※現代



 手の届く距離にいた君を、僕は忘れられそうにない。引っ越すんだと当日数時間前の深夜二時ぴったりに三郎は、コーヒーと呼んだら失礼なくらい角砂糖を溶かされたものを啜って言った。今の今までアパートの隣同士だったのに、なんで?自分の胸に手を当てて、と囁かれたのでそっと手を動かす。まあ冗談だけれど。何が。その、雷蔵が原因じゃないよ、ただ私がしたかったから。コーヒーを飲み干した三郎は部屋の片付けを今さっききちんと終わらせている。教えて貰わないまま手伝ったのは僕だ。どったんばったん煩いから、何事かとベランダをつたい侵入したのも僕だ。浅はかなことではない、当然だった。ただ三郎が掃除をしているから上がり込んだ。
 固まった僕の首に少しだけ擦り寄った三郎が、また会おう的な(よく覚えていない)ことを告げて、ボストンバッグ一つに収まった思い出と荷物を担ぎ、僕の手もついでに引く。さようならの言葉はなく、行ってきます。そんなの知らない。三郎がいない僕を僕は知らない。
 ただ残ったのはゴミ処理された思い出のくずっきれと、すっきりしないからからに渇いた僕だった。


 しばらく(と書いて数年と読む。)して、三郎からかかってきた電話。メールも何もなかったから一体どんな了見だとは思った。とりあえず通話ボタンを押す。ちりっとした何かが胸の中で燻った。

「やあ」

『もしもし、メーデー、聞こえてる?久しぶり』

 ご機嫌ですと全部で表現している三郎は、ぺらぺらと聞いてもいないことを話しはじめる。試したいことが幾つかあったんだ。へえ。全部心配することなんかなくて、今こうして雷蔵と話しているよ。ふうん。拗ねないでよ、かわいいな。電話越しの三郎は、前と全く変わっていなくてそれがむしろ違和感だった。深夜の二時。嫌でも出て行った日のことが頭に浮かぶ。電話で起こされ頭が痛い。機嫌も悪い。最悪。フィルターを通した三郎の声が、それに重ねて僕の心をつっついた。

「拗ねてない。…まあ、よかったね」

『ああ本当に』

 「バーカ」。出て行ってしまった言葉が震えている。怖いの。何がって、君の、僕に読ませないところが。怖くて、苦しい。ぎゅううっと握り潰されそうな心臓を笑うように三郎が息を零した。嬉しそう。一体何が嬉しいの。


『だってほら、雷蔵、僕のこと好きだろ?』


 ピン、ポーン。ベルの音が静寂と僕の涙腺を揺るがした。






100420/深夜と電話に結ばれる

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