■クリスマスの不運

※R15?

 折角のホワイトクリスマスだというのに、何故私はこんなタイミングで熱を出してしまっているのだろう。
「うう、馬鹿……。私の大馬鹿……」
 今さら自分を責めてもどうにもならないのに、体調を崩した自分に対して恨み言を言ってしまう。
 だけど、それも仕方のないことでもあるだろう。自分のコテージのベッドに寝転びながら、そっと窓の外に目を向けると、皆が楽しそうに雪遊びしているのが見えた。外で遊んでいないメンバーは、きっと旧館で十神くん主催のパーティの準備でもしてるのか、レストランで休憩でもしているのだろう。
「まあ、私のことは心配しないでみんなは遊んできてって言ったのは、私なんだけど……」
 誰に向かって言うでもない、文句のような独り言も多くなってくる。
 温かく過ごしやすい南国生活。それなのに「ねーねー、そういえばもうすぐクリスマスじゃないッスか? なのに全然雪も降らないし寒くもならねーっスねー」と軽く言った澪田さんの言葉を聞いたウサミは、マジカルステッキを使ってこの島に雪を降らせたと言っていた。……何を言っているのか自分でもよくわからないが、突っ込んだら負けなのだと思う。
 とまあ、急な寒暖差が効いたのか、薄着でみんなと雪遊びをしてた私が悪かったのか、私は風邪を引いてしまった。さっきまで何人か心配してお見舞いに来てくれていたけど、正直静かに寝たかったのと、折角のクリスマスに病人の看病をさせるのも申し訳ない気持ちだったので、みんなには私のことは気にしないでもらうことにした。罪木さんは途中まで看病してくれたが、「あとはゆっくりお休みしてもらえば大丈夫ですよぉ。私がいてもバタバタしちゃうだけなので、しばらく安静にしておいてください。また後で様子を見に来ますねぇ」と言って去ってしまった。確かに、あんまり迷惑をかけるのも申し訳ないし、人がいるよりはいない方がぐっすり眠れる……はずなんだけど。
 ……だが、誰もいないはいないで寂しくなるものである。
 風邪とは厄介だ、いや厄介なのは私の方か。なんて、独りぼっちで自嘲した。
「うーん、やっぱり誰か一人だけでも一緒にいてもらった方が良かったかなー……」
 でも、それはそれで申し訳ないし。ううん、それでもやっぱり心細い。みんなが楽しそうに遊んでいるのが羨ましい。
 はあ、と一息吐いた、その時だった。

「やあ」
 コテージの入口から、聞き慣れた声が聞こえた。
 確かに、いつ様子を見に来てもらってもいいように、今は鍵を空けておいているけど――
「あはは、苗字さんの独り言を聞くことができるなんて、やっぱりボクはツイてるね!」
 そこにいたのは、私がひそかに片思いしている相手。――狛枝凪斗だった。

「狛枝くん、どうしてここに……?」
「あはっ、ボクなんかがみんなと一緒に遊ぶなんて烏滸がましいでしょ? だから、ひとりでコテージにいたんだけどさ……苗字さんのことが気になっちゃって。ごめんね、ボクなんかがお見舞いなんて。でもほら、そろそろ様子見ておいた方がいいかな、って思ってさ。ほら、水分持ってきたよ」
「えっと、あ、ありがとう……」
 スポーツドリンクとゼリーを受け取り、ありがたく受けとる。あまり食欲はないが、水分を持ってきて貰えたのはありがたい。まだなくなってはいないけれど、なくなったあと取りに行くのも辛いし。
「で、でも、何で来てくれたの?」
「あ、ゴメン……。苗字さんもゆっくり休まなきゃだよね、こんなゴミクズが一緒にいたところで安心して休めないもんね」
「そうじゃ、なくって……」
 熱で浮かされた脳に加えて上手く口もまわらず、伝えたいことが伝わらない。けど、このままでは狛枝くんは本当に帰ってしまう。
「お邪魔したね、じゃあそろそろ帰るよ、お大事に」
「ま、待って。一人に、しないで」
 思わず、素直な本音が出た。そして、彼に向かって手を伸ばそうとしたけれど、億劫でなかなか動けなかった。
「……苗字さんさ、嘘つき病とかにかかってないよね? もしそうだったら、君の意思とは逆の行動することになっちゃって、ものすごく申し訳ないんだけど」
 何を言っているんだこの人は。そんなに私の言っていることが信用できないのか?
 回らない頭で反論しようと思ったら、突然、第三者の声がした。
「違いまちゅよ! そんなウイルスはあちしが持ち込めさせません! あ、でも苗字さんのそれはウイルスというよりは寒暖差によるストレス的なものだと思うので、あちしの力では治せかねます……しくしく。でも、暖かくしてゆっくり休めばすぐ治ると思いますよ! 狛枝くんと一緒にいた方が安心して休めるかもでちね! らーぶ、らーぶ!」
「……」
「……」
 ウサミはそう言ったかと思うとどこかへいなくなった。何しに来たんだあのウサギは。
 少しの沈黙の後、狛枝くんはため息をついて、そして軽く笑った。
「まあ、苗字さんの言葉が嘘じゃないってことがわかれば、ボクはそれでいいよ。……ねえ、本当に、ボクなんかが一緒にいてもいいの?」
 そして狛枝くんは、私の顔を覗き込んで言う。どうやら、普通に心配されているようだ。
 恥ずかしかったけど、ここで一人ぼっちにされるよりはずっといい。
 黙って私は頷いた。


 狛枝くんも私も、あまり言葉は交わさなかった。狛枝くんは私が寝ている横で、手持ち無沙汰なのか本を読んでいる。……今は食欲もないし、現時点で彼にやってもらいたいことは特にない。
 特に、ないんだけど……。
「……狛枝くん」
「どうしたの? 寝ていなくていいの?」
 私の呼び掛けに、狛枝くんはすぐに反応してくれた。本を閉じて、じっとこちらを見てくる。ああ、綺麗な瞳だ。
「いいの、眠くない。狛枝くんと、話したい」
 こう言ってしまうくらいには、どうやら私も心細かったみたいだ。私の言葉に、狛枝くんは苦笑するように応じた。
「あはは、参ったね。まさか、こんなに弱った姿の苗字さんを見れるとは思っていなかったよ。何だか、ちょっと意外だな」
「そう、かな」
 普段の私はそんなに気丈に見えるのか、それとも今の私がそれほど弱々しいのか? ……今になって恥ずかしくなってきた。風邪引きとはいえ髪も整えられてないし、……こんな姿を見られるなんて。今からでも出ていってもらった方が……。でも、やっぱり一人は、心細い。
「というか、今、熱は大丈夫なの?」
 狛枝くんの呼び掛けに、私は少し考える。上手く、頭が回らない。
「うーん……。さっき測ったときは、確か、八度はあったような」
「……苗字さん、おでこ貸して」
 おでこ? と首を傾げた途端。狛枝くんは近づいてきて、そして、私の額についていた熱冷ましシートを外した。
 それから彼は、右手を私の額に当てた。彼の白い手はひんやりとしてて、心地よかった。
「うーん……確かに、かなり熱いね。やっぱり、寝るのが一番なんじゃないかな……」
 狛枝くんは考え込むように言う。そんな表情に見とれながら、思わず私は呟いてしまった。
「……狛枝くんの手、冷たくて、気持ちいい」
 私の言葉に、え? と驚いたような表情をする狛枝くん。あれ、私、今何か、変なこと言わなかった?
 お互いがお互い、至近距離でしばらく固まっていた、そのとき。

「苗字さん、具合はどうですか? って、はわぁ!」
 ガチャ、と扉が開く音。のんびりとした声色の罪木さんの声がしたかと思ったら、彼女は驚いたように軽い悲鳴を上げていた。
「し、ししし、失礼しましたぁ!」
 そして私が扉の方を見ると、罪木さんは既に、踵を返してしまっていた。
「あれ、罪木さん? ど、どうして」
 私たちが何か返答をする前に、罪木さんはいなくなってしまった。様子を見に来てくれたのはわかるけど、それでも、何しに来たの? と言いたくなるくらい、彼女は脱兎のごとく走り去っていた。
 私が呆然としていると、狛枝くんは、なるほどね、と呟いていた。
「何が、なるほど、なの?」
「うーん……思うに、勘違いされちゃったんじゃないかな?」
「勘違い? なんの?」
 私が首を傾げると、狛枝くんは少し楽しそうに告げる。私にとって、予想外の言葉を。
「だってさ、ボクは身の程知らずにも苗字さんの熱を手で測っただけだけど、それでも結構顔と顔とが近くなっちゃったよね? 入り口の罪木さんから見て、それはボクらがどんなことをしているように見えたと思う?」
「えっと、それは……」
 気がついた途端、顔が真っ赤になる。つまり……彼女の視点から見て、私と狛枝くんが、キスしてるように見えた、ってことだよね。
「参ったな、苗字さんだってボクとの関係をあらぬ誤解されたくないよね? ボクが罪木さんに説明してこようか?」
 顔が熱い。熱が上がりそうだ。そう思いつつも、私はぽつりと、こう言った。
「いいよ、それより、今は一人にしてほしくない。それに、勘違いされたままでも、別にいい……」
 ほとんど泣きそうになりながら私は言う。なんで泣きそうなのか、自分でもわからないまま。

 それでも彼は、難しそうな顔をして言う。
「うーん……本当に、それでいいの? ボクなんかと噂されて、困るんじゃない? ボクは光栄なくらいだけどさ、やっぱり烏滸がましいよ」
 彼はいつも通りだ、相変わらずだ。そんなところも好きなのだけど。
 でも、このままじゃ、何も変わらない。私はこうやって、自分の気持ちを伝えたいと思っているのに。
「……狛枝くんは、そんなに私とのこと噂されるの、嫌?」
「嫌ではないけど、申し訳ないかな」
「私はむしろ、噂なんかじゃなくて、本当のことにしちゃいたいくらいだよ。……罪木さんは言いふらして噂を流すタイプではないとは思うけど」
 嗚呼、私は熱に浮かされているのだろうか。こんな時に、自分の気持ちを伝えてしまおうと思っている。
「だって私は、わたしは」
 そして、堰を切ったように、私は言葉を続けた。
「狛枝くんが見ているのが私一人じゃなかったとしても、私は、狛枝くんのことだけ見てるから、だから」
 それは既に、告白だった。
「だから、そんな顔、しないで」
 彼の表情から、彼の感情は読み取れない。困惑している――悲しんでいる? でも、どこか期待もあるような――
「ねえ、狛枝くん」
 彼の表情は変わらない。伝わっていないのだろうか? なら、もう一度伝えるまでだ。
 その時だった。

 彼は突如表情を変えた。恍惚とした表情で高笑いしながら、彼はいきなり、大量の言葉を吐き出す。
「あっはは、まさか大した不運もなしに、苗字さんから好意を寄せられるなんて、特大の幸運がやってくるなんてね! これからどん底に突き落とされるような不運が待ち受けてるんじゃないかと考えると、何が起きるか今からゾクゾクするよ! ははは、何が起こるんだろう? 知り合いの一人や二人が死ぬどころの騒ぎじゃないかもね、コロシアイくらいは始まってもおかしくないや、はは」
 彼の勢いに圧倒され、思わず口を噤む。同時に、何故彼がこんなことを言い出したのだろうかと訝しんだ。
 狛枝くんにとって――超高校級の才能を持つひとりである、私から好意を寄せられることは幸運?
 だけど、その後に訪れるであろう不運を、恐れている?
 だからそんな、希望と絶望が混じったような、そんな顔をしているの?
 だけど、だけど、――だけど。
「……そんな、起こるかどうかもわからないこれからの不運なんか見ないで」
 過去のことも未来のことも、一旦忘れて。
「今の私を、見てよ」
 こうして熱に浮かされて、思わず自分の本音を出してしまった、そんな私のことを見てよ。
 私はあくまで真剣だった。彼の言葉からはいつも、真意が読み取りにくい。それでも彼が今、何を考えているのかを知りたい。
 そう思い、ふと彼の顔を見ると。
「…………」
 真顔だった。
 今の彼は、本当に何を考えているのかわからなかった。

 それでも――嗚呼、今の私は熱に浮かされている。
 もうどうにでもなれ。そんな気持ちで、私は心の中にあった言葉を狛枝くんにぶつけていった。
「不運とか幸運とかじゃなくて、私はただ純粋に、狛枝くんのことが好きなの、好きになっちゃったの。狛枝くんが愛しているのは私だけじゃなく私たちみんなで、しかも才能という希望だと言うこともわかってる。それでも、それでも、狛枝くんが好きなの、できたら独り占めしたいと、そう思ってるの……」
 もうほとんど泣きそうだ。
 なのに、なんで、そんな目で私を見るの、なんで。
 呆れるような、同情するような。それでいて、優しいような目をするの――
「……あのさ、苗字さん」
 彼はため息をつく。そして――不意にそっと、低く絡みつくような声色で、こう囁いた。
「こんなゴミ虫みたいなボクにだってさ、救いようのないくらい、劣情というものは持ち合わせているんだけど。キミは、そこについては、どう考えていたのかな」
 ……え? 今、なんて言った?
 劣情?
 あの狛枝くんが?
 ぽかんとする私に、あくまで彼は普段通りの笑みで応えた。
「あはは、笑っちゃうよね、こんなゴミクズみたいなボクがさ、恐れ多くも苗字さんみたいな相手に欲情しちゃうなんて……。でもね、苗字さん。いくらボク自身が、自分と君みたいな人とは釣り合わないって理解していたとしても――君からそう言われちゃえば、理性が効かなくなりそうなことだってあるんだよ?」
 狛枝くんの言っていることがわからなくなってきて、私は彼の表情を見る。上気した顔、やや荒くなった息遣い。思わず彼の顔から視線をそらして、俯いた。
 だけど、俯かない方が良かったのかもしれない。彼の下半身に、目がいってしまって――
「――ぁ」
 ふと目に入ったそれで、私は察した。狛枝凪斗という、変人で不可解な言動をして希望信者で徹底的に自分を卑下するような彼だって――ある意味では、普通の一人の男なのだと。彼自身が、そう主張していた。

 彼の手が近づいてくる。
 何が起ころうとしているのか、判断できない。理解できない。
 身体が熱い。頭も。くらくらする。これは熱によるものか、それとも別の感情か。
 でも、私は――彼を受け入れてもいいのではないかと、そう思って――
「だからと言ってボクは、今はどうしても、キミに手を出すことはできないんだけどね……」
「……え?」
 彼はため息をついたと思ったら、結局は軽く私の頭を撫でただけだった。撫でられた感覚は予想外のものではあったけれど、どこか落ち着く感覚でもあった。
 上手く思考が働かない。彼はどうしてあんなことを言ったのか? どうして、こんな行動をとったのか?
「だって、ボクが今、君に手を出してしまったら、ボクは最上の幸運を手に入れることになる。けどさ、その後どんな不幸が訪れるかと考えると――怖いんだ。もしかしたら、君が死んでしまうかもしれないしね。さすがにそれが希望の踏み台であるとは、ボクには割り切れないかな」
 そんなことを言いつつも、彼はあくまでいつも通りだ。
 だからこそ、その言葉には、本音が混じっているのではないかと思って――
「それは違うよ、狛枝くん」
 思わず私は、反論していた。働かない頭を働かせながら。
「だって、今日はクリスマスイブだよ? だから、不運なしの幸運を、サンタさんが持ってきてくれたんだよ。だから狛枝くんは、今日くらいは不運に怯えなくても、いいんだよ……」
 半分寝言のようだったけど、本心だった。狛枝くんには、今後起きる不幸のことなんかで、幸運を諦めないでほしかった。私の気持ちを、受け入れてほしかった――
「……参ったね。君、自分の言ってる意味、わかってるのかな……」
「え? どういうこと?」
「本気でわかってないならいいよ。苗字さんもどうやら随分参ってるみたいだし、弱ってる人に対して本気で手を出すなんて、さすがにできない、けどね」
 困惑して固まっている私は、ひとつ、不意を打たれた。
 彼の顔がゆっくり近づいてきたかと思うと――頬に柔らかい感触があった。
 狛枝くんの顔が離れてから、ようやく事態を把握する。もしかして、今、私、……頬にキス、された?
「これくらいの幸運なら、許してくれるよね?」
 そう言って彼はいたずらっ子のように微笑んだ。
 その笑みは、心なしか小さな少年のように見えて、思わず心が浮かされた気分だった。


「ほら、そろそろ寝た方がいいよ? 罪木さんたちにはボクの方から伝えておくよ、苗字さんはぐっすり寝てるって」
 呆然としてる中、彼は笑顔で私に告げた。ああ、もう居なくなってしまうのか。そう思っていると彼はもう一度、私に顔を近づけて――そして。
「じゃあ、おやすみ」
「……っ」
 耳元で低音が響き、思わず思考が停止してしまう。これだけでも思考回路はショート寸前だったのに、彼はもうひとつ、爆弾を落としていった。
「今度は、さっきの続き、できたらいいね」
 そう言って今度こそ彼はコテージから姿を消した。ひとり残された私は、ぼんやりと思考を巡らせる。
 熱に浮かされて働かない頭でもわかった――さっきの続きというのは、つまり、つまり。
「――ああ、もう!」
 全く、熱が上がりそうだ。そう思いながらふて寝する。私、本当に何やってるんだろう。ああ、狛枝くん、狛枝くん……。
 でも、次に会った時は、今までとは少し違う関係になれるのかな。もしそうだったら、もし素敵な関係になれるのなら、最高のクリスマスプレゼントになるのにな――
 そう思いながら私は意識を手放した。暖かい何かに包まれているような、そんな充足感があった。


 それから数時間後に目覚めた私は、この時になってようやく正気に戻っていた。
 そして、さっきまでの自分がやらかした行動を反省し、ベッドの上で一人悶える羽目になったが――それはまた、別の話。


- ナノ -