■成り代わりと入れ替わり

※世界ディエゴ生存if(恐竜ディエゴ死亡)

 あれは、一体誰だ。
 SBRレースのゴールに一着で辿り着いたあの男は誰だ。
 優勝を、全ての栄光を手に入れた男は誰だ。
 そして、私の恋人と瓜二つな男は誰だ。
 私の恋人は、ディエゴ・ブランドーは確かに、列車に轢かれ、文字通り真っ二つになって死んだというのに。


 本当に意味が分からない。
 ディエゴが死んだあと、私は、確かに彼を簡素だが埋葬した。ぼろぼろに泣いて、半分わけがわからなくなりながらも、必死に土を掘って、そして埋めた。半分に分かれてしまった彼の身体を、なるべく合わせようとさえした。
 無駄だと笑われてしまうかもしれない。それで彼が生き返るわけでもない。そんなことより、レースを完走して、少しでも賞金を得ろと怒られてしまうかもしれない。
 それでも、私はこうするしかなかった。二つに分かたれてしまった彼が、これ以上傷付けられることのないように。レースが終わった後、彼と私の故郷イギリスに墓を作るまでは、ここで静かに眠ってほしいと。彼に恨みを持つ人は大勢いるが、そんな人に見つからないように。彼の遺体が、これ以上誰かに傷付けられることのないように、と。私と彼が故郷に帰るまでは、せめて、と。
 そして私は、随分遅れながらもなんとかレースは完走した。なので賞金はない。そして、優勝争いについては疎かった。ディエゴのいないレースの優勝に興味なんてなかったから。……そのはずだった。


「Dio! Dio! Dio! Dio!」
 閉会式のとき――優勝者として栄光を得たあの男は、それはもういろいろなインタビューを受けて、引っ張りだこだった。そしてその間、「優勝したディエゴ・ブランドー」を称えるように、歓声が響き続けていた。
 ヴァレンタイン大統領も、このレースの出資者であるスティール氏も何故か姿を見せず、ディエゴ・ブランドーと名乗っている誰かがずっと閉会式を仕切っていた。正直その間、彼に近づくどころではなかった。
 私はどうしたかったのか。どうして閉会式から立ち去ることができなかったのか、……分からない。本当は『私の知る本物のディエゴ』の墓に、すぐにでも向かいたかった。行って、確かめたかった。――優勝したあの男は、私の知るディエゴではないのだと。
 ディエゴは、死んだのだと。


 なのに。結局あの男は、閉会式の後で私に接触してきた。
 それなのに逃げられなかったのは、逃れられなかったのは――いったい、どうしてなのだろう。
「ああ、ナマエじゃあないか」
 気安い呼び方。声。顔。全てが私の知るディエゴそのもので、なのに、どうしようもない違和感を覚えた。
「あなたは……誰なの」
 夜の帳に、二人の声だけが響いている気がする。今なお続く屋外での宴が、やけに遠い。
「おや? この世界では、オレと君は恋人同士になっていないのか?」
 心外そうに両手を広げる彼に、嫌悪感すら覚えた。私とディエゴの思い出が、穢されていくようで。
「違うわ。私とディエゴが他人だったら『あなたは誰なの』なんて言わないことは、あなたにも分かっているでしょう」
 そして、ため息を吐く。本当に他人なら、目の前にいるディエゴがディエゴじゃないことなんて、どうでもいいのだから。
 私はディエゴと深い仲だった。だから引っかかるのだ。――目の前にいる人物が、私の知るディエゴ・ブランドーではないことに。

「ならば、君は何故オレのことを拒絶する? オレとナマエは愛を誓った恋人同士だ、そうだろう?」
 何故、こんなにも薄っぺらく感じるのだろう。この男は一体何者で、何を知っているというのだろうか。そう思いながらも、私は私の知っていることを話す。
「だって……だって、私が弔ったんだもの。私の知る、私のディエゴのことを。……あなたじゃあ、ない」
「なるほどな……」
 睨みつけながら鋭く言ったつもりなのに、ディエゴは意に介した様子すらない。そして、ニヤリと笑いながら言い放った。
「『基本世界のディエゴ・ブランドーの死体』。それはオレにとって脅威に成り得る。それをナマエ、君が『処分』してくれたのか」
「処分だなんて言わないでッ!」
 私が激昂しても、男は涼しい顔で躱した。それどころか彼は、興奮したように昂った声を発する。
「ああ、オレは嬉しい。嬉しいんだ、ナマエ・ミョウジ。他でもない君が、この世界のディエゴ・ブランドーを排除したこと。そして、この世界でも君に出会えたことだ」
「馬鹿言わないで」
 ぴしゃりと言い放つ。彼の全てを拒絶するように。私の愛した人と、同じ顔で同じ声で、薄っぺらいことをこれ以上言ってほしくなかった。


 だけど。どうしても気になることがあって、そのまま立ち去ることもできず、言葉を続けてしまう。この男は誰なのだろうと、そう思ってしまう。
「……私には、あなたの言っていることは分からない。でもあなたは、私の知るディエゴ・ブランドーではないわ。それだけは分かる」
 そして睨みつける。すると目の前の男は、不思議そうな顔をした。
「……どうも話が噛み合っていないな。まさかナマエ、君は大統領のスタンド能力を知らないのか?」
「……大統領のスタンド、能力? 知らないわよ。何の話?」
「ほう。なら、『遺体』と聞いて心当たりはあるか?」
「『遺体』? ディエゴの遺体のこと?」
 何を言っているのか分からない。私が顔を顰めると、男は少し、考え込むような素振りを見せた。

「なるほどな……この世界のナマエ・ミョウジは、遺体のことも大統領のことも何も知らなかったわけか……だからこそ生き延びた、とでも言うべきか?」
 私の目を見ずにぶつぶつ呟く彼が気味悪く感じて、思わず口にしてしまう。
「ちょっと、何をさっきからぶつぶつ言ってるのよ。私にも分かるように言いなさいよ」
「いいだろう。その口ぶりだとナマエ、君は『ディエゴ・ブランドー』が何故死んだのか、それすら知らないようだからな」
「それは……」
 確かに知らなかった。ディエゴがレース中、何かと戦っていることは知っていたが、何と戦っているのかは知らなかった。私とディエゴはレースが始まる前からの恋人ではあったが、レースで行動を共にすることのほうが稀なくらいだった。私には戦う身体能力はないので、とにかくレースをゴールすること、それだけを考えていたくらいなのだが……。
 だからこそ。ニュージャージーに辿り着いたとき、ディエゴが死んでいたことに酷く驚いた。理由なんて考えることもできず、わけもわからないまま彼を埋葬した。私には、それしかできなかった。
 そんな私を、男は真面目くさった表情で見つめる。そして、粛々と語り始めた。
「最初から話そう。このレースは最初から、ある『聖人の遺体』を集めるために開かれた、陰謀のレースだったってことさ――」

 そして目の前の男は語る。SBRレースは最初から、『ある聖人の遺体』を集めるため、ヴァレンタイン大統領が陰謀したレースだったということ。その『遺体』には、全てを手に入れるほどの力があるということ。その『遺体』に触れた者は、スタンドと言われる能力を得ることがあること。
 そして、大統領のスタンド能力は『平行世界』を行き来する能力だということ――
「大統領によると、この世界、今オレたちのいる世界が『基本世界』だそうだ。そしてオレがいた世界は『平行世界』――そこに聖人の遺体はない。あったのは、ダイヤモンドだったな。遺体よりもずっと価値の低いものだったよ、今思えばな」
 私は黙って男の話を聞く。突拍子もない話ではあるが、死んだはずのディエゴと全く同じ人物が目の前に立っているということは、彼の話は事実なのだろうと嫌でも確信させられる。少しずつ少しずつ、真実に近づいているような嫌な予感を感じる。
 男は言葉を続けた。
「そして大統領が、ジョニィ・ジョースターに破れた時……オレに助けを求めた。どうやらこの世界のディエゴ・ブランドーは死んでいたようだが……ジョニィに『遺体』を渡すくらいなら、オレが『遺体』の所有者になって、この国の支配者になる方がいいと考えたらしい」
 そこで男は顔を上げた。その瞳は、欲望が爛々と光っていた。
「オレは勝利者となった。レースに優勝した! 『遺体』も手に入れたッ! この国も、オレが全て支配してやる! マンハッタン島だけじゃあない。この国の全てをだッ!」
 そして彼は吼えた。この世の全てに宣言するように。
「そして――オレは『君』にまた出会えたんだ、ナマエ・ミョウジ。オレは、全てを手に入れたんだッ!!」


 その様子を、私はじっと見つめていた。
 案外、心は穏やかだった。真実を知って、そして、自分の感情の行き場をようやく掴んだ気がしていたから。
「……この国のことも、遺体のことも。好きにすればいいと思うわ、『ディエゴ・ブランドー』。だってそれは、私には関係ないことだもの」
 そして私は拒絶する。
 私の知らない、ディエゴ・ブランドーのことを。
「でも……でもね。私はあなたのものにはならないわ。だって私は、『この世界で死んだディエゴ・ブランドーのもの』だもの。あなたのものじゃあない」
 男は黙って私の話を聞いている。なので私は、なるべく感情的にならないようにしながら、毅然とその言葉を突きつけてやった。
「平行世界から来たあなたは、私の知るディエゴ・ブランドーではない。そしてあなたは……『あなたの知るナマエ・ミョウジ』を置いて、この世界に来たんでしょう」

 そう。目の前の男は、『私』を捨ててこの世界に来た。彼にとっての『私』を。権力と遺体を手に入れるために、『彼にとってのナマエ・ミョウジ』を捨てた。
 私はそれが許せない。私にとってのディエゴは、私の愛したディエゴはただ一人であって、目の前の男ではない。
 ならば、目の前の『ディエゴ』にとってのナマエ・ミョウジも、ただ一人しかいないだろう。それは私ではない。その『別の世界の私』を捨てて、『この私』に迫る目の前の男が、私は許せない。
 絶対に許さないつもりで、睨みつけてやったのに。
「分からないか?」
 静かなその口ぶりに、引っかかってしまった。まだ、何かあるのではないかと。
「……何が?」
「本当に分からないのか、『この世界のナマエ・ミョウジ』。オレが元いた世界でのナマエ・ミョウジは、もう死んでいるということに」
 その瞬間、私の思考が止まった。


 男は冷静に私の目を見つめる。だが彼のその瞳には、形容し難い激情が燻っているように見えた。
「私が、平行世界の私が死んだ?」
「そうだ。オレが唯一愛した女の死を、オレは見た。目の前でな」
 男は淡々と話し続ける。その言葉の裏に、確かに感情を滲ませながら。
「もしオレにとってのナマエ・ミョウジが生きていたら……そうだな。オレは彼女を連れてこの世界に来ただろう。そして彼女の脅威を排除するため、君を殺しただろうな」
 平行世界の自分が出会ってしまったら、お互いが消滅してしまう。
 あまりにさらりと告げられた事実に、言葉を失ってしまう。
 この男は……このディエゴは一体、どこに話を持っていきたいのだろう。

「だが、オレは君のことを殺すことがなくて良かったと思っている。愛した女を殺すのは、いくらオレでもあまりやりたくない作業だからな。だからこそ――君が、『この世界のオレ』を処分してくれたことが嬉しいんだ」
 少し、沈黙が落ちた。何をどう考えていいか、分からなくなってしまったから。
 男はおもむろに口を開いた。
「なあ……こう思わないか? 『今、この基本世界で生きているオレたちが、本物のオレたち』なのだと」
「……思わないわ、思わないわよ」
 声が震える。私にとってのディエゴは死に、このディエゴにとっての私は死んだ。それは、お互いにとっても、私たち二人では代わりにはならないということ。そのはずなのに。
 だがディエゴは、ニヤリと笑って言った。
「平行世界の自分。それは結局『同じ自分』なんだよ、ナマエ。だからこの能力で『同じ自分』が出会うと、消滅してしまう……同じ存在は、同時には存在できないからな」
「だけど……! 私とあなたは、『同じ私たち』じゃあないわ! 同じ思い出を持たない、同じ歴史を持たない。それのどこが、『同じ自分』なのよ!」
「今、オレと君がこの世界で生きていること。それだけが重要なんだ」
 叫ぶように言った私を遮るように、彼は言った。それは静かな声色ではあったが、有無を言わさぬ威圧感を覚えるような言葉だった。

「君にとってのディエゴ・ブランドーは死んだし、オレにとってのナマエ・ミョウジも死んでいる……だが、オレとナマエは生きている」
 そして、真剣な瞳で彼は私を見つめる。
 そんな目をしないで。
 私の愛した、ディエゴと同じ目で私を見つめないで――
「どうやらオレと君は、レースでは違う思い出を持っているようだが……ならば、出会った頃の思い出はどうだ? 『農場で幼い頃、ボロクズのように働かされながら生きていた』……これも違うのだと、そう言うつもりか?」
 私は答えなかった。
 図星だった。それも違う、と反射的に答えてしまいそうになった。
 だが――その思い出は、確かに、『同じ』だった。
 ボロクズのように。それは確かに、私とディエゴが世界に復讐を誓うときの、合言葉だった。
 私とディエゴしか知らない、合言葉だった。


 同じ私、同じあなた。それは本当に、同じ私たちなのか。
 いっそのこと、あなたが全然違う人であればよかった。同じ思い出を全く持たない、平行世界の私を捨ててこの世界にやって来たのだと言われれば、そうであれば私はあなたを切り捨てられた。あなたは私の好きなディエゴ・ブランドーではないと、そう突き放せた。
「オレは自分の世界でのナマエを死なせてしまった。殺されたんだ。だから……また君に会えたのが、何より嬉しい」
 そう言われてしまえば、あなたは平行世界の私を捨てたじゃないかと、そう糾弾することもできない。彼の言葉が真実である保証なんて、どこにもないのに。本当は彼は、私を捨てて来たのかもしれないのに――


 言葉を失う。何故こんなにもディエゴのことを拒絶しているのか、分からなくなってしまった。
「オレと君は生きている。それは確かなんだ。オレたちの間には違う思い出もあるが、同じ思い出も確かにある――それに。これからは同じ思い出を作っていけばいいじゃあないか! これから、『思い出』を作っていけば、それが唯一の真実になるんだからな」
 目の前の男を見る。彼の言葉が、確かに私の愛したディエゴの言葉のように思えてくる。
 走馬灯のように駆け巡る、私の愛したディエゴ・ブランドーとの思い出が、目の前の男の姿に上書きされて。
 そして。私は、気がついたら彼に抱きついていた。
 無意識だった。私はこの男に堕ちてしまったのだと、それだけはぼんやりと分かっていた。
「あなたは……Dio。ディエゴ・ブランドー」
「そうだ」
「私の……私が、唯一愛した人」
「ああ。そして、これからもそうだ」
 それから、どちらともなく唇を合わせる。その感触は、触れ方は、紛れもなく私が愛した人のもので。
 そしてそれが、無性に悲しかった。

 このまま時が止まってしまえ。罪悪感も後悔も何もかも、感じなくていいように。

「……そして。おまえはオレのものだ、この世界のナマエ。このDioだけのものだ」
 刹那、そんな言葉を確かに聞いた気がしたが、気のせいだったのかもしれない。私たちは唇を合わせたままで、私に気付かれずに離す機会なんてなかったはずだから。
 ただ、誰かのことを想って、私の頬に涙が一筋流れ落ちた。それは、私に残された最後の理性なのかもしれないと、そう思いながら。


 私は結局、この男のものになってしまった。全てを手に入れた、全ての勝利者になった男のものに。
 彼がこの国を、世界の全てを手に入れていく様を、私は隣で見つめる。私の故郷なんかじゃない、彼の故郷なんかじゃあない、このアメリカという国で。
「私の帰る場所は……もう、どこにもなかったのかもしれないわね」
 そして、窓の外を見ながらため息をつく。ディエゴはこの国の大統領で、私はもはや大統領夫人だ。もう、何もかもめちゃくちゃだ。『ニュージャージーで眠ったままの誰か』が死んだ時点で、イギリスは故郷では、帰るべき場所ではなくなってしまった。私は結局、あれから一度もイギリスに行っていない。
 なら、今の私の帰るべき場所はどこか。……決まっている。『私の唯一愛したディエゴ』の隣、それだけだ。
「だが、今のナマエの居場所はオレの隣だ。そうだろう?」
「……そうね。私も、そう思うわ」
 そして、私たちは唇を合わせる。昔から何も変わらない口付けに、何もかもが曖昧になってしまう。
 私と平行世界の私の境界とか、ディエゴと平行世界のディエゴの境界とか、そして、私とディエゴの境界とか。
 成り代わり、入れ替わり、全てが曖昧になる。

 その中で、唯一無二の真実はただ一つ。
 目の前にいるディエゴが、全てを手に入れた勝利者となってしまったこと。私は彼のものになってしまったこと。ただ、それだけだった。


- ナノ -