■紫の煙の選択

 そこで私は、目が覚めた。
 再生された記憶。ただの夢。既に過去になってしまった、ささやかな思い出たち。
「…………」
 彼らが既にいないという現実を思い出し、少し泣いた。

 ジョルノ・ジョバァーナという新入りだった少年が私たちのチームに加入し、トリッシュという少女の護衛を始め、たった一週間程度で――私たちの世界は大きく変わった。
 遠いところに行ってしまった人たち。地位が上がった生き残りの仲間。少しずつ、だけど確実に変わっていく、イタリアという国の街並み。
 そんな中――どこに行ってしまったのか分からないまま、行方が知れていない者が、ひとりだけいた。
 彼だけは、変わってしまったのか変わっていないのか、全く分からない。あれ以来、姿を見た者は誰もいないのだから。
 そう、私たちと袂を分かった少年――パンナコッタ・フーゴだ。

 あの戦いに生き残った私も、『組織』の改革には協力している。それはきっと、遠くに行ってしまった人たちの、望むところではあっただろうから。麻薬のなくて、特に少年少女たちが平和に過ごせる世界を作り上げることは、彼らの理想であったはずだ。
 だけど、それでも――少しだけ、厳しいものがあった。私の心を妨げているものは、一体なんなのか――喪失感? 虚無感? 罪悪感? それとも――
 ふらふらと私は歩く。今日は久しぶりに、休暇を貰っているから。
 たまには知らない場所を歩こうと、一歩を踏み出したときに、不意に彼と出会った。
 否、再会した。

「フーゴッ!?」
「……ナマエ?」
 気がついたら飛び出ていた、といった私の呼び声に対し、思わず、といった素振りで返事をしてしまう、見知った少年。
 見慣れぬコートをはおり、帽子を深々と被っている彼は、一体誰なのか一瞬わからなかったけれど――間違いない、あのボートに乗らなかった彼を見たとき以来、初めて会う彼は、確かにパンナコッタ・フーゴだった。
「……いや、人違いじゃないですか」
 フーゴは慌てたように、踵を返そうとする。だけどその声は、確かに私の見知ったものであった。
「嘘」
 フーゴの手を思わず掴む。フーゴはそれを、振り払いはしなかった。
「えっと……ほら、久しぶりに会ったんだし。たまには、お茶でもしない?」
 彼は少しの間俯いていたが、やがて頷いた。

「君は――ぼくのことを、どう思っているんだ」
 カフェで向かい合って座ると、フーゴは重たい口を開いた。彼の表情は、静かにしている獰猛な獣のようにも、捨てられた子犬のようにも見えた。
「どう? どうって言われても……」
 そんな彼の問いに、私は一瞬黙り込む。
 フーゴという少年の存在について、私がどう思っていたか――それは、私自身の心のどこかで『何かが足りない』と思っていた、その『何か』の答え、とでも言ったものだろうか。
 私がよく知っていた人物たちの中で、今どこで、何をしているのか、それがわからないのはフーゴだけだったのだから。
「なんだかんだで、あなたのこと、心配していたかも。あなただけ、行方がわからなかったから」
「……そうですか」
 私がひねり出した答えに、フーゴは俯き、唇を噛む。
 その様子を見て、私はあの時のことを思い出した。ボートに乗らなかった、彼のことを。
 ひとりだけ違う選択をした、少年のことを――
「ぼくはあのとき、ボートに乗れなかった……。ああ、ぼくは――正しいという意味では、君らが、正しかったとは思う。だがぼくには、ああするしかなかったんだ。ぼくにとっては……」
 フーゴもまた、絞り出すように――この言葉を吐き出した。
 その言葉を聞いて、私は思う。もはや彼にとっても、選択の余地はなかった。それは、私達にとっても同じだ。
 彼も、覚悟の上、あの島に残ったんだ。それは彼にとっても、もうどうしようもないことだったんだ。
 私達にとっても、選択肢はひとつだけだったし、彼にとっても選択肢はひとつだけだった。それが違う方向を向いていた、それだけだったのだ。
「ねえ、ひとつ聞いても良いかしら。――あなたは、後悔しているの?」
 重苦しい沈黙の後――フーゴはこの答えに、ついに答えることはなかった。
 彼はもう冷めきったコーヒーを飲み干し、ごちそうさま、と言って立ち上がった。

「じゃあ、また会えたら」
「……ええ」
 私も立ち上がって、彼の姿を見送ろうとする。
 少し考えたけれど、彼のことを引き止めるのはやめにした。本気で『組織』がフーゴのことを引き入れるならジョルノが命ずるだろうし、わたしの独断で何かすべきではないと思ったからだ。
 そうしているとフーゴは、本当に踵を返した。私はその背中を見送っていたけれど、ついにフーゴが後ろを振り返ることはなかった。


 フーゴが後悔しているのか後悔していないのか、それはよくわからない。ただそれは、彼にとっても「どうしようもない」選択だったんだと、そう感じた。
 ただ、私と話したことで、彼が少しでも気分を軽くしていてくれたらいいなと、そう思う。
 私だって、彼と話して、自分の心を妨げている「答え」に、一歩近づけたような気がするのだから。

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