※大神



 ぱしゃっと水面に脚を運ばせれば蓮の葉がいくつか出て消える。ああ。弱ったな。形が保てないかもしれない。水の上でもっていた自重がじりじり沈んでいるのがわかってぎゅうっと目を閉じる。力はもう無いから、後はここに落ちるのを待つばかりだ。
 とか言いながら立つのが面倒臭くなって腰をかけていると草むらから出た黒髪が私を見て目を瞬かせる。
「…水に座ってる。」
「そりゃあ神様ですから。」
「随分万能な神ですね。」
「そんなものですよ。」
 それだけの会話をしてから黒髪は毎日ここへ来るようになった。毎日毎日飽きもせずに。神様は何をしてるのかという質問には見守っている。何故ここでという質問には静かだから。私にくれた質問はたったの二つだったけれどそれを言った表情が凄く戸惑っていたのでその時はこんなおおざっぱではなくもっと丁寧に答えた。なんて優しいのだろう。彼の話もたくさん聞いたがどうやら豆腐屋を継ぐらしい。平凡かつ安定していて良いですね。
「なら嫁に来ませんか。」
「私は男ですよ。」
「神様じゃあありませんか。」
「それもそうですが、貴方は死んでしまうでしょう。」
「それは障害ではありません。ここには毎日来ます。ねえ、いいでしょう?」
 湖の淵に腰掛けている私の周囲が植物まみれなのを見て、私をここから連れだそうとはしなかった。家が壊れてしまうのが取るようにわかるもの。そこを案じているわけではないけれど、いちおう気を使った私は別に毎日じゃなくてもいいですよといつもなら触れることのない手を握る。黒髪さん。覚えてください、久々知兵助です。久々知さん。何ですか。特に何も。…毎日来ますよ。お好きに。そんなの無理だ、とは言えなかったし言わなかった。人間が儚く脆いものだというのも忘れ、私は彼に溺れたのだ。


 彼が来なくなって暫く(ざっと数百年)たった時、偶然森に迷った金髪に何をしているのか尋ねられる。
「湖の真ん中なんて濡れちゃうよ。」
「濡れませんよ。」
「嘘だあ。」
 嘘ではありません、と追い払う前に金髪はひょいひょいと器用に水面を渡り私に手を差し出した。大丈夫です。私は何も出来ない代わりに微笑んで見せる。ううん、難しい。金髪は困ったように眉を寄せてどうして泣きそうなの、と。泣きそう。私が。水面に立つことも忘れ数百年半身を水に付けたままの私が。そんな馬鹿な、と顔を伏せたら波紋を作った液体が見えた。嘘だ。嘘だ。






090809/泣き叫ぶ世界の中心は

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