14.東へ進め

「さて。あたしたちはここから、東のブランカのそのまた東の砂漠に行かなきゃいけない。そうよね?」
「そうね、姉さん。その砂漠の南の港町に売っている船が目的だけど、まずは砂漠までたどり着くのが先だわ」
 エンドールの町の外に出て、私たちは再び広い大地を目の当たりにする。
 ここから東にある、ブランカという場所。私たちが、私たちの故郷以外で、初めて行った町。城。
 こんなに早くあそこに行くことになるとは思っていなかった――と、姉妹の会話を聞きながらも、私は息を吐いた。
 ブランカの景色と共に思い出されるのはもちろん、私たちの故郷の、小さく温かい村の景色――


「とりあえず、歩いてブランカに向かいますか? その頃には日が暮れるだろうけど、ブランカでまた宿をとればいい」
「! えっと、そうだね。私はそれがいいと思う」
 感傷に浸りかけた私とは対照的に、ソロは姉妹に冷静に話しかけた。それにはっとした私は、慌てて彼の言葉に同意する。
「いいえ。それよりもいい方法があります」
 しかしミネアさんは、私たち二人の言葉を否定した。姉妹はどうやら、私たちとは違う考えを持っているらしい。
 ミネアさんは静かに微笑み、マーニャさんは口角を上げていた。
「そうね、あたしのルーラでブランカにまで行ったほうが早いわ。あそこはつまんない場所だし、あんまり行きたくはないんだけどね」
 マーニャさんの自信に満ちた言葉に――私たちは、一瞬呆気に取られてしまっていた。

 ルーラ?
 私とソロが顔を見合わせる。――そういえば村にいた頃に、呪文に詳しいおじいさんが、そんな呪文の存在を教えてくれたような気がする。
 けど、どんな効果だったっけ? 私はすっかり忘れてしまっていた。しかしソロは、何か気がついていたようで、目を見開いていた。
「そうね。まだ明るいけれど、少し日も傾いてきているし……早めに進んだほうがいいわ。お願いしていいかしら、姉さん」
「任せて! みんな、行くわよ」
 その言葉をきっかけに、マーニャさんの身体に魔力が満ち始めた。そして私たちは、どこかふわふわとした不思議な感覚に包まれた。

 それはまるで、私たち自身が雲にでもなったみたいな感覚。その不思議な感覚に、どうにも落ち着かない気分にさせられる。
「ちょ、ちょっと……」
 私は気がついたら、そこにいたソロの服の袖を掴んでいた。
 まったく心の準備ができていなかったし、なんとなく私の体が浮いているかのように、不安定になっていた。何かに捕まっていないと、落ち着かなかったのだ。
 ソロはそれに気がついていたようではあったが、特に表情は変えなかった。ただ、気遣うようにそっと、私の方に寄り添ってくれた。
「行くわよ! ルーラ!」
 そこでマーニャさんは、ついに呪文を詠唱した。私たちの身体が、完全に宙に浮いたような気がした。
 そして。


 突如感じる浮遊感。上昇していく身体。高く青い空が目の前にあり、それでいて、視界は高速で移り変わる。
 形容し難い感覚に目が回り――
 ――気がついたら、エンドールよりも小さい、それでいて見覚えのある城の前に来ていた。
「大丈夫か? ナマエ」
 そして、見慣れた端正な少年の顔――ソロがいつもと変わらない表情で、私のことを覗き込んでいた。

「うん、平気……」
 私はゆっくりと、呼吸を整える。
 足が地に着いているのを確認して、私は思わず辺りを見回した。
 間違いない――ここは、ブランカの町の前だ。私たちがブランカからエンドールまで行ったときはそれなりに歩いたのに、一瞬で私たちはブランカまでたどり着いていた。
「マーニャさん、今のは……」
 呪文を唱えた本人に私がこう聞くと、マーニャさんは何でもないことのように言った。
「ルーラよ、高速移動呪文。前に来たところのある町まで飛べるの。まあ、この感覚にもすぐ慣れるわ」
 実際、旅慣れているであろう彼女たちは、何度もこの呪文を使ったのだろう。ミネアさんも澄ました顔で、既に方角を確認している。
「なるほど……聞いたことはあったけれど、実際に使った感覚は初めてだな」
 ソロの言葉に、私は頷いた。
 当然だ。私たちは今まで、あの村から出たことすらなかったのだから。

「なあ、ナマエ」
 そうしていると、不意にソロがこちらに目を向けた。
 思わず私は、何、と呟く。青い瞳が、じっとこちらを見つめていた。
「そろそろ、手を離してくれないか」
「あ、ごめん」
 ルーラのときに、思わずソロの服の裾を掴んでいたが、それがそのままだったことにやっと気がつく。私は、慌ててその手を離した。
 彼は呆れたように息を吐いたが、何故かほんの少し、笑っているようにも見えた。


「それにしても……ブランカ、か」
 姉妹は既に東に向かおうと歩き始めていたが、ソロはそこで一度立ち止まり、そっと呟いた。それを見て、私も足を止める。
 そう。ブランカがここということは――山を登れば、私たちの故郷がある。
 焼き尽くされてしまった、私たちの故郷が。
「うん? ソロ、どうかした? ナマエも、なんか変な顔してるわよ」
 マーニャさんが立ち止まった私たちに気付き、こちらを振り向く。同時に、ミネアさんも足を止めていた。二人の表情は、どことなく心配してくれているように見える。
 だが、この姉妹は知らない。この北にある私たちの故郷が、燃え尽きてしまったことを。
 そして、少なくとも今の所、それを彼女たちに伝える気にはなれなかった。
「……いいえ、大丈夫です。とりあえず、東にまで進みましょう」
 私が何も言わないでいると、ソロがこう言った。そこで、私は無意識に唇を噛む。
 大切な家族、村の人たち、いつもそばに居た、もう一人の幼馴染。彼らの顔を思い出し、どうしようもなく心が重くなるのを感じた。
「……そうですね。ソロさんがそう言うのなら、そうしましょう」
 姉妹は不思議そうな顔をしていたが、結局何も言わなかった。ただ、ミネアさんがこう言って、勇者であるソロの言うことにただ従ったことに、何だか更に心が重くなった気がしたのは、勘違いだということにした。

「馬車がないかぎり、砂漠を越えることは難しいです。ですが、砂漠を行き来する手段はどこかにあるはずです」
 ミネアさんとマーニャさんが先頭に立ち、私とソロはその後ろを歩いていた。ソロと私の間にはほぼ会話はなかったが、姉妹はこのように、何度か私たちに話しかけてきた。
「でもミネア、前にブランカに行った時には馬車なんてなかったわよ」
「こんな世の中だって、ブランカとその南東を行き来する人は、少しはいるはずよ。ブランカの東に、馬車を持っている人はどこかにいるはずだわ」
 ミネアさんのこの言葉は推測にすぎず、彼女自身、確証があるようにも見えなかった。でも、私たちはとにかく進んでみるしかなかった。


 そうして、しばらく歩いた頃。森を抜けて、辺りには見慣れない山が見えてきている。日がさらに傾きかけ、空の色は橙色に染まっていた。
「そういえばあんたたち、今日何か食べた? あたし、ちょっとお腹がすいたわ」
 マーニャさんが一度立ち止まって、そして私たちに話しかけた。彼女の問いに、私は一瞬、考えを巡らせる。
 最後に何か食べたのは――いつだっただろうか? 確か、朝ご飯は少しは食べたと思ったけれど。

「まさか、あんまり食べれてないんじゃないですか? 二人とも、あまり顔色が良くないですよ」
「そうなの? ちゃんと食べないと、大きくなれないわよー?」
 ミネアさんも立ち止まり、こちらを向く。姉妹の視線にいたたまれない気分になり、私は目を逸らした。
「……そんな年齢でもないですけど」
「あたしからしたら、あんたたちなんてガキンチョみたいなもんよ」
 マーニャさんは軽く笑ったが、ミネアさんは神妙な顔をしていた。
「そうですね、何があったかはわかりませんが――食べなければ、倒れてしまいますよ」
「それに見たところ、ちゃんと眠れてないんじゃない? まあ、食べれなくなる気持ちも、分からないでもないけどさ」
 二人はさらりと言った。その言葉に、歩みを止めていなかったソロも、そこで立ち止まる。
 私は思わず、前の方にいたソロの顔色を伺った。――確かに、顔色は良いとは言えない。そしてそれは恐らく、私も。

「じゃあ、ちょっとここで休憩しましょうか? 一応、ちょっとくらい食べるものならあるから。ミネアが持っているはずよ」
 この姉妹は、何か気がついているのだろうか? 何も知らないようで、実は勘づいているのかも。そして、むしろ私が知らないだけで、やはりこの姉妹も何かを背負っているのかも――
「まあ、少しは持ってきてるけど……姉さんも、ちょっとは手伝ってくれないかしら」
「しょうがないわねー。じゃあ、このマーニャちゃんが助けてあげますか!」
 どんどん話を続けるこの姉妹の様子に、なんだか呆気に取られてしまう。
 だけど――ソロと私は、やがて彼女らの言葉に同意することにした。
「……わかりました。じゃあ、休憩とするか。それでいいか? ナマエ」
「うん、そうだね」
 この、なんてことはない会話に――やっと、ずっと張り詰めていた心が、ほんの少しだけ休まったような、そんな気がした。


 だけど――その、平穏とも言える時間は、急に終わった。否、邪魔された。
「危ないっ!」
 突発的に誰かが叫んだ言葉。ソロの声だ。それにその場の全員が警戒し、反射的に辺りを見回す。
「え? 何……って、わっ!?」
 魔物がいたのは、マーニャさんの後ろだった。あまりに突然で素早い、魔物からの奇襲――それを彼女はとても自然に、軽やかに避けた。さながら、宙を舞う踊りのように。

 魔物は奇襲が失敗したことに不満げだったが、それでも奴らの敵意はなくなった訳ではない。青い皮膚をした、角の生えた小さい身体を持つ魔物たちは、数匹で、こちらを取り囲んできた。鋭い瞳が、こちらを睨んでいる。
 私たち全員は突然の攻撃に驚きつつも、なんとか体制を整えた。
 そしてマーニャさんは――私とソロより前に出てきて、こう言い放った。
「まったく……仕方ないわね、ソロとナマエは下がってなさい! ここはあたしたちの出番よ」
「え、でも……」
 私が躊躇していると、ミネアさんも前に出てきた。
「心配しないでください」
 そして、そっとカードを取り出す。その姿は、旅慣れた者特有の、貫禄のようなものがあった。
「わたしたちも、それなりに慣れてますから。ピクシーの群れくらいなら、すぐに倒せます」
 彼女らがピクシーと呼んだ魔物は、既に五、六匹で辺りを囲んでいる。
 私とソロが呆気にとられている中――褐色肌の美しい姉妹は、奇妙な魔物に向かっていった。
 瞬間、彼女たちの爆発的な魔力が場を支配した。

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