■さよならアンチ・コズミック

 船内、オールクリア。LeViのアナウンスでそれを知る――今回は、私たち人間側の勝利だと。
 ロビーには、生き残った皆が集まっている。お魚ケーキを作ると言い出したオトメ、まずは生き残ったことを喜ぼうと言うシピ。ジナに抱きつきながら喜びを表現するククルシカ。嬉しそうにはしゃぐしげみち。各々が、彼らなりに生き延びたことを喜んでいた中で――無表情のまま、ロビーを立ち去る影があった。
「……沙明?」
 思わず、小さくその名を呼ぶ。私の呟きは、騒がしいロビーでは誰の耳にも届かなかったようで、反応はない。
 ふらりと立ち去る沙明を、思わず追いかけた。私と彼がその場を抜け出したことに、ロビーにいた誰も、気付くことはなかった。


「沙明、どうかしたの?」
 彼のことを追いかけると、沙明が寝泊まりしている共同寝室に辿り着いた。今にも寝ようと準備していたらしい彼は、気だるげにこちらを振り返る。
「……ナマエ」
 覇気がない。一体どうしたというのだろう。お互いが人間で、彼と生き残ったとき、沙明はいつも一番うるさかった。『レッツパーリィナイ!』なんて言いながら、楽しそうに騒いでいた。
「どうかしたの? 元気ないね、せっかく生き残ったのに」
 体感上、沙明は人間ではないときの方が大人しくなる。グノーシアにしろ、バグにしろ。だが今回はバグはいない設定だし、グノーシアは確かに全員コールドスリープしているはずだが――と。
 私がそう考えているうちに、ふと、沙明の瞳を見た。
 その瞳の中にあるものは。グノーシアでもバグでもない狂気だと、私は知っていたはずだ。

「……もしかして、AC主義者?」
 思わず、ぽろりと零す。沙明は小馬鹿にするように、乾いた笑みを浮かべた。
「ビンゴォ! ナマエちゃんにしては気付くのが遅かったですねェ?」
 沙明は嘲笑うように笑みを浮かべたが、私は納得して頷いただけだった。
 確かに、AC主義者なら人間の勝利を祝う気分にはなれないだろう。現に、AC主義者が人間たちの勝利を喜べずに、陰鬱な表情をしていたのを何回も見たことがある。
 ならば私は、普段より暗い表情をした沙明がAC主義者であることを、どうしてすぐに気付けなかったのか。
 理由は簡単。今までは偶然、人間勝利のときにAC主義者の沙明が生き残っていたことがなかったため、このような彼を見たことがなかったから。そして。
 似合わないと思ったからだ。生きることに貪欲で、グノーシアに消滅させられることを恐れている姿を見せてきた沙明が、グノーシアに消されることを望むAC主義者になっているなんて。


「……似合わないね」
 なので、思わず本音を言ってしまったが、沙明は怪訝そうな顔を見せただけだった。
「あ? 似合わないってなんだよ、こちとらずっと昔から、グノーシアに消されること望みながら生きてきたんだっつーの」
 この言葉も当然だろう。彼は私がループしていることなんて知らない。私が勝手に、蓄積したループで抱いていた「沙明らしさ」というイメージなんて、目の前の沙明には知ったことではないだろう。
 だが、私としては、沙明がAC主義者というのは、やはりしっくり来なかった。
「そりゃあ……生き残るためなら、土下座だってしそうな人が、消えることを望んでいた、なんて。そんなこと言われたらびっくりしちゃうよ」
 ループのことを明かさない程度に、思ったことを素直に言う。
 私が今まで見てきた沙明は、消滅させられることを嫌い、そのためにはなりふり構っていられないと、そう言っていた。議論中に雑談したり、コールドスリープされそうになったら土下座したり。生き残るためならいくらでも頭くらい下げると、そう言っていた。
「リアリィ? ナマエお前、俺のことそんな風に思ってたの? 土下座とか、人としてありえねーって」
 だが沙明は、この宇宙の沙明は、いけしゃあしゃあとこんなことを言い出す。
 その言葉には苦笑いした。私は何回も、コールドスリープを逃れようと土下座をした沙明を見てきたのに。そして、そんな沙明が、私に土下座を教えてくれたのに。
 過去が違う。思想が違う。性格や言動が近似だったとして、今まで出会ってきた全ての沙明が同じ存在だと、本当にそう言えるだろうか。


「……ねえ。沙明はどうして、AC主義者になったの?」
 ふと。私は口を開く。それは、ほとんど無意識に飛び出た、根源的な疑問だった。
 グノーシアになるのは分かる。異星体グノースに触れられた者は、強制的にそうなってしまうから。
 同時に、バグになってしまうのも分かる。きっと、バグという存在は――私がループして、宇宙の時空が歪んだときに、誰かがそういう存在となってしまうのだろう。
 だが、AC主義者は違う。何らかのきっかけで、グノーシア騒動が起きるずっと昔に、そういう思想になってしまうのだ。AC主義者の似合わない沙明が、何があってAC主義者となったのか――私は、それが知りたかった。
「……それを教えたところで、お前が俺を消してくれるっつーんですか?」
 彼は顔を顰めながら言い放つ。同時に、何故そんなことを知りたがるのか、と怪訝そうだった。
「確かに、今の私には、沙明を消すことなんてできないけど」
 いくら彼が消えたいと願ったところで、今目の前にいるこの沙明を消してあげることはできない。この宇宙の私は、ただの人間だから。
 それでも。
「でもね……話を聞きたいって、そう思ったから。知りたいって思ったの。生き残ったことをみんな喜んでるのに、一人だけ辛そうな顔をしている、沙明のこと」
 そして、私は沙明の瞳をじっと見つめる。彼は無表情の中に、AC主義という狂気を滲ませていた。
 実のところ、銀の鍵は既に沙明の情報を満足するまで集めている。今の沙明と話したところで、ループの情報を得ることも、他の乗員の情報を得ることもないのだろうと推測もできる。
 それでも。私が沙明と話したいと思ったのは、そんな理由ではない。
 ループも銀の鍵も関係ない。私が、今の沙明について、知りたいと思ったのだ。


 沙明は諦めたようにため息をついたが、やがて、ぶっきらぼうに言い放った。
「死んだんだ」
「え?」
「死んだんだよ。俺の友達。ジェノサァーイド! ってヤツ」
 黙って聞く。実のところ、沙明の過去は違うループで聞いたことがあったが――今の沙明の過去は、今の沙明だけのものだ。
 だから、口を挟まずに、彼が話したいように話す言葉をじっと聞く。この沙明も知性化されたボノボと育ったのだろうかと気になったが、敢えて口に出すことはしない。この沙明が語らない限りは、もしかしたら違うという可能性も、ゼロではない。
「こんな世界、クソ食らえって思った。今でも思ってる。グノーシアに消されて、この糞宇宙から消えてヘヴンに行ければ、アイツらにまた会えるのかなァ……って……」
 なるほど、と。いざ聞いてみれば至極シンプルな理由だと思う。
 AC主義者ではない普段の沙明は、友達がみんな殺されたことにより、自分は何があっても生き延びようと思うようになったのだろう。
 反対に、AC主義者となった沙明は、目の前にいる沙明は――友達がいないこの宇宙に、絶望してしまったのかもしれない。こんな宇宙より違う宇宙に行きたいと。そこでまた友達に会えるのではないかと、そう思ってしまったようだ。

「で? グノーシアじゃねーお前は、俺の昔話にどう反応してくれるんですかねェ?」
 は、と顔を上げた。沙明の目は、いつになく暗く光っている。
 それに吸い込まれそうになりながらも、私は、落ち着いて言葉を続けた。
「今の私は、ただの人間だから。沙明を消すことはできない。沙明の言う天国――グノースの下に送り込むこともできない。沙明の友達に会わせることも、できないよ」
「……そうかよ」
 期待はしてなかったけどな、と彼は欠伸する。実際今の彼は、何に対しても期待していないだろう。自分の望みを叶えてくれるグノーシアたちは既に、冷たく眠ってしまっているのだから。
 そんな沙明に、私は。
「だけど。抱きしめることは、できる」
 ただ、そっと。手を伸ばした。


 少しの沈黙。呆然としていた彼は、しばらく後に、我に返ったような顔をして口を開いた。
「……オイオイオイオイ、なんの冗談だ? アッハ、これは予想してなかったぜ」
「今の沙明にとっては……これは、天国ではないかな?」
 そう言いながら、混乱した彼の顔を見上げる。思い出すのは、少し昔のループの記憶――
 ――クソ粘菌どもに絡まれる地獄だってのによ。一瞬でヘヴンになっちまったじゃねーか。
 二人きりでコールドスリープして、彼のことを抱きしめた記憶。
 あのときの彼はグノーシアで、今の彼はAC主義者。そしてどちらも、私は人間。なんだかままならないなと、そう思う。
 沙明は困ったように視線を泳がせる。だが少なくとも、拒絶はされていない。だから私は、そのまま抱きしめ続けていた。
 あの時と同じ体温だなと、そう思った。

「ナマエサンよ、これで俺が心変わりすると思ってんのか?」
 彼は眉を顰めながら言ったが、しかし、少々動揺が声に滲み出ているように思う。
「あなたの思想を変えるつもりはないよ。それで沙明が救われるとは限らない。そして、私には責任は持てない」
 そんな彼に私はこう言うしかない。だけど、せめて、さらに強く抱きしめた。
「でも……今だけは、少しくらいは……穏やかな気持ちになってほしいなって、そう思った」
 私がループしても、この宇宙は続いていく。そしてそこに、私はいない。
 ならば。せめて残される人が、少しでも幸せであるように。ループし続ける私が彼にできることは、それくらいしかないから。

「……あったけェな、お前」
 しばらく抱きしめ続けると――ぽつりと、彼は零した。そして、沙明も私に手を伸ばして、抱きしめてくれた――ぎゅっと。
 その言葉の真意を深く聞くことはしない。何も変わらないかもしれない。それでも私は、こうしていたかった。


 しばらく経ち、どちらともなく離れる。
 沙明の瞳は、暗いままだったが――どこか、熱を帯びているような気がした。
 なんとなく沈黙が降りる。何かを言おうと思って、口を開いた瞬間――
「あっ、お前らこんなところにいたのか!? 探したんだぞ。オトメが魚ケーキ作ったからよ、皆で集まってパーティしようぜ!」
 ――タイミングがいいのか、悪いのか。いなくなった私たちを心配したのか、しげみちが部屋の中に入ってきた。
 思わず、沙明と顔を見合わせる。目を丸くした彼は、久しぶりにAC主義という狂気を忘れたように見えて、なんとなくほっとした気分になった。
「……オゥケェイ、レッツパーリィナイ! ホラ、行くぞナマエ」
「え、あっ、うん」
 そして沙明は、声を張り上げる。
 隣にいた沙明の顔を見上げると、笑顔を貼り付けていた。無理しているのではないか、とも思ったが、一見楽しそうだ。何にせよ、しげみちがいるのだから下手なことを言うべきでもないだろう。そう思いながら、部屋を出て、三人で食堂に向かった。

 そして、私たちはそのまま食堂でのパーティに参加した。沙明も、笑顔を見せながら騒いでいる。
 彼も、少しくらいは元気を出してくれたということでいいのだろうか。彼の思想を変えられたとまでは思っていないが。
 これからの宇宙、私がいなくなっても世界は続く。これからも沙明は苦しみ続けるのかもしれない。
 沙明は私のことを忘れるだろうか。忘れてくれてもいい。でも、抱きしめた瞬間の気持ちだけは、忘れてほしくないな、なんて。この宇宙から去る私としては、酷いことを思ってしまっているかもしれない。


「みんな……幸せにね」
 食堂で騒ぐ皆を眺めながら、一人呟く。私の言葉に気付いた人はいない。それでいい。きっと皆、私のことは忘れるから。
 嗚呼、もうすぐループが始まるだろう。この宇宙の皆とはお別れで、そしてまた、違う宇宙の皆と出会うことになる。
 それでも、せめて。二度と会えない、この宇宙で生き残った皆の幸せは、祈っていたい。
 目を伏せる。そして、この宇宙から私は消える。
 最後の瞬間、沙明が、何か強い感情を秘めてこちらを見ているような気がしたが――気付かないフリをした。
「またね」
 その代わり、別れの言葉を口にする。彼には届いただろうか。聞こえなかったかもしれない。……それでもいい。
「……ああ、シーユーァゲィン。……またな」
 だから、この言葉が聞こえた気がしたのは錯覚なのだろう。
 そして私はループする。今の宇宙への名残惜しさと、次の宇宙への期待を、胸に抱えながら。


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