16.不信感

「……なんの、ことですか」

 やや警戒しながら、私は目の前の男に問いかける。冷や汗が身体中から吹き出ているが、構ってなどいられない。
 対して男―――フーゴは、冷たい目のまま私に話しかける。
「見ればわかりますよ。アンタが何か隠していることくらい。ブチャラティは、望まずギャングになってしまった君に同情して、君を疑うことはしていないようだし、ナランチャには君を疑うという選択肢すら無いみたいですが。なあアンタ……何を、隠しているんです?」
「……女の子には秘密のひとつやふたつ、あるもの、ですよ。それで勘弁してくれませんか?」
 唾を飲み込み、カラカラの口から発せられた言葉。少しつっかえてしまったけれど、なかなか良い言い訳ができたかもしれない。
 しかし、フーゴはそんなことで見逃してくれるほど、甘くはないようだ。
「ナランチャは……感づいてすらいない。いや、もしかしたら、知っててぼくらに隠しているのかな? それはわからないが……。そして、ブチャラティは少しは君のことを疑っているのかもしれないが、それよりギャングという身になった君を気にかけている。―――このぼくが、単刀直入に聞くことにしましょうか。『ジュリオ』を殺したのは、アンタですね?」
 汗がどっ、と吹き出る。顔に熱が集中したと思ったら、一気に血の気が引いていって、上手く声を出すことが出来ない。乾いた唇を舐めようとしても、口の中が乾ききっていたため、潤うことはなかった。
 ―――『イン・シンク』を使って、あの時みたいにフーゴから私の記憶を消すしかない? そうすれば、とりあえずは―――否、だめだ。あの時は全く知らない人同士だったからなんとかなったけど―――仕事仲間の記憶を、これ以上勝手に消すわけにもいかない。
 私が何も言えず、何もできずに立ち竦んでいると、フーゴはさらに畳み掛けてくる。足が少し、震えてきた。
「ブチャラティが情報分析チームに頼んだ時、彼らは少し気になることを言っていたんですよ……。この女は、ここらで見かけない新参の浮浪者だ、ってね……。そして目撃者に当たってみても、言うんです。『よく似ている』って」
「…………人違いじゃないですか? 私は、『ジュリオ』なんて知りません」
 なんとか喉から絞り出した声は、意外なほどしっかりしていた。フーゴは暫くじっ、と凝視してきたので、私も目をそらさずに見つめ返す。彼の瞳の色を見ても、何を考えているかてんでわからない。なんとなく居心地が悪くなるので、本当はすぐにでも目を逸らしてしまいたかった。しかし、なぜだか意地になってしまって、結局こちらから目を逸らすことはなかった。
 先に目を逸らしたのは、彼の方だった。彼は、長く長く息を吐き出す。そして、フーゴはほんの少しだけ、その堅い表情を緩めた。

「フゥ、まあいいでしょう」

「……何が、ですか」
 私が訝ってフーゴに問うと、彼は平然とこう答えた。
「君が本当に『ジュリオ』を殺した犯人かなんて、正直どうだっていい話なんです。彼は下っ端の中でも下っ端の、ただのチンピラでしたからね。犯人が見つかれば制裁を下す、見つからなければ今回は見逃してやっていいが、次に何かをやらかしたら今度こそ始末する。その程度です。それよりぼくが知りたかったのは、君の性格ですよ。―――ナマエ」
 彼が何を言っているかわからず、私は顔を顰める。彼はそんな私のことに気づいていたらしく、まあそんなに怒らないでくださいよ、なんて淡々と言い出した。少しだけ苛ついたけれど、それを顔に出さないように彼の言葉を聞く。
「ナマエ。君が自白したりしたらぼくは君を告発したでしょうね。これでいいんですよ、ギャングとして生き残るためには。ぼくは君を告発しません。―――その代わり、ぼくは君を信用しない。ぼくは今でも、君が『ジュリオ』を殺したと思っていますから」
「…………そうですか」
 なんて言っていいものかわからず、私はそれだけ答えることにした。それ以降、私もフーゴも何も言葉を発しなかった。

 フーゴからの信用は得ることができなかったが……、なんとか、危機を乗り越えた、と考えても良いのだろうか?
 フーゴは私を告発しない。ナランチャも私を告発しない。ブチャラティはとりあえず私を疑っていない。これで大丈夫、と考えても良いのだろうか……?
 もしこれで、フーゴに告発されてしまっていたら……私は恐らく、警察に連れていかれるよりも酷い目に遭ったことであろう。もしかしたら、死んでしまうかもしれない。ナランチャが『バレねーようには気をつけろよ、バレたら終わりだ』なんて言っていたことを今更ながら思い出す。背中につう、と冷たいものが走った気がした。

 暫くの間、二人はただ無言でホテル前を警護していた。むしろ、誰も人が寄らないので、ただ立ち尽くしているだけにも思える。何故このホテルにギャングの警護が必要なのか、正直言ったところ全くわからない。思わず欠伸すら出てきそうだったが、それはなんとか堪えることにした。
 ただぼうっとして、ほとんど何も考えずにいた―――その時。

 騒々しい足音と、聞きなれた少年の声が聞こえてきた。

「待て―――ッ! 殺すッ! ブッ殺す―――ッ!!」

「この声は……ナランチャ!? ふ、フーゴ、どうしましょう」
「もしかして、敵スタンド使いかッ!? ……ナマエ、ナランチャの元へ行ってください。ブチャラティは恐らくレストランを警備したままのはず。つまりナランチャは、一人で敵を追っているはずです。ぼくはここでホテルを見張っていますから、ナマエはナランチャの応援へと向かってくださいッ!」
「わ、わかりましたッ!」
 そして私は、少し考え事をしながら走り出す。―――東のレストランから、ここまで随分あるはず。私たちはタクシーを使って来たのに。どうして、ナランチャはここを走っているのだろう?
 そして―――フーゴが私を一人にせず、ナランチャと共に行動させた、ということは私を信用していない、という意思表明か? 正直言って、信用できない人に仕事を任せる時、敵と戦わせるよりは、誰も来ないホテルの警護をさせている方が良いような気もするけど。
 そんなことを考えながら私は、ナランチャの元へと走った。少し不安だったけれど、走りながら『イン・シンク』を呼ぶと、『彼女』は当然のように現れた。

「……何かあったらよろしくね、『イン・シンク』」
 
 『イン・シンク』は何も言わずに微笑んだ。そんな『彼女』を連れて私は、私のヒーローである少年―――ナランチャの元へ、全力で急ぐのだった。

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