■紫の煙と私と君

 フーゴが居眠りしていた。珍しい。
 仕事の途中だったのだろうか。書類を手にしながら、無防備に眠っている。
 辺りを少し見回してみる。今、このアジトには、フーゴしかいないようだ。
 そっとブランケットをかけてみる。起きる様子はない。疲れているのなら、そのまま寝かせてやろう。一つ年下の少年の寝顔を見ながら、私は思わず笑みを零す。
 そして。私はおもむろに、自分のスタンドを呼び出した。
「『サーカス』……。『パープル・ヘイズ』を出して」
 そして、フーゴのスタンド『パープル・ヘイズ』もまた、そこにあった。

 私のスタンド『サーカス』は、人の魂の形を見て、触れることができる。つまりスタンド使いに関しては、そのスタンドを、強制的に引っ張りだすことができるわけだ。
 もちろん、敵と戦うときには便利である。だが今はそうではない。
 スタンドの触れ合い、それはつまり、魂の触れ合い。私はずっと、フーゴとそれをしたいと思っていた。


 フーゴは眠っているため、『パープル・ヘイズ』は彼に制御されていない。
 つまり、これがありのままのパープル・ヘイズ。ありのままの、フーゴの精神の姿。
 獰猛で、いつも怒っているような顔をして、神経質で潔癖な。
「うぐぐぐぐ……グゲッ、グゲッ」
 唸り声を上げて、閉ざされた口の隙間からヨダレがぽたぽたと落ちた。本能に直接訴えかけてくるほど、このスタンドは凶暴だ。
 そう、パープル・ヘイズが、誰のスタンドよりも危険であることは知っている。その手のカプセルが割れた途端に、私も、本体であるフーゴも死んでしまうであろうことは。
 それでも。彼の精神が私の前に無防備に立っていることが、たまらなく嬉しい。
「ほら……ヨダレ、拭いてあげるから。こっちにおいで」
 だから私は、臆することなく彼に近づく。フーゴの精神の姿に。
 そして、ポケットに入っていたハンカチで、
口から漏れるヨダレを拭いてみた。パープル・ヘイズは少しの間動きを止め、されるがままになっていた。
「ほら、どう? あなた、結構綺麗好きでしょう……すっきりしたんじゃあない?」
「ウゲッ、ウゴゲゲッ」
 喜んでいるのだろう。多分。少なくとも私にはそう見えた。
 だから私も、そっと笑った。フーゴの精神の奥深くに触れられたような、そんな気持ちになりながら。


「おい、ナマエ……パープルヘイズを出すなって言っただろう。危ないぞ」
 それから、しばらく後――居眠りから目覚めたフーゴが、状況を把握したと思ったら、不機嫌そうに言う。
「平気よ。パープルヘイズだって、カプセルさえ割れなければ安全だわ」
 膝枕をしたパープル・ヘイズの頭をそっと撫でてみる。パープル・ヘイズはさっきから、私の膝の上でくつろいでいた。カプセルが割れそうな様子はない。パープル・ヘイズは嬉しそうな唸り声を上げたが、フーゴはそっぽを向いて、小さく言った。
「あの……恥ずかしいんですけど……」
「いいじゃない。フーゴだって、まだ十六歳なんだから。たまには、休んだり甘えてもいいと思うわ」
「あんただって、ぼくより一つ上ってだけじゃあないですか……そんなに変わりませんよ」
「ふふ、そうかもね」
 照れ隠しのように言うフーゴを見ながら、くすくす笑う。
 だけど、本当にそう思うのだ。
 人より賢い彼。そんな彼が、ギャングの世界で生きていくというのは、他の人以上に気を張ることもあるのではないかと思うのだ。賢い故に、生き辛くなるような、そんな気が。
「フーゴだって……もっと、単純に考えてもいいと思うんだけどね。考え過ぎも、身体に毒だわ」
 パープル・ヘイズの頭を撫でながら呟く。仕事に思わず居眠りしてしまうほど、彼には考え悩みすぎないでほしいと、そう思う。
「……ぼくに、こいつと同じような生き方をしろって?」
 しかし嫌悪すら感じる瞳で、フーゴはパープル・ヘイズを見下ろした。彼のスタンドは確かに、素直で、悪く言ってしまえばフーゴの持つ知性は感じられない。
 それでも。フーゴのこともパープル・ヘイズのことも、私は好きだった。だから私は、何も言えなかった。


「……なら」
 少しの沈黙の後、彼はため息をつく。
 そしてフーゴは、いつの間にかパープル・ヘイズを引っ込めていた。
 フーゴは眠りから覚めた段階で、やろうと思えば彼のスタンドを制御できたのだから、今までパープル・ヘイズを私の膝の上で寝かせていたのはフーゴの意思であったのだと、私は今になって気がついていた。
「『たまには甘えるのもいい』。でしょう?ナマエ」
 そしてフーゴは隣にどかりと座り、私の肩に凭れ、そして目を閉じた。私はそれを、しばらく唖然としながら眺め――そして。状況を理解した瞬間、赤面した。
「……えっ、ええっ!?」
 フーゴが、私の肩に凭れて目を閉じている。……甘えている?
「フーゴ、急にどうしたの……? おーい……」
 恐る恐るつついてみたが、彼は目を覚まさなかった。完全に眠っている。先程も寝ていたが、寝足りなかったのだろうか。
 私は、暫し呆然としていたが――やがて、小さく微笑んだ。
「まあ、パープル・ヘイズも私に甘えてくれたし……。フーゴも甘えたかったのかもね」
 彼の寝顔を、愛しさを持って見つめる。彼が私の隣で眠っていることが、なんだか嬉しかった。

「いつもお疲れ様、フーゴ」
 そうしていると、なんだか私も眠くなってきた。小さな欠伸が、口から漏れてくる。
「私も寝ちゃおうかな。おやすみ、フーゴ」
 そして、私も目を閉じた。お互いに凭れ合って眠る昼下がり、全てを忘れて、私たちは眠りに落ちた。


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