思ったら、ぴょんとリボーンは飛び上がって私の肩に乗ってきた。
『び、びっくりした』
「なんだもう二個とられたのか」
『えっいやこれは』
ツナじゃなくて山本と獄寺になんだけどなあ…なんて考えていたら、そのきゅるんきゅるんの瞳で顔を覗き込まれていた。
「自分で食べる気か?」
『い、一応…』
「いま腹減ってんだな?」
『いや今はそんなには…あとで食べる気、です』
「じゃあいまオレにくれ」
え?
思考を止めていたら「オレはいま腹減ってんだ」と追撃。
一瞬悩んで、もう二個も食べられたし夕飯はパスタにするって決めたし鞄の中にオレオ入ってるからまあいいかっと頷いた。いや、ほんとはその視線に負けただけなんだけど。
リボーンは小さな手をめいいっぱい広げておにぎりを掴むと、ぱくりと口に含んでほっぺたをもごもご動かした。
獄寺みたいに具がねえみたいな文句言われたらちょっとショック受けるぞ。
「なかなかうまいな」
『へ?』
「イタリアの料理もな、素材の味を生かすんだ」
予想とちがう感想に面食らった。
表情を伺ってみるとなかなかご満悦なかおをしている。
『あ、ありがとう…』
それからぺろりとたいらげたリボーンはこっちを向いてニヤリと笑った。
「また機会があればつくってくれ。これから長いつきあいになりそうだしな」
『……え?』
「ママンがおまえのことえらく気に入ってたぞ」
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