■変われない者たち
「私たち、生まれ変わったら幸せになれるかしら」
私は彼にそう言ってみた。この地獄のような街に、幸せなんて見出せなかったから。
「馬鹿馬鹿しい」
それを聞いた少年――ディオ・ブランドーは、鼻で笑った。
「生まれ変わったら、なんて。そんな消極的な考えを持っているヤツに、幸せなんてもの、生まれ変わっても訪れないだろうな」
確かにその通りだろうな、と思った。
「ディオ」
そして私はパンを投げた。家から持ち出したものだ。ディオはそれを、怪訝な顔をしながらも受け取る。ナイスキャッチだ。
ここに貴族なんかがいたなら、食べ物は大事に扱いなさい、なんて諭されるかもしれないが、知ったことか。
私たちは。食べ物よりも、大事にされていない。誰にも。
「家に余ってたの。他の誰かに盗まれるくらいなら、あなたにあげるわ」
「……哀れんでいるつもりか?」
「まさか。食欲がないだけよ」
彼はしばらく胡乱げに私の方を眺めていたが、やがて、パンに齧りついた。
私たちはいつもこんな感じだ。
時折、酒場の裏路地で、何をするわけでもなく共にいる。賭けで稼いでいる時間でもない、家にいる時間でもない、何でもない時に。
そして、気まぐれに与え合う。ディオはそう認識していないのかもしれないけど、少なくとも私はそう思っていた。
それにしても、と。私はディオの方を見る。
薄汚れた街。そんな中でも、ディオだけは綺麗だと思う。金の髪が、鋭い瞳が、一等綺麗だ。たとえ、彼がいつも飢えていたとしても。
飢えているからこそ、だろうか。こんな環境にあっても、貪欲に上を目指しているからこそ、美しい。
既に全てを諦めている、私とは違う。
私は、自分が大人になることすら想像できない。少女のまま野垂れ死にするのではないかと、そんな予感を覚えている。
「ディオ、そういえば」
「何だ」
「あなたのお父さん、具合悪いって聞いたけど」
「ああ」
彼は無表情だった。心配なんて、欠片もしていないのだろう。それを感じさせる。
「どれくらい悪いの?」
「さあ。あと一ヶ月の命、ってところじゃあないか」
あまり興味なさそうな口ぶりだった。むしろ、清々しているように見えた。
私が野垂れ死ぬよりも先に、ディオのことを殴る彼の父が死ぬのだろうか。
なんというか。それを想像すると、少し愉快だ。
こんなに美しい存在を虐げるなんて。本当、ダリオ・ブランドーは罰当たりだ。
「彼が死んだら、どうするの?」
そこで初めて、ディオは小さく笑った。
「さあな。あいつの血を断ち切り、このディオの人生が始まることだけは、確かだが」
ディオは父を嫌っている。憎んでいる、と言ったほうが正しいかもしれない。
それなら、もしかしたら。彼の父親が病気なのも、ディオが毒を盛ったのかもしれない。
私にとっては、どちらでもいいことだが。
「特に宛がないって言うなら、私の家に住むのはどう?」
半分冗談のつもりで、そう提案した。
私の親がどう反応するかは、分からないが。寝床くらいにはなるだろう。家がないよりはマシだろうし。
すると。ディオは、鋭い視線をこちらに向けた。
「分かっているのか? ――それは、このぼくに利用されるってことだぜ」
「今とあんまり変わらないじゃない」
そして私は肩をすくめる。
私とディオの関係は。与え合う、というよりは。私の方が一方的に奪われている、と言った方が正しいのだろう。でも、それでディオと共に居れるのならば、それで構わない。
何もない私の人生の中に。確かに、ディオはいる。ディオだけは。
「……まあ、検討しておいてやるよ」
本気にした風でもなく、ディオは軽く言う。
「ナマエがぼくにとって利用できる人材かどうかっていうのは、別だけどな」
彼にしては珍しく、冗談のように言った。薄く笑ったその唇が、やけに印象的だった。
何もない、幸せなんてない、地獄みたいな街の中にある私の人生。
そんな中でも、当たり前にディオがいた。同い年の子供。家が近くである、というだけの偶然に頼った縁。変化もなく、幸せもなく。
だけど確かに、ディオ・ブランドーという少年は、私の近くにいたのだ。
そう、その日までは。
「貴族に引き取られることになった」
「……そう」
ディオのその言葉を聞いたとき、私は案外冷静だった。彼の父が死亡し、ディオが本当に天涯孤独となった後のことであった。
「ナマエは言ってたな。『生まれ変わったら幸せになれるかも』――なんて、馬鹿げたことを」
「そうね、言ったわ」
今の人生、このままでは私は幸せになんかなれない。そう思っての言葉だったが、これは、ディオには丸っきり賛同できなかった言葉らしい。
「生まれ変わり、なんて。ぼくは信じちゃあいない。あったとしても、興味が無い……ぼくが、ぼくとして生きていないなら、それはもうこのディオではない」
「あはは。ディオらしいわね」
思わず笑うと、睨まれた。
だが、本心だ。ディオは、諦めて来世に期待することなんて絶対に無い。手段を選ぶことなく、貪欲に。自分の欲しいものを、求め続ける。奪い続ける。
「だから。ぼくは、こうやって生きているままで『生まれ変わる』さ。この街から出る。あいつとの血の繋がりを、この街すべての縁を、断ち切ってやる」
その声色には、激情が滲み出ている。その感情こそが、彼の切りたいものが未だ断ち切れていない証なのでは、と思ったが、言わなかった。そんなことを言って、私達が最後に交わすであろう言葉に、泥を塗りたくなかった。
「一人でも生きていけるが、利用できるものはすべて利用する。そして君は、このディオが利用できる存在ではなかったようだな……ナマエ」
「そのようね」
そして肩をすくめる。私たちにはもう、交わすべき言葉が何もなくなってしまったことを感じながら。
「じゃあな、ナマエ。君が幸せになれるよう、幸運を祈ってるよ」
「さよなら、ディオ。お元気で」
皮肉に満ちた別れの言葉に、感情は篭っていなかった。
ただの区切りとして。ディオは過去と、私という存在を断ち切るために。ちょっとした儀式として、別れを演出した。
それを感じられる言葉だった。
そして私は馬車を見送る。本当にディオが、この街から、私の側にいなくなってしまったことを、痛感しながら。
彼は。『ディオ』として生きながら、生まれ変わる、と言っていた。確かに彼は、父も母も亡くし、この世に生を受けたこの街から脱することに成功した。
でも。多分、だけど。
ディオは変わらないと思う。貴族に拾われようが、貴族として生きようが。ディオが十三年をこの街で生きてきたことと、ディオには彼の両親の血が流れているということは、紛れもない事実なのだから。
そして、私と共に居たことも。
百年経っても、彼は、何も変わらないのではないか――なんて。さすがのディオも、その頃には死んでいるだろうが。
「これから、どうしようかな……」
そして、私も。
ディオという存在がいなくなったとして、何も変わらないと思う。少しの喪失感は、この街で生きていく中で、きっとどうでもいいものになる。そしてそのまま、変わらないままで、私は野垂れ死ぬのだろう。
だって。私の人生なんて、最初からつまらないものでしかなかったから。
「――どうかお幸せに、ディオ」
そして私は街に消えていく。幸せのない、地獄のような街に。
だけど。きっと、ディオが本当の意味で幸せになる日が来ることも、多分ないのだろうなと。そんな、根拠のないことを確信しながら。