「最近、綾部喜八郎が穴を掘らない。」

 しとやかに噂が囁やかれていた。
 三度の飯より穴を掘り、寝る間も惜しんで穴を掘る。果ては先輩を落とし、先生に見破られないような技術を手に入れつつ、下級生なんて落としすぎて落とした数にも数えようとしない。そんな穴掘り小僧であり罠をしかけさせたら忍術学園一とも呼ばれる綾部喜八郎が、穴を掘らない。
 一大事である一大事であると喚いている下級生も、どうしたの何があったのと心配する上級生も、それらを遠くから見守る先生を気に留めもせず、綾部は淡々と生きていた。他人に限りなく関心が無い綾部が、穴も掘らずに普通に授業を受けてごはんを食べ、夜も静かに眠っていた。

 そうしてしばらく、穴を掘らない綾部喜八郎が普通になった頃。
 四年生から五年生への進級も近づいて持ちかけられた忍としての演習は、演習と呼ぶには少々荷が重かった。何か精神的に問題があるのなら、断っても構わないと言われている(実際、恐らく六年は組の二人や竹谷八左衛門は確か断っていたはずだ。)それを、綾部は何故断ると思っているのか、という顔でへでもなしに承った。らしい。
 虫も一匹殺せなさそうな可愛い顔で、(実際虫なんてさくっと殺すし仕舞いには食べるだろうが)人を殺す。何人くらいだとか、どの年代を殺すのだとかは、忍者の決まりで誰にも情報は洩れていない。本気を出せばそれくらいわかりそうなものだが、そこまでの手間をかけて四年生の演習内容を知りたい生徒はいないだろう。
 誰もかれも、自分に関係のないことは興味がないのだ。三年生辺りは気にしてそうだが、さすがに三年生には情報を得る程の技量はあるまい。あっても困る。
 それは先輩としてだめだろう。先輩や同級生に探られるのは良くても、下級生には探られてはならないものなのだ。どんなに優秀な生徒にであっても、それは防がれてしまうだろう。少しの自尊心を傷つけられないようにする。それを下級生もわかっているからこそ、先輩には礼儀正しく、少しでも情報を普通に得る事の出来るように猫を被るのだ。賢い生き方その一。その賢い生き方に該当するものの、俺に対しては全く遠慮のしない後輩として、(勝手に俺の中で)猫みたいなやつだなあと思っていたのが綾部喜八郎という人物だった。
 そんな演習をやらせるなとは言えない。忍の宿命だから。忍術学園に入園した時点で、人を殺すのを生業とするのはもう決まっていたことだった。誰も何も言わない。もう殺したことのある上級生も、彼らが殺すのだとわかっている下級生も、殺せと言う先生方も。こんな時代に生まれてしまったのが悪いわけで、悪いのは誰でもないとはわかっているのだが。この行き場のない感情を吐き出す術も持たずに、ただただ時期は近づいていた。
 その日は雨が降りそうな夜だった。

 先輩はいくつ嘘をついたことがありますか。なんて、忍にとって意味のない質問ですね。数えきれないでしょうから。
 そう言って少し笑った綾部は、乾いた刀をぱっと軽く払って、砂埃を払う。全然払えてないんだけれど、結局そんな汚いままじゃ意味ないんじゃないの。刀の練習をする綾部は、顔には出ていないが緊張しているようだった。武器を持つのは趣味じゃない、どうせすぐ捨てるんですから、と前にも聞いた言葉を思い出す。ならいいのだけど。流石にガサツが過ぎるのではないかと。あとで同じ部屋であり同級生の子が代わりに手入れさせられるのだろうな、と少しだけ笑った。面倒見がいい彼もまた、人を殺すのには向いていない。
 上段に構えていた刀をふっとおろして地面に突き刺す。穴を今すぐにでも掘り出しそうだ、と思ったが、綾部はどこか複雑そうに地面を見つめて固まった。掘れないとでも思っているのだろうか。確かに、刀で穴を掘るのはどうかと思う。これがテッ子ちゃんやフミ子ちゃんだったらなあ。
 やはり、彼には武器よりも手鋤足鋤が良く似合う。ついでに言うなら血で濡れる顔より泥で汚れる顔の方がかわいい。汚れた手で擦ってますます汚くなっていく様を見るのもかわいい。血生臭さはこの不思議系穴掘り小僧には似合わない。俺の好みの問題でもあるが。加えて言うなら色とりどりの花とか洋服で着飾っていてもいいと思う。女顔(これを口に出すと無言の圧力で怒られる)だから、それはそれは化粧も映えるだろう。でも俺はそのままの綾部がいいよ、なーんて。(そんな甘い言葉を口に出しはしない。そんな風に何も考えず恋人のように振る舞える精神はどこかに置いてきてしまったのである。)

 綾部が穴を掘らなくなったのはいつだったか。同級生が一人死んだ日だっただろうか。
 それともかわいがっていた猫が死んだ日?
 甘やかしてくれた先輩が死んでしまった日?
 俺自身が、綾部に触れ合えなくなった日。
 綾部という人間が、笑わなくなった日。

 置いて行かれた精神だけが浮遊する。溶けて消えてなくなってしまえばいいものの、どんよりと淀んでこの世界にすがりつく。俺自身がわからなくなる。一つだけわかるとしたら、俺は綾部が好きな事であり、綾部も、恐らく俺が好きだったという事。それだけを繋ぎとめるなにかとして、俺はこの場所に立っていた。立っているという表現が正しいかは全く、全くの謎ではあったが。
 綾部がふとこちらを見た。びくりと体がこわばるのを感じるが、俺を見ているわけではない。空を見上げただけだ。視線が絡んだ気がしただけ。同じ空気を吸っているような、気がするだけ。もう二度と交われない存在になってしまったのだ。わかっているのに。わかっているのにも関わらず、まだ縋ろうとする俺がいる。そんな俺の心境を知ってか知らずか、ため息を吐いて視線を反らされた。

「あーあ、」

 ずーっと穴だけ掘って生きられたらよかったのになあ。猫のような目が少し、眩しそうに細められた。せんぱい、と紡がれた唇が、どの先輩を指すのか俺は知っている。俺自身の事だから。俺は応える事が出来ず、静かに片づけ始める綾部の手を見た。本当に小さくて、こんなの似合わない癖に、無理をさせてしまって。いつもの穴掘りのおかげで出来てしまっているまめが潰れているのでは。心配をしたくても声をかける事も、慰める事も、頭を撫でる事も、彼の視線の先に映る事さえ。
 演習は数時間後まで迫っている。他の生徒(といってもこの演習を受けるのは四人だけらしいが)は部屋で静かにその時を待っている。綾部だけがこんな風に外でどこを見ているのかわからない顔をしている。(失礼にあたる発言をした。)

 あやべ。と声を出してみる。当たり前ではあるが声は出ない。
 すきだよ。本当に。綾部を守る為ならなんだってできるなんて、安っぽいことを考えた事もある。
 あいしている。愛していた。これは禁句だ。言わないようにして、結局言わずに俺という人間はいなくなってしまったが、でも今ならわかる。言えばよかった。簡単に言える事なのだから。言ってしまって何かが変わってしまったとしても、言わない後悔より断然いい。もう何をどう思ったとしても、それでも、もう先には進めない。

 感情をあまり表に出さない綾部にそんな顔をさせている自分が憎らしい。そして、羨ましい。俺はもう俺ではなくなって、別物のようになってしまったから。

 ねえ。その目で何を見ているの。あなたの世界は何色に変わってしまったの。教えて。じゃないと。
(俺まで泣きそうになってしまうから。)






180109/カンパニュラの夢

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -