■天使の微笑み

 何でこんな能力持っちまったかなあ、としみじみそう思う。
「守護天使は自分は守れないとか……欠陥能力じゃね?」
 誰もいない娯楽室で愚痴ったところで、愛の返事をしてくれるエンジェルがいるわけでもなく。
 今日は誰を守ってやろうかな、なんて。柄にもないことを考えていた。


「おい、ナマエいるか?」
 その女の使っている個室に向かったのは気まぐれだ。ほんの気まぐれ。強いて言えば、あいつがさっきの議論で留守番だと名乗り出ていたから、確実に信用できるというだけだった。
「沙明。どうかしたの?」
 ナマエは振り向き、無邪気に笑いかけてきた。その毒気のない笑みに、思わず気が抜ける。
「オイオイお前、ちったぁ警戒しろって。んな無防備だと襲われんぜ?」
「グノーシアは空間転移の時にしか人を襲わないよ。人間の方が数が多いときはね」
「んなこと言ってんじゃねーって」
 こいつマジかよ。男が部屋に入ってきても、マジで意識とか警戒とかしたりしねえの?

「――男に襲われても、誰も助けてくれねぇってことだよ」
 ちょっと脅かすつもりで顔を近付ける。いっそベーゼのひとつでもしてやろうか。
 そう思ったのに、ナマエは怖がりも、顔を赤らめもせず、平然と言った。
「沙明は、そんなことしないでしょ」
 妙に確信を持った言い方をされるのが気に入らなかった。確かに本気で手を出すつもりこそなかったが、そう言われると、男として見られてないみたいでイラつく。
「そんな風に煽られちまったら、マジでキスすっぞ」
「嫌だ」
「おま、マジトーンで言うなよ。凹むから」
「あはは。……でも私がこう言ったら、無理やりやったりしないでしょ?」
 確かに、本気で嫌がってる女に無理やりする趣味はない。だが見透かされている感じで気に入らないから、ちょっとからかってやった。
「へぇ、どうかね? 嫌よ嫌よもンーフーン? つーだろ?」
「言わないよ……」
 ため息をついて軽くあしらわれる。なんだよ冷てぇな。

「それに、他の人たちもそんなことはしないよ。……少なくとも、男性と汎性はね」
 どこか遠い目をした。……こいつが何を言いてーのかは、分かんねーけど。
「……お前、妙に他の奴らのことも分かってますよ、って言い方すんのな」
「そうかな。議論のときのみんなの様子を見ていただけだよ。例えば、しげみちはステラを庇ってたし、ジョナスはククルシカを見てたじゃない? シピはどう見ても人間より猫が好きだし、レムナンはまず人間が苦手に見えるし。私のことを襲う襲わない以前の問題だね」
「あァ……? そうかァ……?」
 言われてみればそうかもしれないが。俺以外のこともよく知ってますよ、って言い方すんのか。……気に入らねぇ。
 にしても理解度高すぎだろ。エスパーか何かか?

「それより、何か用事でもあるんじゃないの?」
 真面目くさった顔で、ナマエはこちらを見てくる。その表情にため息をつきながら、本来の目的について話してやった。
「……別に。守護天使ってのは、誰を守ってやったらいいんだろうな、って思ってただけだよ」
 ナマエは目を瞬かせた。……クソ、可愛いな。
「沙明、グノーシアなの?」
「あ? なんでそうなんだよ」
 前言撤回。可愛くないこと言いやがった。
「守護天使が誰を守ってるかを留守番の私に予測させて、守護天使が守っていない人を襲おうとしてるのかな、って。そう思ってみただけだよ」
 ナマエは平然と言う。
 ……俺からしたら留守番のナマエは信頼できる存在だが、ナマエからしたら俺が信用できるとは限らない。言われてみれば当たり前だ。
「あー、そう思うなら別にそれで構わねーよ。だからって、留守番様に疑われてオネンネさせられんのも勘弁だけどな」
「沙明のことを特別疑ってるわけじゃないよ。絶対に信頼しているとも言い難いけど」
 コイツ、可愛い顔して結構言うな。そういう女をオとすのも悪かないですけどね?

 そんなことを考えていたら、ナマエは真剣そうな表情で、言葉を続けていった。
「でも、そうだね。グノーシアが襲いやすいのは……エンジニアやドクターなどの役職。留守番や、エンジニアから人間判定を出された人間。特に留守番などの、人間が確定している人物」
 オイオイ、何だかんだ言ってアドバイスしてくれんのかよ。ちょっと意外だった。
「あとは……議論に強い影響を与えがちな人も襲われやすいかな。ラキオとか、夕里子とか、セツとか。嘘を見抜く直感の強いコメットとかも、脅威と見なされて消されるかもね」
「……へぇ。そんでナマエ様は、グノーシアかもしれない俺に、なんでそんなに親切に教えてくれるんですかねェ?」
 コイツ、俺に気でもあるんじゃね?
 そう思って、ニヤニヤしながらこう言ってみたが、彼女はやっぱりつれなかった。
「沙明が守護天使である可能性自体はあるから、無難なアドバイスをしてみただけ。私だって、できるだけ人間の犠牲者は出したくないしね」
「そうかァ? そんなタテマエなんて放っておいて、今からベッドインしちまっても俺は構わねーぜ?」
「――それに」
 からかい続けてたら案外強い口調で言い切られ、思わず俺は黙っちまった。
 見た目は、普通の可愛い女なのに。……どこかカリスマ性を感じさせる、有無を言わさず人を従わせるような口調で、こんなことを言い出した。
「……これでもし、私が例を出した人が消されたら。私が沙明をグノーシアじゃないかって、そう疑うだけだよ」
 怖っわ。

 コイツのことを侮るのはやめておいた方がいいかもしれないな。そう思っていると、ナマエはふと表情を和らげた。
「……なんてね。守護天使が守れるのは一度に一人だけだし、そこまで気負う必要もないと思うよ。せっかく、人を守れるという力があるんだから……自分が一番守りたいと思う人を、守ればいいんじゃないかな」
 そして、彼女はどこか切なげだった。……こいつが何を考えているかは、わからないけど。
 ナマエの表情を見て、俺は決めた。

 決めた。
 ナマエのことを守ってやろう。
 こいつがいりゃ、話し合いもなんとかなんだろ。
 もしナマエの言う通り、彼女に俺がグノーシアだと疑われて、オネンネさせられちまったとしても。グノーシアに消されるよかマシですし?
 俺がオネンネしちまったあとも、ナマエが残ってくれりゃ、人間も勝てるだろ。人間が勝てれば、そのうち俺だって起こしてもらえる。なんだ、寝てたって悪いことなんて何もなくね?
 ま、にしても。なるべく生き残れるよう、適当に立ち回ってやりすごすとしますかね。俺が生きている限りは、ナマエも死ぬことはないからな。
 それと。
 もしオネンネすることも消されることもなく、最後まで二人で生き残れたら。今度こそ、ベーゼのひとつでもくれてやろう。


 次の日。ラキオが消えた。
 確かにあいつ、厄介そうだったし。グノーシアからしてもそうだったのだろう。……しかし、ナマエの言う通りだった。目立つ人は、襲われやすい。その通りだ。
「ラキオを狙ってきたか……。グノーシアの連中も考えたな」
 思わずそう言うと、ナマエからの視線を感じる。ニヤッと笑い返してみたが、目を逸らされてしまった。
『これでもし、私が例を出した人が消されたら。私が沙明をグノーシアじゃないかって疑うだけだよ』
 昨日はこんなことを言っていたが、本当に俺を疑うつもりだろうか? 俺はお前のこと、守ってやったっつーのにな。

 ……と思ったが、話し合いの中でも、ナマエは特に俺を疑ったりはしなかった。ラキオを守れなかったことについて、チクっと嫌味を言われるくらいはあるかもしれないと思ってたが。
 んだよ、拍子抜けなんですけど。


「ナマエお前……俺のこと疑わなかったのな」
 メインコンソールから出て、なんとなくナマエと一緒に歩いていた。俺の足は自然と娯楽室に向かい、彼女も一緒についてきた。
 娯楽室には誰もいない。だから、俺が守護天使だっつー話も腹を割ってできるわけだ。
「仮に沙明がグノーシアだとしたら、私を襲えばいい話だからね」
 彼女はしれっと言った。言っている意味がすぐには分からなくて、首を傾げる。
「あん? どういう意味だよ」
「人間が確定していて、人が消えたら自分のことを疑うって宣言してきた留守番なんて。沙明がグノーシアだったら、私を残す理由なんてないでしょ? だから、私以外の人が消えていた時点で、沙明はグノーシアじゃないって思ったよ」
 納得した。昨日の「守れなかったらグノーシアと疑う」は、本当にただのハッタリだったわけだ。
「カーッ、よくやるねェ……。というかお前、それで俺に襲われて消えてたらどうするつもりだったんだよ」
「その時はその時、かな」
 いまいち生存意欲の薄い女だ。どうも理解し難いところがある。……やっぱ、俺が守ってやるしかねーのかもな。

「それに……沙明が、というか……守護天使が誰かを守って犠牲者を減らすこと自体、あまり考えてないかな。もちろん、犠牲者が出ないほうが嬉しいけど。グノーシアと守護天使の性格にもよるから、難しいよね……」
「……んだよ。俺には期待してねーってか?」
 ややイラッときた。別に人間全員守ってやろうってほど聖人でもないし、自分が生き残れればそれでいいとは思っているが。
 守ってやってもいいって思った奴くらいは守ってやりたい、と。今の俺は、柄にもなくそんなことを思っている。
「そういうわけじゃないけど。……そもそも沙明は、女子とセツしか守るつもりないでしょ?」
 寝耳に水だった。ナマエの奴、なんでそんな風に思ったんだ?
「あ? なんでんなこと思ったんだよ」
「え。なんで、って」
 俺の言葉に、彼女は心底不思議そうな顔をしていた。……こいつ、俺のこと何だと思ってるんだ?
「俺、アンタのことしか守るつもりねーけど?」
 だから、こう言ってやった。それは口説き文句のつもりもなく、ただの事実だった。

「……えっ!? な、なんで?」
 顔を赤くして、上ずった声をあげるナマエ。なかなか珍しいもんを見た気がする。
「へぇ、イイ顔すんじゃん」
 ……ま、確かに。こいつを守ってやろうと思う前は、守る奴は適当に選んでやるかなとは思っていた。それは、男よりは女とかセツとかの方が良いな、とは思っていたが。
「沙明が、私だけを……? 本気?」
「マジだって。証拠に熱いベーゼでもしてやっか? 舌入れるヤツな」
「そ、そういうのはいいから……」
 でも、今はこいつを守ろうという気持ちの方が強かった。こいつがいれば人間が勝てる気がする、というのももちろん理由のひとつだが。
 それ以上に。ナマエと生き残れれば、グノーシア騒動が終わってからも、コイツのこんな表情を見ることができる。
 消してやりたくない、消えてほしくない、と。そう思う。
 ま、もちろん俺が生き延びることが大前提ですけどね。俺が生き残った先に、できれば俺のお気に入りも一緒に生き残って欲しいってのは、当然の話だろ?

 →後編


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