こんなことがしたいわけではなかったんです。ただ、貴方が誰かに奪われるなら、それなら私が奪ってしまおうと。大丈夫、貴方は私が演じますから。(私の変装も案外上手いんですよ。)少し、面倒な方々もいるので、その人たちは殺してしまいますね。ここからでないで。ここにいて。私を忘れないで、あとのことは忘れてください。四年い組、綾部喜八郎。

 開かない扉、というよりも届かない扉の手前にこんなような手紙とも言えぬ紙切れが置いてあった。それだけが、他者の存在を感じられる物体だ。他にあるのはまっさらな壁と、障子があったらしき跡と、水と(腹の足しにはならないが栄養にはなりそうな)食べ物。殺す気はないらしい。
 特に考える必要もなく、この光景を見れば誰しも理解できるのではないだろうか。どうやら俺は監禁というものを味わっているらしい。事実を噛み締めて、飲み下した。
 いつも仕込まれている武具も、きっちりなくなっていて足首の一つに錠の付いた留め具が、長い鎖を引いて俺と部屋のはしっこに杭でもって固定されている。突貫工事だが、出来は確かだった。見た目はともかく。鎖の長さは、出口まで届きやしないぎりぎりを保っていた。

 とん、とん、と消した足音が微かに響く。来た。だが襖が開くことはなく、部屋の前でふっと気配が浮き立つ。泥の匂い。存在の消し方のまだ完璧ではないところ。そしてこの手紙。わかりやすい問題だ、というよりもわかるように仕向けられている。綾部以外、この気配を称する名前はない。

「先輩、起きましたか」

「…ああ」

 すらっと襖が開く。綾部からしてみれば、ただの襖。俺には越えられないもの。
 飄々としながら、しっかりとした確執を成立させている彼は俺から目を外すことはなく、すてすてと部屋には入り俺の横に胡座をかいた。礼儀がなってない。

「ここから出せ」

「お断りします」

 きぱりと斬って捨てられた言葉に少しだけ体が反応した。ここまで綺麗にぐしゃぐしゃぽいとされるなんて思ってない。そんな俺の考えを読み取るかのように綾部が俺の頭を撫でる。両手は空いていたから弾くこともできた。しないけれど。

「安全かと思っていた忍術学園の中も、同室にさえ邪魔なやつがいるからダメ。外も論外。先輩が私を見なくても良いのですが、他の方に目がくれて、もし恋仲などになってもらっては困ります。」

「こんなの、親しいやつがいてもいなくても俺はお前を…」

「嫌いだ、って、そうでしょうね。でも先輩は今私以外に抱く感情がないでしょう。…薄情な人。それに感謝していますが。」

 言葉につまった。確かに俺は他人に興味がない。それは本当だ。小さい頃からの日常。人と比べられない、生まれたときからの地位。用意されていた人生が大嫌いで、ぐちゃぐちゃにした家族。もう存在することのない姓。静かにしていた四年間。ようやく最近落ち着いた、俺の事情。
 くるくるしている脳内に、綾部の声が、突き刺さる。くくちへいすけせんぱい。それだけで安心できる気が、した。

「私を好きになって」

「……」

「いつか、いつか。言うだけならタダでしょう」

 私は貴方を手にいれた。籠に突っ込んだだけとも言えますけど。卒業するまではここに。何か欲しいものがありましたら私の判断で用意いたします。あと二年弱、お待ちください。

 (俺は、片想いをしていたのだ。気付かない頃、いやまあ二年生からだとは思うが。入学する時に無表情で泣いてる様から、薄い声で捨てないでを繰り返す場景。)(彼はどんな理由でここに来たのだろう。その無様とも言える彼は、いったい何を考えていたのか、俺には。)






110803/たいへん心が苦しいのです

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