浮上する意識のなかで布団に潜り込んだまま夢なのか思考なのか、微睡みに惑う。
 襖を開けたら息が白くなるくらいの季節。ただし、自分ではしばらく開けていない、というのも、卒業を間近にして体にガタが来たからだ。厳密に言えば身体に、ではなく内臓に。肺が、溶けているかのような錯覚。呼吸がしづらい。酸素を二酸化炭素にするのが難しい。自覚してしまってからの進行ははやく、もはや保健室にいるのも自室にいるのも(同室者に迷惑なので)いやになって、少し離れた個室に籠っていた。新野先生が気を使ってくれた部屋で、申し訳ないとは思いつつ、とても助かったと思っていた。布団と、一日三回届けられるご飯と薬、それと暇潰しのための本が数冊。それしかないとも言える空間。十分すぎるほど快適で、不自由はない。俺の、身体さえきちんとしていたなら。勉強も休みだから、本当に勿体ないなあ。
 最近ではそれに加えて後輩がよく来るようになった。穴を堀続けなければ生きていけないとでも言いそうなくらい穴を掘る、制服の色からして二つ年下。土の音と匂いで起きる。その瞬間が好きだ。すっと開いた襖から流れる朝の空気に、目を開け、布団を少し退けた。

「おはようございますコーちゃん先輩。ご機嫌いかがですか。」

「おはよう。気分はいいけど体調はあまりよくないかな、あとその呼び方…」

「コーちゃんって、よく呼ばれてるでしょう?」

「…まあ」

 確かに、あだ名としては染み渡ってはいる。本名知らないとか言いそうな後輩は頬と鼻の頭に泥をつけ、擦っては汚くなっている。ちょいちょいと手でおびき寄せようかとし、またすぐ汚れるからいいかな、と思って、冷えきった空気に身震いした。後輩ははっとしたように(リアクションではなく身に纏う空気が、そんなような風だった)襖を閉めて俺の隣に腰を下ろす。汚れたところを指差すと、乱暴にごしごしと袖で拭いた。

「穴掘り小僧は泥まみれがお好みなのかな」

「いえいえ天才トラパーとお呼びください。あと、泥がつくのは私のせいではありません。つく泥が悪い」

「はいはい」

 入ってきた癖何もない部屋を持て余したのか、すっくと立ち上がりまた外に出た後輩の背中を見送る。閉めますよ、と視線を感じたのか少し振り返った。いいよ、閉めて。寒くて死ぬから。後輩は返事なしにそのまま出ていってしまう。
 帰ったかとも思ったがすぐに土をかき混ぜる音が聞こえてなぜだかひどく安心した。

「先輩はいつも具合が悪いですね。どんな症状ですか」

 説明を求められるとは思っていなかったから、迷う。棘が刺さるような、魚の骨が喉につっかえているような。そんな感じかな。言うと後輩はふうんと興味なさげに穴掘りを進めているようだ。ざくざく、ざくざく。

「ごはん、持ってきてあげましょうか」

「…ものの例えだよ」

「先輩はもっと食べればいいと思いますよ」

 今日のご飯は大盛りって頼んどいてあげますね、あとついでに、調子の悪い理由も調べてきてあげます。と土に混じりあいながら聞こえた声を最後に、眠くなった、と言わんばかりに襖を隔てた呼吸が寝息に変わる。寝てしまったのかな。俺も少し寝よう。大盛りで持ってこられても食べないから意味がない、とは言わないで、その好意を受け取ろう。
 その日のご飯は案の定残した。



 いつのまにか、穴堀小僧の天才トラパーは近寄らなくなった。理由は知らないが姿を消した。俺が病気だと知ったのだろうか。知った上でここに来ていたのかも、と一瞬だけ考えて、あの後輩がそんな気の使った真似ができるとも感じない。ただ穴を掘る場所を変えただけかな。一番有力そうだ。あの何かんがえてんのかわからない不透明度の高い瞳が、俺を見透かす時のえもいえぬ陶酔感がぶり返す。ぐっと吹き上がる息に咳き込んで噎せる。けほ、ごほ、ごぽ。咳き込んだ最後に湿り気を帯びた音。ああ。内に秘めた凶器が刺さった。ついに俺の心と体を突き破ってしまった。遠くの方でそう思った。汚れた手のひらを布団に落として見詰める。まっかっか。片させるの、悪いなあ。

 今もこれからも、俺はいばらに溶け込むように生きていく。そうしているうちに死ぬ、のは悔しいから、最後の最後で何かやってみせよう。そうしたら俺の骨を拾うのは、あの後輩だ。きっと、きっと俺の骨は学園に帰るだろう。それまでの別れ。千切れそうになる足を叱咤して、震える手を気力で抑え込む。しばらくぶりの起立は、負担が大きかった。今日は、月が、出ていない、濃い夜だ。

 (そういえば)(名前を聞きそびれたまま、タイミングも見つけられなかった)(ずくずく痛む心臓、もしくは肺、または胃。それらすべてを背負子んだまま、このごろ近くを彷徨いていた曲者から刀を抜く)そうして目を閉じた。






111207/いばらに溶け込む
晩節

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