■女夢主に対して(ほんのちょっぴり)愛が重いシーザー

 おれの恋人、ナマエはいつも一生懸命だ。
 恋人であり波紋の修行の妹弟子、ナマエ。
 彼女も家族を、両親をあのコロッセオ地下の壁の中の生物に奪われた。
 おれがそんなナマエを愛したのは、傷の舐め合いに過ぎないのだろうか。
 ナマエと初めて出会ったとき、彼女は世界で一番寂しそうな顔をしていた。少なくともおれには、そう見えた。


「シーザー、お疲れ様」
 修行終わり。おれの寝泊まりしている部屋にやってきたナマエは、屈託なく笑いながらおれの名を呼ぶ。
 ナマエはよく笑う。それは、光のようで、太陽の光を浴びて虹色に輝くシャボン玉のようで。だけどそれが脆く儚いものであるということは、おれだけが知っている。
「ああナマエ、お疲れ。無理してないか?」
「無理はしてないよ。私、元気だから」
 そう言いながらも、ナマエはおれにもたれ掛かってきた。そして、ため息まじりに呟く。
「でも、ちょっと疲れたかも」
「……あんまり、根を詰めすぎるなよ」
 そして彼女の髪に触れた。そのまま頭を撫でる。壊してしまわないように、そっと。少しずつ強くなってはいるが、最初に出会った頃に彼女が纏っていた寂しさを思うと、力強く抱きしめることもできなかった。壊してしまいそうで、怖かった。
 泣きたくなるくらいに。


 しばらくの間そうしていた。そんな中、彼女はぽつり、声を漏らした。
「ねえシーザー。私たち、いつまで修行を続けなきゃならないんだろうね」
 ナマエが弱音を漏らすのは珍しい。そんな彼女と目を合わせ、おれはしっかりと自らの決意を告げる。
「……強くなるまでだ。強くなって、仇を討つんだ。奴らを倒す、その日まで……」
 自分に言い聞かせる言葉でもあった。おれたちは強くなって、仇を討たなければならない。
 おれにとっては祖父と父の無念を、彼女にとっては両親の無念を。それまではナマエと共に強くならなければならない。強く強く。
 ナマエは弱々しく呟いた。
「シーザー。私たち、全てが終わったら、その時は幸せに暮らせるよね?」
「ああ、二人きりで。それがおれの夢だ」
 そして明るい家庭を築こう。他でもないナマエと。それが夢。
 おれたちはしばらく見つめ合う。そしてふと、彼女は表情を緩めた。
「その言葉が聞けて良かったよ。私、シーザーがいるから頑張れる。いつか、シーザーと家族になれたらいいな」
 そして彼女は笑う。その笑みの中には、儚さの中に確かに強さがあった。
 自分の弱さを認め、それを強さに繋げていく。おれはそんなナマエのことを、世界で一番綺麗だ、と思った。


「だからシーザー。浮気はしないでよね?」
 そして彼女は冗談混じりといった口調で言う。だがおれは、大真面目に答えた。
「しないさ。おれにはもう、ナマエしかいないから」
「調子のいいことを言って……。前には、シーザーにたくさんガールフレンドがいたの、知ってるんだからね?」
 ナマエはどこかじっとりとした口調で言うが、おれは再び、真面目に言葉を重ねた。
「今はいないさ。誓って本当だ」
「そうなの? シーザーって女の子を傷付けないように、嘘なんていくらでもつきそうだけど」
 ナマエは案外、あまり気にしていなさそうだ。軽い調子で、そんな言葉を紡ぎ続ける。
 これがおれの本心なのに。おれにはもう、本当にナマエしかいないのに。

 たくさんの女の子に声をかけるのは、ナマエと出会った時点でもうやめにしていた。以前までは、寂しい顔をしている女の子を見かけると、つい声をかけていた。
 今は違う。世界で一番寂しそうな顔をしていたナマエの顔を、おれはもう見たくなかった。
 たくさんの女の子の寂しそうな顔よりも。おれは、たった一人の目の前の女の子の寂しさを、おれの全てで埋め尽くしてしまいたかった。


「ナマエ。……これがおれの気持ちだ。受け取ってくれるよな?」
「えっ――」
 だからおれは、ナマエに口付けた。きょとんとした表情の彼女の唇に、自らの唇を合わせる。
 それは何度も行ったもの。だけど、今回はとびきり心を込めた。

 ナマエに伝えたいことは、たくさんある。
 本当に無理するなよ、とか。おれ以外にはその笑顔を見せないでくれ、とか。
 愛してる、とか。

 彼女の前だと気障な言葉ひとつ言えやしない。
 否、言おうと思えば言える。思いつく言葉はいくらでもある。だが、その言葉を懸命に伝えたところで、ナマエにどれだけ伝わるというのだろう。
 だからおれは口付ける。深く深く。言葉より雄弁に語る愛を伝えるように。輪郭が消えてひとつになってしまいそうで、だけど、おれと彼女の間にある輪郭が消えることは決してない。

 ああ、心が一つに溶け合ってしまえばいいのに。そうすれば、おれがナマエのことをどれだけ想っているのかということを、彼女に全部、伝えることができるのに。


 少しの後、後ろ髪を引かれつつもおれたちは離れる。いつまでもそうしているわけにはいかないから。やはり、名残惜しいけれど。
「ちょっと、いきなりはびっくりするでしょ!」
 不意を打たれたナマエは、顔を赤くして軽く怒ってみせる。その反応が、初心に見えて可愛らしい。
「ああ、悪いな。おれがナマエのことを世界で一番愛しているということが、伝わってほしくて」
「そういう気障なことをペラペラ言うのがちょっと胡散臭いの!」
「……本当のことなんだけどな。おれが、ナマエのことだけを愛しているということも、全部」
 おれが真剣に本心を言うと、彼女は赤い顔のまま、小さく呟いた。
「……うん。伝わったつもりだよ。シーザーが私を好きっていうこと」
 それからナマエは微笑んだ。おれにとびきりの愛を、伝えるように。
「だからシーザー。私の気持ちも伝わったよね? ……私も愛してる、って」
 熱っぽく見つめ合う。愛しい気持ちが零れるようで、おれたちは再び、唇を合わせた。さっきのものよりも、深く、長く――


 これは傷の舐め合いなんかじゃない。決してそれだけではない。おれとナマエの間に確かに存在する、この愛は。
 二人でいれば寂しくなんてない。もちろんおれと彼女の間には仇討ちという別の目標があって、ずっと二人きりでいるわけにもいかない。
 それでも。おれとナマエの紡ぐ将来の先にあるものは、明るい未来であるということ。それがおれたちの愛の向こう側にあるものだと、おれはそう信じていたかった。


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