風が耳元でごうごううるさい。煩い。五月蝿いったらありゃしない。俺は何故こんなに必死で走っているのだろう。汗で服が貼り付いて不快。前を流れる綾部も、珍しく息を切らしているのが聞こえる。それに並ぶ犬は、余裕を見せながらも綾部の邪魔にならない程度に走っていた。どうしてこんなことになっているんだっけ。気を抜けば縺れて転んでしまいそうな脚に鞭打って前に進む。手を伸ばしてもぎりぎり届かない。森の中に馴染んでいるのと、フェイントが上手いせいだ。
 いつまで走ればいいんだろうかと意識が遠退きそうになりながらもスルスルと木々の隙間掻き分けるよりも間を縫う綾部を追った。俺は、忍者のマニュアル通り平泳ぎ、もといヤブこぎで進む。びしばし反動で返る枝や蔓や葉が、後ろの方で折れているのが音でわかった。ああもうめんどくさい。
 そっと先程の出来事を頭の中でなぞらえる。何があったんだったか。ことの始まりは俺だったのは覚えている。そう、そうだ。俺が綾部になり澄ましながら穴を掘っていた時だった。犬が時折わんと吠える。何を考えているのかわからなくてなんだか綾部に似ていると思った。


 暑いな。ひょいっと穴から出たら黒い犬がうろうろとしていた。毛並みがいいから野生ではない。しっしっ、としても動かずに穴より少し離れたところで警戒しているようだ。お前なんかの警戒なんて、意味がないのにね。

「先輩の掘る穴は、随分と人殺しと自殺に向いていますね」

 入り口が狭いのに中は広い。つまりは上がりにくい。気配がなかった、というより側にいる犬がかき消していたらしい。犬に気をとられて気付かないとは不覚、とはおくびにも出さず、綾部に駆け寄った犬を指差す。「なんだそいつ。」「生物委員の狂暴犬が逃げ出したと聞きました。」「狂暴。」そのお前の足元にじゃれついている仔犬が。そう思ったが少し視線を向ければこちらに威嚇を寄越す。綾部はなんで平気なんだろう。八左ヱ門ならまだしも、動物に好かれる要素なんてあったのか。

「なあに勝手に人の顔を使っているんですか」

「ちょっと借りてるだけだ。」

「だったら尚更やめていただきたい。私の顔はタダではないので。それでもというなら理由をそこそこの文字数で述べてください」

 なんで綾部を選んだかなんて、決まっているだろう。適当の気まぐれ。それ以外ない。
 そう言ったら(すぐに無表情に戻るものの)顔をしかめて、俺の足元にあった鋤を蹴る。脛に当たって跳ね返ったのを犬がくわえて綾部のもとに持っていった。尻尾を振っている。綾部の表情が和らいだ気もしたが、すぐにしゃがんでしまって俺からは見えなかった。

「それは俺の、というか学園の備品だが」

「知ってますよ。テッコちゃんも踏子ちゃんも食満先輩に預けてきたところですし、そもそも間違える筈もない。それより早く変装をといてください胸くそ悪い」

「なんで」

「貴方は私じゃないでしょう」

「それはそうだね」

 おくびょうもの。くわえて、ばか。確かに綾部はそう言ったと思う。読心術は触るだけしかやってないから、定かではない(口許もよく見えなかったと言い訳を挟んでおく)。耳に頼ったのが九割。
 犬の頭を二、三度撫でてからすっくと立ち上がる。こんなに身長差あったんだなあ。成長期だから広がったのか。それならすぐに埋まってしまうかもしれない。つむじを見つめていたらかわいくもなんともない上目遣いで目があった。

「じゃあこうしましょう。鬼ごっこ、罰ゲーム有り。大丈夫です、チャンスもあげましょう。私を捕まえたら、私の顔。ただ、捕まえられなかったとき、貴方は」

 私のものですよ。

 表情を変えず、タメもなく綾部は鋤を上げる。じゃあよおい、ドン。からんからーんと軽く跳ねてテッコちゃんは捨てられた。綾部は走った。それを反射的に追いかけ始める犬と俺、そうして冒頭に戻る。






111102/臆病者

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