■幸運と希望のなり損ない

▼78期生コロシアイ後・絶女前/自己解釈強め

「あなたは、絶望でも希望でもない」
 荒廃した町並みをぼんやり見つめていた私の背後から、感情のない声がかかる。
 一体、誰だろう。そう思いながら振り返ると、背の高い男がひとり、無表情でこちらのことを見つめていた。
「あなた……『幸運』ですね」
 黒く長い髪を持ったスーツ姿の男は、赤い瞳を静かに光らせていた。


 そう。私は確かに、希望ヶ峰学園七十九期生の『超高校級の幸運』に選ばれた、そのはずだった。
 だが――私が希望ヶ峰学園に入学する前に、あの事件が起きた。人類史上最大最悪の絶望的事件。希望ヶ峰学園は七十八期生という「希望」のみをシェルターの中に閉じ込めて、七十九期生になる予定だった私が希望ヶ峰学園に入学するどころの話ではなくなって、今に至る。
 この世では、人の命は羽よりも軽い。
 私の友達も、私の家族も、みんな私の目の前で死んでしまった。
 それでも私だけは生き延びている。
 だからといって、私の命だけが重いと言うことにはならないのだろうけど。

「……あなたは、誰? 私に近づいた人は良い人だろうが悪い人だろうがみんな死んだ。私に近づかない方が、いいと思う」
 なんだか極度の自惚れ屋みたいな言い回しをしてしまった。だけど、事実だ。
 超高校級の幸運のなり損ない。希望ヶ峰学園の入学通知が来る前は至って平凡な人生を送ってきた私に、本当に幸運という才能があるのか――そう訝しく思っていたが、私は身を持って知ることになる。
 人類史上最大最悪の絶望的事件。その事件が起きてから、私の家族や友達は、みんな私の目の前で絶望的な死に方をした。
 だけど、私は生きている。こんな世になってからも、怪我ひとつしていない。不思議なことに、食事や寝床に困ったこともない。確かに私は幸運の中にいるのだろうと、そう思う。希望ヶ峰学園に入学しなかったのだから結局幸運なんかじゃないと、人は言うかもしれないけど。
 だが、七十八期生の幸運がコロシアイに巻き込まれ、希望として注目を集めている現実を見れば、やっぱり私の方が幸運だったかもしれないとも思う。仲間同士でコロシアイをさせられるよりは、こうやってひとりきりで生きている方が、まだ幸運にも思われる。
 とはいえ、私は彼と違って――希望を持ってなんか、いないけど。

「あなたが僕の安全を心配する必要はありません。幸運という才能くらい、僕も持っています」
 ――幸運という才能「くらい」?
 淡々とした男のその言い回しに、不思議に思う。希望ヶ峰学園を卒業した、元・超高校級の幸運の生き残りか何かだろうか。だが、それなら、幸運に対してこんな言い方はしないだろう。
 まるで、複数の才能のうちのひとつみたいに。

 私に近付いても死なない――そう言った男に、俄然興味を持った。なんとなく年齢を超越したような印象を受けていたが、よく見ると、私と同年代のようにも思える。
「あなた……本当に、私に近づいても死なないの?」
「そういうことになります」
「えっと、あなたはどうして私に声をかけたの?」
 男はその質問には答えなかった。
 無感情な声色で、彼は逆に、私に質問してきたのだった。
「あなたは僕に、希望しますか、絶望しますか」
 不思議な質問だ。そんなことを急に言われても困る。しかも、初対面なのに。
 私は男をじっと見る。この世の中で、私に近づいても死なないと自称している男は――私にとって、希望になり得るのだろうか?
 
 私は今まで、絶望はしなかった。こんな世の中でも、私は「幸運」の力で生きていける。食料も寝床も、何故かいつも見つかる。こんな世の中で生きていくことは、そんなに悪くないとすら思う。
 かといって、希望も持たなかった。あの七十八期生のコロシアイを見た上で、私は希望を持つことはなかった。
 ……私に近づいた人は、こんな世の中では、誰だって死ぬ。
 私は本当に、幸運なのか?
 その自問自答は、もう考えないようにしていた。希望を持つのはやめていたけど、絶望もしたくなかったから。

 ――だけど。本当にこの男が、私に近づいても死なないと言うのなら。
「あなたが本当に、私の近くにいても死なないのなら……そうだね。あなたに希望してみる。だけど、もしあなたが死んだら――私は絶望する」
 今、そう決めた。希望も絶望もない世界には、もううんざりしていたのだと、この男に出会って私はようやく気がついた。
 男は、「そうですか」とだけ言った。その瞳には、希望も絶望も浮かんでいなかった。それでも私は、その冷たい瞳に希望を見出したのだけど。


「ねえ。どうして、あなたは私に声をかけたの? あなたが何者なのかは分からないけど、ただ者じゃない雰囲気がある気がする。……そんなあなたが、なんで私なんかに?」
 瓦礫を踏んで、男に近付き、もう一度同じ質問をする。……今のところ、男が死ぬ気配はない。私に危険が迫る気配も。
「コロシアイ学園生活は、視聴しましたか」
「うん。見たよ。七十八期生の幸運が、希望って呼ばれていることも」
 単調とした声の問いかけに、私は答える。あの幸運は、私とは全然違う希望を抱いていたなと、そう思い返しながら。
「幸運という才能を持つ人間には、否、もしかしたら何の才能もない凡人だったとしても――状況次第では、僕ですら計り知れない可能性があるかもしれないと、そう思ったからです」
「……幸運である苗木誠が、希望って呼ばれるようになったから、もしかしたら私も、ってこと?」
「ただの幸運に過ぎなかった苗木誠は、絶望である江ノ島盾子と対峙した結果、超高校級の希望となりました。……希望にも絶望にも染まっていない幸運であるあなたにも、何か可能性があるのかもしれない。僕は、そう予想しています」
「ふーん……」
 私にそんな可能性が本当にあるのだろうか。それは分からない。
 だけど、この超然とした男がそう言うのなら、賭けてみたい気持ちもあった。
 何より。彼と一緒にいる方が、この人生もツマラナくなさそうだったから。


「ねえ。私、あなたのことなんて呼べばいいのかな」
「僕が生み出された時には、カムクライズルと、そう呼ばれていました」
「じゃあ、カムクラくん。……これから、どうするの?」
 人の名前を呼ぶのは久しぶりだな。そう思いながら彼の顔を見上げると、彼は相変わらず無表情のまま告げた。
「ある場所に向かいます。そこには『あいつ』が残したものがある。……僕はそれを、利用する」
「じゃあ私は、それに付いていけばいいのかな?」
「そうですね。その過程で、もしかしたら、あなたは僕の予想できない何かをするかもしれない。……僕はそれを、希望しています。そのために僕は、絶望のことを利用するのです」
 彼の言っていることは、具体的ではないために理解できないことも多い。
 それでも私は、カムクラくんと一緒にいたかった。
 それは、彼が私と一緒でも死なないというだけの話ではない。
 カムクラくんの言ったことに、希望を見出したから。

「カムクラくん。……私は、苗字名前。改めて、これからよろしく」
 こんな世の中で自分の名前を名乗るのは、久しぶりだなと思った。
「では行きましょうか、苗字名前」
 そして、誰かに自分の名前を呼ばれたことも。それがなんだか嬉しくて、私は、久しぶりに笑った気がした。


 もう少し、もう少しだけ。
 私と話しても死なない人と共に居たい。
 そうすれば、この絶望的な世界とお別れできるのではないかと。私はそれを、希望した。


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