■後編
『才能探し/前編』の続き
次の日、苗字に誘われて、俺たちは公園で軽く話をすることになった。今日は、テストのようなものをする気はないらしい。
「日向くんって、好きなものとかないの? 覚えている範囲で」
「好きなもの、か」
ちらりと横にいる苗字の顔を見る。――いやいや、今こいつが言っているのはそういうことじゃないだろ。
じゃあ……何だ?
俺の好きなものって、何だ?
「えっと、草餅……?」
「草餅」
パッと思いついたのはそれだ。逆に言えばそれ以外、思いつくものがなかった。
しかし、草餅が一番好きなものなのかと言われれば、そうではない気もするな。
「うーん、じゃあ、超高校級の和菓子屋だったりして?」
「……俺は、家族のことも家のことも覚えてるけど、実家は普通の一般家庭だぞ。和菓子屋なんかじゃない。それに、俺は料理はそれなりにはできるけど、そこまで得意ではない。それは確かだ」
「……ふーん」
彼女は何か言いたそうだったけれど、結局この件に関しては何も言わなかった。
「他に、何か覚えてることは?」
「え、えっと。友達だってまあ、それなりにいるし、行きつけのラーメン屋だってあるし、ゲームだってそこそこやり込むこともあるし」
後、後は。
……俺の記憶って、俺を構成する要素って、何だ?
「部活には入ってた? 学校は、好きだった?」
「部活は……確か、帰宅部だったと思う。学校は……そんなに好きじゃなかった、気がする」
苗字は少し考え込むような素振りを見せた後、神妙な顔をして頷いた。
「そういうところが曖昧なんだね。ここに来るまでに、何かトラウマでもあったのかな。逆に言えば、そこら辺が日向くんの記憶の鍵なのかもよ」
「っ、じゃあ、そこの記憶を思い出せれば、俺も才能を思い出せるのか?」
「……日向くん、何か焦ってない?」
食いつくように言った俺に、苗字は驚いたような顔をしてこちらを見る。
だって……そうだろ。
俺が忘れていた何かを思い出せるかもしれないんだ。俺が持つ才能を思い出せるかもしれないんだ。俺が真の意味で胸を張れる自分を、思い出せるはずなんだ。
「日向くんは、そんなに焦らなくても。今のままの日向くんでも、いいと思うけどな……」
なのに苗字は、こんなことを言い始める。
どうして、どうして、そんなこと言うんだよ。
「そんなのは、駄目だ。そうじゃないと……俺は、自分に胸を張れる自分になることができない……!」
そうだ。だって俺は、ずっとずっとずっとずっとそのためだけに――
俺がそうやって口から言葉を吐き続けていても、苗字は黙って聞きながら、複雑そうな顔をするだけだった。
「なあ苗字、もしかしてさ。……本当は知ってるんじゃないか? 俺が、何の才能を持っているのか」
俺が彼女のことを見つめながら言うと、苗字は戸惑ったような素振りを見せたあと、ため息を吐いた。
「……一つだけ言えるのは、才能にばかり執着してても、あなたは幸せになれない、ってことかな」
「……どういう、ことだ」
思わず眉に力が入る。苗字は少し言いにくそうに、だけどはっきりと告げた。
「私が見つけられてないだけかもしれない、だけど。日向くんの本質はみんなみたいにわかりやすい才能なんかじゃない、もしかしたら超高校級の才能なんてなくて、もっと漠然としたものかもしれない。私は日向くんと話していて、そう思った」
「――っ、そんなわけないだろ」
その言葉が俺にどのくらいの衝撃を与えたか、彼女は知らないのだろう。
だけど――図星なのかもしれない、と思う自分も、確かに存在していた。それを誤魔化すためか、俺は無意識のうちに、声を張り上げていた。
「俺は! 俺はずっと、希望ヶ峰学園に憧れてたんだ、そして俺は希望ヶ峰学園に選ばれたんだ! 俺はずっと、自分に胸を張れる自分でいたかったんだ、俺は、俺はずっとずっとずっとそのためだけに――」
俺がそんな、どうしようもなくツマラナイ人間であっていいはずがない。
俺が才能のない人間だなんて、そんなはずが――
「……何があなたをそうしてしまったのかな、何が日向くんをそんなにも才能に固執させてしまったのかな、何が日向くんを、そんなにおかしくしてしまったのかな」
やめろ、やめてくれ。
俺のことを否定しないでくれ。
「俺は……おかしくなんてないっ……!」
「……ごめん、言い方が悪かった。言いすぎたね」
苗字はそう謝ったけど。でも、言ったことの撤回はしないんだな。
どうして、どうして、どうして――
感情が爆発しそうになる。このままでは、苗字のことを、どうにかしてしまうのかもしれない。そんなことあってはならない。だって俺は、俺は、どんな時でも自分に胸を張りたくて、それだけを目標に今まで生きてきて、憧れて、画一的でツマラナイ自分を恥じながら、俺は、俺は、
――俺は、俺は、おれは。
俺は、何だ?
「っ、もういい! 苗字が協力してくれないなら、俺一人で見つけてみせる!」
そうだ。俺が何かなんて、自分で見つけてみせればいい。苗字に教えてやればいい。胸を張れる自分を、苗字に見せてやればいい。
「日向くん」
それなのに、なんで。
なんで、そんな目で見るんだよ。
なんでそんな、同情するような目で俺のことを見るんだよ?
呆然としたような彼女に見つめられるのが居心地が悪くて、俺は逃げるようにその場から立ち去ってしまった。
その後、苗字と話す機会もなく、次の日の朝になった。
そこで、絶望病が広まっていることが判明し、俺と罪木、九頭龍、そして苗字が、病人の付き添いのために病院に残ることになった。
と言っても、俺も九頭龍も苗字も病人の介抱には向かず、時々罪木の指示に従って手伝いをすることくらいしか、できなかったけど。
手が空いてる時間。こんな風に言うのも不謹慎だとはわかっているが、正直暇な時間であった。
はあ、とため息をつく。今は病院のロビーには、俺一人だ。九頭龍も苗字もどうすることもできず、病院内をうろつくか、休むことしかできない。なにもできない自分に、歯がゆさを覚える。
俺の才能が思い出せれば、もしかしたら――なんて、考えてしまうのは。俺は愚か者なのだろうか。
それに、昨日は苗字のことを怒鳴ってしまった。さっきまでは病人の介抱でお互いそれどころではなかったが、一晩置いて、こうして状況が(改善されていないとはいえ)多少落ち着いてくると、昨日の件についても考えてしまう。
こうして俺は、本日何回目かのため息をついた。絶望病のこと、これからのこと。何も解決策が見えてこない。せめて絶望病が重症化してる狛枝が落ち着いてくれたり、左右田からの報告で何か進展があれば、少しは一息つくと思うんだが――
「……日向くん」
「あ、……苗字」
考え事をしていてせいで、苗字が来ていたことにすぐには気がつけなかった。その辛そうな表情を見ていると、昨日の件を思い出し、罪悪感が今更のように溢れ出る。
「苗字、その、……昨日はごめんな」
だから、せめて素直に謝った。苗字は少し驚いたような顔をした後に、ゆっくりと首を振って、そして言った。
「気にしなくていい、私も悪かったし。……ごめん」
互いに謝ったところで、昨日の件がなかったことにはならない。
俺はもう彼女に怒っているわけではないし、苗字もそうだと思いたいが――それでも、気まずい空気が流れる。
今後のこと、絶望病のこと。その話をしたところで、何か発展があるとは思えなかった。
だから――あえて、俺は違うことを話題に出した。お互い、気持ちの面だけでも、軽くなれたらいいと思いながら。
「なあ、『超高校級』ではなくてもいいからさ……苗字から見た俺の才能って、何だと思う?」
「……癒し系?」
なんか昔狛枝にも言われた気がするぞ、それ。思わず苦笑しながら、苗字に聞く。
「俺のどこを見ればそうなるんだよ」
「日向くんと一緒にいると、なんか落ち着くんだ。超高校級とまではいかないけど、そこが日向くんのいいところだと思うよ。人望というか、そういうの、あると思う」
――この間怒鳴った相手に、こいつはそんなことを言えるのか?
そうやって場を和ませる才能があるのはむしろそっちじゃないか、と思ったが、苗字はいたって真剣そうな顔をしていた。
「別に、冗談じゃないよ。こんな状況でも、日向くんと一緒にいると、ほっとする。みんなも回復して、何とかなるんじゃないかって思える。本当だよ」
「そ、そうか」
面と向かって言われると、何だか照れた。昨日の俺たちの言い争いがなくなったわけではないけれど、それでも、場が少し、和んだような気がした。
「あと、日向くんは『超高校級のたまご』だと思う」
「……たまご?」
突然何を言ってるんだ? 一瞬何を言っているのかわからず、苗字のことをじっと見る。
「日向くんは、いろんなことに素質があると思うよ。一つのことをずっと続けていれば、もしかしたら、努力次第で超高校級に近いレベルになれたかも。……希望ヶ峰にスカウトされるレベルかは、わからないけどね」
「で、でも俺は、希望ヶ峰学園に選ばれて、入学したんじゃ」
昨日ほどの激情は溢れなかったが、それでも彼女の言い回しはひっかかる。俺に超高校級の才能がないなんて、そんなことがあるはずが。
ない、よな?
「……うん、そうだね。日向くんにそれ以外の才能があって、それを見つけられなかったとしたら、私としては悔しい話だけど。でも私は、今まであなたと話してきて、そう思った。……日向くんは、何にだってなれるんじゃないか、って」
確信じみた口調に、俺は思う。
苗字は何か、俺が知らないことを知っているんじゃないか?
あるいは、俺がたどり着けてない答えに――たどり着いているんじゃないか?
「苗字は――何か、分かってるんじゃないか?」
俺の問いに、彼女はすぐには答えなかった。
その口を開いて出てきた言葉は、どこか遠回しで、核心に迫る答えではなかった。
「……ねえ、日向くん。観察眼のある人って、見なくていいことまで見えちゃうんだ。見えた方がいいけど見えにくいものも見えるから、悪い能力ではないと思うんだけどね」
スカウトマンとしての才能の話だろうか。しかし何か、何か引っかかる。
「……何が、言いたいんだ?」
うーん、と考えてから、苗字はぽつりと言った。
「私、日向くんと一緒にいることができて、楽しかったよ。ありがとう。……それだけ」
本当にそれだけなのだろうか? 彼女は何か隠しているのではないか?
そう思ったが、寂しそうに笑う彼女を見ていると、俺は、何も言うことができなかった。
それが、笑った苗字を見た最後だったと知っていれば、俺はもう少し何か、苗字と話していられたのかもしれないけれど。
この島で起きた忘れられない、忘れてはいけない光景は、これで何度目だろう。
ライブハウスで見た、澪田の死体、西園寺の死体、苗字の死体。
三人の死体を呆然と眺めて、ただ思う。
ああ、俺はもう、このみんなと話すこともできないんだ。
――苗字と一緒に才能探しをするのも、苗字と一緒に話すことも、もうできないんだ。
「はあ」
それから、随分長い時間が経ったように思えた。
捜査が終わって、学級裁判が終わって、自分のコテージに戻ってきて――俺は、倦怠感に襲われながら、ベッドに倒れ込んでいた。
学級裁判にて判明した、絶望病で人の言うことを何でも真面目に実行してしまうようになった澪田に苗字が殺されたということも。澪田にその命令をしたのが罪木で、そんな澪田を殺したのが罪木だということも、西園寺が罪木に口封じで殺されたということも。全てを思い出したと言っていた罪木のあの顔も、あの言葉たちも。罪木が処刑されたということも。
何もかも全部、投げ出したかった。
俺は結局、何もできなかった。
――ツマラナイ。
自分ではない誰かの声が聞こえたような気がしたが、耳を塞いだ――
――あれから、本当に長い時間が過ぎた。長い長い修学旅行が、ついに終わったのだ。あの世界の中での、多くの犠牲をもって。
「全く、早く起きろよな、みんな。……苗字も」
プログラムから脱出した俺たちは、全ての記憶を保持しながら、現実世界へと戻ってきた。
あの世界で、俺が予備学科だと判明したとき――苗字は、既にいなかった。彼女が何を知っていたか、本当に何も知らなかったのか、永遠に問いただすことはできなくなった――
そう、思っていたけれど。
だけど、苗字は生きている。あの世界で死んだみんなも、生きている。目覚める可能性自体がゼロに近かったとしても、俺は全員を目覚めさせることも、思い通りの未来が創れることだって、確信している――
カプセルに入った彼女の寝顔を眺めながら、ふと、苗字が言っていたことを思い出した。
「超高校級のたまご、か」
言い得て妙だ。
思い出させられた、思い出した記憶。俺は脳を弄られて、カムクライズルにされた。その結果、俺は全ての才能を持つ、ツマラナイが口癖の人間となってしまった。あの時の俺は確かに、人工の超高校級の希望となりえる、たまごの状態だったのだろう。
だけど今の俺だってきっと、別の意味でたまごの状態だ。たまごにはどんな可能性だってある。どんな未来だって創れる。そうだろ?
だから、だから早く起きろよみんな。
苗字――
これは、××日後または××年後の未来の話。
「日向くん」
「――苗字? お前、目が覚めて……!? 大丈夫か、気分はどうだ?」
「……日向くんは、超高校級の希望になったんでしょ? 私の心くらい、読めるんじゃないの」
「そのこと、知っていたのか?」
「ここ数年の記憶と修学旅行の記憶を擦り合わせたら、なんとなくわかったよ。ねえ、それより、私の気持ち、当ててみてよ」
「そんな能力使わなくても、苗字の気持ちくらい、わかるよ」
「そう? なら私も、日向くんの気持ち、当ててみせるよ」
「だって俺は、造られた超高校級の希望である以前に」
「だって私は、超高校級のスカウトマンである以前に」
「苗字のことが、好きだから」
「日向くんのことが、好きだから」
そう。それが、今の俺たちの、嘘偽りない気持ちだ。一緒に探していたものの、答えだ。
これも、俺たちが創り上げた未来のひとつなのだろう。
何にだってなれる。そう見抜いてくれた彼女と、仲間たちと共に、俺は前を見据えていく。
それこそが俺たちにとっての未来なのだと、そう信じながら。