※アイドル



 まあるい瞳が苦手だ。といっても、綾部喜八郎以外の瞳はどうでもいい。その瞳を見なくなってから一ヶ月がたとうとしている今、俺は確実に綾部喜八郎と言う世界的アイドルに飽きられたのだろう。恐らく確実に。言い切れるのは最初より綾部が俺に執着しないこと、綾部が俺をどうにも思わないこと、俺の寂しさはピークに来ていることエトセトラエトセトラ…。全て俺が嫌なこと。ひょっとしてひょっとすると俺は綾部にとって必要ないもの、に成り下がったんだろうか。有り得るかっこわらい。俺にあんな気高く品のあるアイドルを与えるなんて。頭の悪い神様だ。

 というわけで俺は逃げ出したい衝動に身を任せ働いてすらない俺に相応しくない高級マンション最上階を飛び出したのだ。

「さみー…」

 真冬の冷え切った空気の中、何も考えずとりあえずは、とジャンパーだけ羽織った形では思ったより寒かった。マフラーでも巻いてくればよかったかなあ。ああでもマフラーなんて俺買ったこと、ない。何故なら働いていないから。
 途方に暮れ、行く宛もなくのろのろ歩いていると一つの踏切に差し掛かる。カンカンカン。やかましい音の後にゴオッ、と風を引き裂く鉄の塊が目の前を横切った。長い長い一瞬がきた。遮られる視界と強い強い風で少し目をつむる。それが行った後に視界を取り戻すと、周りの人がざわざわと向かい側を見ていた。何事。あと女の子の奇声(失礼か)と男の囁き。本当に何事かとよおく目を凝らすと、そこには。

「何をしているんですか」

 呆れ顔とため息を携えた綾部が真冬とは思えぬ薄着姿でそこにいた。サインだの握手だのをねだるファンのみなさんを気にもせずこちらを一点に見詰めて。あー、確実に、不機嫌。

「さあ、帰りますよ」

「…俺に飽きたんじゃなかった…んですか…?」

「何故敬語なんですか。」

「答えは?」

「…私が貴方に飽きるはず、ないでしょう。仕事が忙しいのを勝手に誤解して、私を動かして。早くこちらへ来ないと嫌になりますよ」

「あー!待った待った!待って!」

 もう一度鳴り始めた踏切を走って越えて、人混みを掻き分け滅多に自分から外に行かない綾部の体を抱きしめる。その俺の勢いに怯んだ人混みを綾部が「邪魔」の一言で散らした。すげえ。どうやってここがわかったとか(多分世界的アイドルの力を無駄遣いしたのだろう。綾部は面倒臭がりだから。)そんなことより、真冬の冷え切った空気より冷えた綾部の体に身の毛がよだった。
 まあるい瞳が苦手だ。といっても、綾部喜八郎以外の瞳はどうでもいい。その瞳が、微かに濁っていることに俺は言い知れぬ罪悪感を感じてごめんなさいと幾度も謝った。ごめんなさい。帰ってきたらいないことには驚きましたが別に怒ってません。ただ、寒いことはすごく嫌です。

「貴方の、私だけにくれる笑顔が唯一この世で欲しいものなんです。」

 綾部の透き通った涙声を聞いて、後ろを通る大勢の人の影に隠れて俺はそっと。






090724/頭の悪い神様だ
世界が一つだなんて誰が言った!

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