23.暗闇の中で

 気がついたら、目が見えなくなっていた。
 それだけでなく、何も聞こえなくなっていたし、何も感じなくなっていた。

 ――ここは……。
 私は今、レストランにいて、トイレから戻ってナランチャたちのところに戻るだったはずだ。しかし――私の視界は、そんな平和な光景とは程遠い。
 どこを見ても、何を見ても、真っ暗で。そもそも、自分が目を開いているのか、目を開いていないのか、それすらわからなくて。
 今私がどこで何をしているのか、どんな状況に置かれているのか、全く分からなくて――
「おまえは、もう何も聞くこともない」
 全ての感覚が奪われた世界。真っ暗な中でわけもわからずにいると、見知らぬ男の声が聞こえてきた。
 否、聞こえてきたと言うより、脳みそに直接語りかけてくるような――
「おまえは何も見えないし、何も話せない。五感を奪われたお前ができるのは、オレのスタンド能力の声を聞くのみ」
 男の言葉を聞き、私は驚いた。そして私は、声を上げようとする。――しかし、できなかった。何もかも、封じられたような、そんな感覚だった。
 叫ぼうとする。――できない。暴れようとする。――できない。目を開こうとする。――できない。もがこうとする。――できない!
「諦めるんだな。おまえはオレの『ブラックホール』に捕まっている限り、絶対に動けない」
 焦る私とは対照的に、男の声は、静かにこちらに語りかける。しかしその声には、確かに激情が滲んでいた。

「我らは、ジュリオを殺した者を許せない。もう、オレは、おまえが神殺しだと知っている。オレの仲間もだ」
 ――神殺し?
 男はジュリオ――あの、記憶を失った私の前で死んでいた男、私が殺したであろう男――のことを、神と呼んだ。ただの人間をこんなに崇めているなんて、洗脳でもされていたのだろうか。ともかく、この男は、例のジュリオチームのうちのひとりなのだろう。
 こいつらは、ジュリオ殺しが、おそらく私であることを、まだ掴んでいなかったはずだが――何故かわからないが、男は既に確信していた。
 私が、ジュリオ殺しだと、こいつらにとっての神殺しだとも。

「オレのもうひとりの仲間は、既にイタリアにはいない。……日本だ。日本にいるテメーの家族を、皆殺しにしてやる……神殺しは、家族も死罪だ。そして、その仲間も。おまえのチームの奴らのことだよ、ナマエ・ミョウジ!」
 ――日本!?
 五感の全てが閉ざされた代わりに、男の声だけはやけに頭の中に響くし、意識だけはやけにクリアだった。
 そして、それだけに――とんでもないことが起こっていると、まざまざと思い知らされた。私が思い出せない家族のことも、私がよく知っている仲間たちのことも、こいつらは始末しようとしている。
 どちらにせよ、絶対にそんなことさせるわけにはいかないと、私は唇を噛んだつもりだった。しかし、五感が奪われた世界では、痛みは感じなかったし、噛んだ感覚すらなかった。

 しかし、とりあえず、このままでは何もできない。男に「どういうことだ」と質問することすら、私にはできないのだ。
 私に発言権は与えられていない――この世界で自分の意志を主張できるのは、この男ただひとりだけ。
「諦めろ。おまえはこのまま、最も苦しむ方法で始末してやる。安心しろ、お仲間さんも家族も、すぐに送ってやるからよ――」
 男の声は淡々とこちらに向かう。その声には、憎らしい仇を討てるという、喜びがかすかに滲んでいた。
 ――いいや……絶対に、そんなことはさせない!
 しかし私は、それに抗う。絶対に、仲間を、ナランチャたちを、殺させるわけにはいかない。よく知らない家族だって、いなくなってもらっては困る。
 絶対に、ナランチャもフーゴもブチャラティも殺させない。私の、家族のことも。私の信じる道のため、私たちの未来のために、この男に抗ってやる!
 それを決心した私は、心の中で深呼吸をする。
 たったひとつの反撃方法を思いついたのだ――そう、たとえ五感が奪われていたとしても、たったひとつだけ、全く関係ない方法を。
 ――『イン・シンク』ッッ!
 私は、心の中で、精一杯『彼女』の名前を叫んだ。
 そして。


 ――これ……。
 突如、不思議な感覚に襲われた。
 今、私の視界に映っているのは――さっきまでいた、レストランの風景だった。
 一瞬、五感を取り戻したのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。これは――厳密に言えば私の視覚ではなく、『イン・シンク』の視界だ。
 『イン・シンク』というスタンド像を発現させたことで、私は五感が奪われた状態から、一時的、擬似的に逃れたのだ。

 私は『イン・シンク』の状態で、あたりを見回す。
 そこで、ナランチャたちが遠くにいるのを見つけたが、彼らはまだ、私がスタンド攻撃を受けていることには気がついていなかった。
 続いて周囲をぐるりと見回したが、本体である『私』の姿も、それらしい敵スタンドの影も、怪しい行動をする敵スタンド使いらしき姿も、どこにも見えなかった。一体、何故? 本体はどこかにいるはずだが、今のところ誰が本体なのかはよくわからない。
 『イン・シンク』の射程距離は、そこまで広範囲ではない。近くに『私』の姿が見えないのは、どうも奇妙に思えた。
 そして、ナランチャたちに私がスタンド攻撃を受けていることを伝えるには、彼らとの距離が遠すぎる。
 しかし、敵スタンドの本体がわからない以上、ひとりでは反撃することもできない。それに、彼らにスタンド攻撃を受けていることを伝えなければ、このままひとりひとりやられてしまう可能性がある。
 あまり時間はない。敵スタンド使いは、『イン・シンク』を出した私を、そのまま放っておくわけにはいかないだろう。
 一体、どうするべきなのだろう? そう思い内心かなり焦りを感じていた、その時。

 ガゴッ、と衝撃音が響いた。
 ――!
 完全に、無意識だった――私が策を思いつく前に、『イン・シンク』が、私の意思を離れて勝手に行動した。『彼女』が、思いっきり地面を殴ったのだ。
 驚く間もなく――『記憶』が書かれた白い箱が、地面からガッ! と飛び出てくる。地面は、無機物であるはずなのに、一体どうして。
「『ナマエ』。貴女ハ私、私ハ貴女。ダケド貴女ハ、私ノコトヲ、貴女自身ノコトヲ、理解できていない」
 私の口が、つまり『イン・シンク』の口が動いた。その口は、このような音を発していた気がする。
 唖然としているうちに、私の意思を離れた『彼女』はその、白い箱を――ナランチャたちの方向に、思いっきり投げつけた。
 彼らがこちらを振り向く様子が、見えた気がした。


「――ッ! テメー、何をしやがったッ!? 白い箱を、仲間たちに投げつけやがったッ! このクソッタレが、そんなことしたら、オレがおめーにスタンド攻撃をしてるってことが、あいつらにバレちまうじゃあねーかよッ!」
 真っ暗な視界、静かすぎる空間。私は急にそれを感じ、男の声だけしか聞こえない空間に戻ってきてしまったと理解した。
「オレの能力が効くのはひとりまでなんだよッ! だから、ひとりずつ確実に始末してやろうと思ったのに、こんのボケが――ッ」
 私は試しに『彼女』の名前を呼んでみたが、『イン・シンク』はもう出せそうになかった。どうやらこの男は、全力で押さえつければ、スタンドを操る感覚も奪うことができるらしい。
 男の怒鳴り声を聞きながら、私は内心、息を吐いていた。『イン・シンク』の行動によって、私がスタンド攻撃を受けていることをナランチャたちに伝えたのは正解だったことを確信したからだ。
 この敵スタンド使いには、ひとりで対応するのはかなり難しい――仮にこのまま私がやられてしまったとしたら、私の仲間たちもひとりひとりやられていた可能性がある。
「ふん、テメーがスタンドを出せるってことを失念したのはオレのミスだ……。スタンド能力までをこの『ブラックホール』に吸い付けるのは、結構骨なんだよ。そう簡単じゃあねえ……それだけに、失念するべきじゃあなかったとも言えるが」
 男が何かブツブツ言っているが、私はもうそれどころではなかった。五感が働かない分、いつもの三倍は頭が動いている気がした。

 私が考えていたことは三つ。第一に、私の仲間たちの無事。第二に、今の私にもできる反撃方法はないか? ということ(しかし、うまく思いつかなかった。スタンドが出せなくて、五感が奪われて自分がどこにいるのかもわからないとなると、やはりどうしようもない)。
 そして第三に、あの時『イン・シンク』が勝手にしたこと。
 ――『イン・シンク』は、物質からも、記憶、引っ張り出せるんだ……。
 『彼女』はまた、勝手に行動した。さらに、私を非難するようなことも口にした――しかし、実際その通りだった。私は、私自身のことも、『彼女』のことも、よくわかっていない。
 無機物から引き出したその記憶は、何を刻んでいるのだろう? 一度、その記憶を覗いておいた方が良いかもしれない。
「おっと! テメーの仲間が気づいたようだ……いっけねえ、テメーとのおしゃべりに興じている暇はねえ……待ってろ、テメーの仲間を始末した後に、テメーを家族ごと始末してやるから」
 男が荒々しく放った言葉に、考え込んでいた私はハッとさせられた。何か反撃の手立てはないかと思わず暴れようとしたが、やっぱり駄目だった。
 ――ナランチャ、フーゴ、ブチャラティ……。
 今の私には、もう為す術もない。
 ナランチャたちがこの男を攻撃して、この真っ暗な世界から少しでも逃れられる機会が出てくるのを待つまでは。


 男の声が私に向かなくなり、私は本当に、真っ暗な世界、何も聞こえない世界にひとりにされてしまった。
 私は彼らの無事を祈りながら、ひとつのことを実感する。
 私はやっぱり――彼らのことを、信頼しなければならない。何があっても。
 そしてそれを改めて実感するまでもなく、私は既に、彼らのことを心から信じているのだ。
 何も見えない、真っ暗な世界に、彼らの顔が浮かんだような気がした。それは今の私にとっては、とても輝いているように見えた。

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