■オレたちの世界へようこそ!

▼6章ネタバレ/凡吉に見せかけた総統/ギフテッド制度/DICEが存在する世界線

 全てのはじまりは、一つのニュース映像だった。
『こちら、事件が起きた現場です。犯人グループはこの建物の中の厳重な警備を掻い潜り、金庫を破ったと見られています。現在、被害状況を確認中――えっ、何も盗まれてない? しかも金庫の中にバルーンアートが残されてたですって!?』
『――失礼いたしました、改めて現場の状況をお伝えします。現場には十点程の、犬などを模したと見られるバルーンアートが残されていたようです。関係者が風船に触れると、風船は割れやすくなるよう作られていたらしく、触れただけで全て割れてしまったとのことでした』
『なお、風船の中にヘリウムガスと見られるものが注入されていたようで、それを吸ってしまった関係者の声が甲高くなり、事件発覚当時、現場は混迷を極めていたようです――』
 その常識外れの、犯罪を犯すというリスクに見合わない、何の意味もなさそうな愉快犯的な事件のニュースに、私は一瞬唖然としつつも――久しぶりに、心から笑った。金庫を破るという大罪を犯しつつ、何も盗まずに、それどころか子供のイタズラのような置き土産を残す。そんな事件を、テレビのニュースが大真面目に報道している。この一連の流れを、不謹慎だが、心から面白いと感じたのだ。
 それから――私は、こう思った。
 私も、このようなものを生み出したい。今までクソ真面目につまらない人生を送ってきたけれど、この犯罪グループが起こした事件のような、壮大で、それでいてみんなが笑える悪戯をしてみたい。
 常識も法律も枠組みも超えた、最大最高の悪ふざけをしてみたい、と。


 その日から、私の生活は変わった。
 といっても、四六時中悪ふざけのアイディアを練るだけである。食事中も、高校の授業中も、寝る直前まで。あるいは、寝てる時に悪ふざけのアイディアが夢に出てくることもあった。
 だけど。あのニュース映像で見たような、素晴らしいアイディアを閃くことはなかなか無かった。
 思いつくものはある。しかし、これはひとりだけで実現できるものなのだろうか。
 それに。考えるだけで、実行に移したことは一度もない。
 目標は、みんなを笑わせられる悪戯をすること。だがそれは、度が過ぎると犯罪にもなるだろう。それは、リスクが高すぎる。……なんて考えてしまう時点で、私はつまらない人間なんだろうか。
 ああ。でも、やりたい。みんなが笑える、楽しい悪ふざけをしたい!
 早々に昼食を片付けた後の昼休み中、ノートに向かって悪戯案を書き溜めていると――頭上から、聞き慣れない少年の声が降ってきた。

「何してるの? 苗字ちゃん」
 ……苗字ちゃん?
 私のことを、そう呼ぶ男子なんていただろうか。変な呼び名――そう思いながら、私は顔を上げる。
 そこには、学ランの黒い上着をきちんと着込んだ、背の低く幼い雰囲気を持った少年の姿があった。
 ……確か、王馬くんだ。王馬小吉。クラスでも目立たない上に、まともに話したこともないような人。そんな彼が、ろくに話したこともない私を「苗字ちゃん」なんて呼び方をするのが、少しおかしかった。

「何って」
 私は、慌ててノートの中身を隠そうとする。悪戯ノートの中身を実行したことはないが、一度も実行していない間に変な噂が立てられるのは避けたい。何もしていないうちに下手に目立ってしまうのは困る。私はまだ、何もやりたいことをできていないのだ。
 そう思って、誤魔化そうとしたのだが――王馬くんはそんな私を見ながら、予想外の言葉を放った。
「オレさー、実は悪戯が好きなんだよね」
 その言葉に、一瞬思考が止まった。
 まさか、今まで面識もなかったと言っていい、普通の大人しい少年だと思っていた王馬くんから話しかけられたことだけでも驚きだったのに、……一見真面目そうな雰囲気を纏っておいて、そんなことをあっけらかんと言い放つとは。
 だが、案外そんなものなのかもしれない。私だって、今までは真面目に生きてきたけど、今はこうやって、変わろうとしている。それがいいことなのか悪いことなのか――他人は悪いことだと言うかもしれないが、私はそうは思わない。
「……えっと、それで?」
 そして。王馬くんと一緒なら、もしかしたら。
 もしかしたら――私の望む、最高の悪ふざけを成し遂げられるかもしれない。直感的にそう思い、彼に対して好奇心が湧いていくのを感じた。
「ん? 苗字ちゃんなら、オレの悪戯計画に協力してくれるかなーって」
「悪戯計画って?」
 相変わらず、あっけらかんと言い放つ彼。王馬くんが誘ってきた計画に、怪しいと思う気持ちはあったが、興味はあった。
 そして、私は彼の言葉を待つ。
 すると――王馬くんは、不敵な笑みを浮かべながら、こんなことを言い放った。
「例えば――どのクラスメイトから見ても大人しそうでクソ真面目でつまんなそうな男女ふたりが、急にどデカい花火を打ち上げて、逃避行を始めるとか?」

「それって、悪戯なの?」
 思わず、少し笑う。大胆で、だけど普通に真面目に生きてたら絶対にできないような、現実離れした悪ふざけ。
 それは、どうしようもなく楽しそうだな、と思った。そして、私の中に湧き上がる、今まで感じたことのないほどの高揚感――
 ああ、この感覚は。あのニュース映像を見た時と、同じだ。
 ……彼の誘いを受けると、私はもう、元には戻れないだろう。平穏で退屈でどこまでも普通な、つまらない日常には、もう。
 それを知った上で――私は既に、乗ることに決めていた。
「苗字ちゃんに、覚悟はある?」
 真剣そうな顔をして、王馬くんは言う。私は息を呑んで、彼の言葉の続きを待った。
「……どんな?」
「全ての人を裏切る覚悟、全てを捨ててでも、オレに着いてくる覚悟だよ」
 全ての人。私の数少ない友人に、家族。これからの、平穏な普通の人生。
 今まで捨てられなかった、私のこれからの人生――それと、私が本気でやりたいことを天秤にかけて、私は。
「……もちろん! 私は、王馬くんと一緒に悪戯したい!」
 はっきり、そう宣言した。今までの私と決別するつもりで。誓いを交わした相手である王馬くんの目を、じっと見つめる。
「よしきた!」
 そして、悪戯好きな少年はそんな私の手を取り、にししと笑った。


 それから。王馬くんが教室の窓の方に向かったので、私もそれに着いていった。今日は眩しいほどの晴れ模様。絶好の逃避行日和だ。
 すると――
「はい、みんな、ちゅうもーく!」
 彼は急に、教室中に響き渡る大きな声で、演説をするかのように語り始めた。
 教室にいるクラスメイトの視線が私たちに向く。今まで大人しくしていた王馬くんと私が急に目立つ真似を始めたので、呆気に取られているようだ。呆然とした顔が並んでいるのが、愉快だった。
「今から、オレと苗字ちゃんはこの教室からいなくなります! ホントだよ! クラスメイトのみんな、今までありがとう!」
 ――は?
 何を言ってるんだこいつは、とでも言いたげな視線が私たちに向かう。そして、嘲笑にも近いざわめきが微かに聞こえてきた。
 でも、全く気にならなかった。――だって、王馬くんと一緒だから。
「あ、もしかしてオレたち、嘘ついたと思われてる? 酷いなー、オレは嘘をつくのが一番嫌いなのに! 嘘だけどね! ほら、その証拠に――今から五秒後に、オレたちの門出を祝った花火が鳴るよ!」
 それから私たちは、二人で五秒カウントを始める。
 五、四、三、二、一。
 そして、最後のゼロをカウントしたのと同時に王馬くんが指を鳴らした瞬間、
 ドン、と花火が喝采のように鳴り響いた。

 教室にざわめきが走る。王馬くんは、みんなが空に咲く花火に注目している隙に、学生服の黒い上着を脱ぎ、白い制服に白黒スカーフを巻き付けた服装になっていた。
 いつの間にそんな格好――と、呆気に取られている場合ではない。窓を全開にした王馬くんは、楽しそうに楽しそうに、教室全体に向けてこう言い放った。
「じゃあね! みんなとの暮らしも、つまらなくはなかったよ!」
 そして彼は、なんの躊躇もなく窓から飛び降りた。私も慌てて、彼に続く。最後に見た教室のみんなの顔は――心から驚いた、呆気に取られた顔。これから彼らは、私たち二人のことを噂し続けるのだろう。そんなみんなが、おかしくておかしくて仕方なかった。
「えっと……さよなら! みんな、バイバイ!」
 王馬くんに続いて、私も窓から飛び降りる。今までのつまらない私にも、さよならを告げながら。


 ここ、三階だったなと気が付いたのは飛び降りた直後だった。
 だけど――ええい、なんとでもなれ!
「うわあああああっ!!」
 思わず声が漏れる。だが、それは恐怖からではなく、これからへの期待と興奮から出てくるものだった。
 そして――やや気の抜けた衝撃音。それから、身体に伝わる衝撃。
 だけど、痛くない。何がなんだかわからないまま倒れる私を、王馬くんがにししと笑いながら見下ろしていた。
「ええっと、これは……?」
 どうやら、前もって衝撃を吸収できるクッションのようなものを用意していたらしい。なので、怪我はなかったが――それでも、混乱は避けられなかった。
 それに、なんだが地面が揺れているような気がする。わけがわからないまま目を回していると、王馬くんが笑いながら言った。
「苗字ちゃん、見て分からない? オレたちが今、何をしているか」
 彼のその言葉を聞いて、私はやっと落ち着いて、ゆっくりと顔を上げた。そこで、私はようやく現状を把握することになった。
「オープンカーで、ドライブ?」
「正解! 言ったでしょ、『逃避行を始める』って」
 どうやら私たちは、彼が前もって用意していた、仲間のオープンカーの座席に着地していたらしい。
 私と王馬くんは今、後部座席から外を眺めている。運転席には王馬くんと同じ服装の男性が座っていて、かなり荒く超スピードで車を走らせていた。

 昼間に咲く花火を背景に、何もかもぶっちぎって、王馬くんと一緒に逃避行をする。人生初めてのオープンカーの乗り心地は、荒くはあるが風が心地よく、悪くない。
「ほら、苗字ちゃん。今はこれしかないけど、後でちゃんと渡すからね!」
 なにを、と問う前に、私は王馬くんから仮面のようなものを受け取っていた。思わず彼の様子を見ると、王馬くんも揃いの仮面を持っているらしい。運転席の彼の仲間を見る限り、仮面と白い制服が仲間の証、ということだろうか。
 なんとなく、仮面を被ってみる。その顔を王馬くんに見せると、「へー、似合ってるじゃん!」なんて言ってくれて、仲間として認められたようで少し嬉しかった。
「ねえ。ところで、この車はどこに向かっているの?」
 その言葉を発した後、また花火の音がした。
 王馬くんも運転席の男性も、その時間だけ黙り込む。
 やがて、彼は――不敵に笑って、そっとこう囁くのだった。
「――オレたちの、本拠地だよ」


「DICEへようこそ、苗字ちゃん!」
 しばらく車を走らせ、どこをどう歩いたかもよく分からない中で、私は地下のある部屋に通された。曰く、ここは秘密結社らしい。王馬くんと同じ服を着た数人の男女が、私のことを物珍しそうに見ている。
 変装道具。仮面。モデルガン。いかにも『秘密結社』という雰囲気の、だがどこか子供じみた空気感のある空間に、ワクワクが止まらない。
 王馬くん率いる組織のことを、彼らの仲間から軽く聞いてる時――ふと、私は王馬くんに訊ねた。
「ねえ王馬くん、どうして私を連れてきたの?」
「ん? 苗字ちゃんに運命を感じたからかな?」
「えっ!?」
「にしし……。嘘だよ! 自分で考えれば?」
 あくまで楽しそうに笑う王馬くんを見ながら、私は考え込む。
 私は、王馬くんと組んだら楽しそうだなと思っていた。悪戯がしたかった。
 でも、もしかしたら王馬くんも同じように思っていてくれたとしたら、それは――
「オレさ、超高校級の総統って言われてるんだよねー。だから、今まで部下たちを率いて悪さをしてきたけど――せっかくだし、新しく高校生の部下が欲しくってさー。つまんないやつのフリして普通の高校に忍び込んでたんだ。ま、それで苗字ちゃんを選んだ理由は内緒だけどね!」
 急にそんなことを言われて、思わず驚いてしまった。まさか彼が、超高校級と言われていたなんて。
「超高校級って……ギフテッド制度の?」
「そうそう。断ろうかとも思ったんだけどさー、超高校級の総統って、悪の総統であるこのオレにふさわしい肩書きだと思わない?」
「……うん。王馬くんに、ぴったりだよ!」
 そして、二人で笑う。彼がどうして私を選んだのか――それは今後、王馬くんと一緒に悪ふざけをする生活をしながら考えようと思った。

「あ、そうそう。苗字ちゃん、最近のニュース見てる?」
「えっと、それなりには」
「にしし、じゃあ話が早いね。金庫破りをした事件、オレたちが起こしたものだからさ。苗字ちゃんも、早く金庫破りくらいはできるようになってね! 期待してるからね!」
 薄々、そんな気はしていた。悪ふざけとしか思えない犯罪――彼になら、それができそうだと。彼となら、それができるのだろうと。
 無茶ぶりだとしか思えない彼の言葉を聞きながら――私は、思う。
 私が彼らの悪戯を知ってから私も悪ふざけをしたくなったのだから、私が彼らの悪戯に乗るのは当然のことではないか。
 これから始まる、困難でもありどこまでも楽しいであろう日々に――私は、希望を抱いた。

「じゃあ、DICEに新しい仲間が加わったことだし――オレたちで、常識も法律も枠組みも超えた、最大最高の悪ふざけをしようね、苗字ちゃん。つまらなくない計画を、一緒に立てようよ」
「――うん!」
 私が頷くと、彼はもう一度だけ、にししと笑った。


 教室で大人しくしていた二人の男女は、もうここにはいない。
 私の新しい、最高の悪ふざけに満ちた人生は――まだ、始まったばかりだ。


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