■対照性

※未成年への虐待描写

「おい、ナマエ。……何をしている? マッチ売りの少女気取りか?」
 ディオ・ブランドーは、不機嫌そうにその少女に話しかけた。
 冬の夜、降り積もる雪から身を守るように、ナマエは橋の下に身を潜めていた。そして、その手には、煌々と光るマッチの炎があった。
 雪と寒さからそうやって身を守れても、こんな夜に一人で年端も行かぬ少女がマッチの火なんて目立つ物を持ちながら佇んでいれば、暴漢に襲われても文句など言えないのに。そして殺されることになったとしても、何もおかしくないのに。
 それでも彼女はぼうっと炎を見つめている。この街に蔓延る悪意のことも、その結果自分がどうなろうと、全てどうでもいいとでも言いたげに。


「マッチ売りの少女……って、何?」
「君に教養を期待したぼくが馬鹿だった。アンデルセンの童話だよ」
 そう言いながらも、ディオは少女を馬鹿にするかのように見下ろし、そして隣に座った。
 彼も、他人から奪い取った本の中にたまたま童話集があったので知ったに過ぎないのだが。
 とはいえ、彼女は他人からものを奪うなんてことはできないのだろう。そうするだけの力がない。
 ナマエは、火のついたマッチに手をかざしながら、目を細めていた。
「ディオが何を言っているかはわからないけど、このマッチは売り物ではないわ。知らない男の人を連れてきたお母さんに叩き出されたから、とっさにマッチを手にしたの。外で凍えるよりはマシかなって」
 ナマエの言葉と共に吐き出される彼女の息は白い。ディオはそんな彼女に同情することはなかった。そんなこと、この街に生きる子供にとっては日常茶飯事だ。マッチをとっさに家から持ち出せただけでも上出来かもしれない。その結果、勝手なことをするなと後で自分の母親に殴られることになろうとも。

「ディオは何してたの? またチェス?」
「まあな。馬鹿な大人どもは、夜になると酒を飲みながら賭け事をすることを好む」
「……顔に、怪我してない?」
「ナマエだってしてるだろう」
 なんて不毛な会話だ。殴られることなんて日常茶飯事なのに。いちいち話題に出すのも無駄なことだ。そう思いながら、ディオはナマエの顔をちらりと見る。
 確かに、痣ができている。母親か父親か、それ以外の理由か。知らないし、知る必要があるとも思わない。
 そんなものを顔につけておきながら、彼女の表情には諦観しか浮かんでいない。全く愚かで、腹立たしい。
 何故、彼女は全てを諦めたような顔ばかりするのか。深い絶望をしていない代わりに、現状を打破しようとは丸っきり考えていない。ただ、マッチの小さな炎に身を任せようとしている。
 その結果、今だけは身体を温めることができたとしても。炎を目印に誰かに襲われるかもしれない。
 そして、その炎は彼女の明日を照らすことはできない。
 それなのにナマエは炎だけを見ている。ディオのことは見ていない。たとえその炎が何もかも、自分のことすら燃やし尽くしたとしても、彼女は炎を恨むことはないのだろう。
 全く無駄なことだ、とディオは思った。それは、怒りのような感情でもあった。

「……こうしてマッチの炎を見たところで、パン一個分の飢えさえ満たされない。マッチ売りの少女は愚かだ」
「でも、暖かいよ」
 吐き捨てるように言ったディオの言葉に、ナマエは間髪入れずに呟いた。マッチ一つ分の温もりに、彼女は、一体何を見ているのだろう。くだらない幻想か。その炎が災いを持ってくるかもしれないのに。
 それでも、炎が好き。そこに悪意はないから。
 そう言った彼女を見て思った。
 ――相容れない、と。


 気が付いたらディオは立ち上がっていた。この愚かな少女から離れるために。
 すると、ナマエはディオの顔を見上げる。そして、首を傾げながら言った。
「もう行っちゃうの? お母さんが家に入れてくれるまで暇だから、もう少し暇つぶしに付き合ってくれると嬉しいんだけど」
「生憎、ぼくは暇じゃあない……。読まなければいけない本がある」
 ディオは苛立ちながら返答した。彼女と同じく時間を持て余して暇なのだと、そう思われることは全くの心外だった。
 知識は重要だ。もっと、もっと詰め込め。ひとりだって生きていけるように。一秒たりとも時間は無駄にできない。だから、ナマエなんかに付き合っている暇なんて、最初からないんだ。頂点に上り詰めることなんて全く考えていない、諦めかけている少女なんて。
「じゃあ、なんで私に話しかけたの?」
 心底不思議そうな彼女の言葉に、ディオは思わず返答に詰まってしまった。明確な答えはなかった。ただ、ぼんやりと炎を眺めるナマエを見ていると、苛立って仕方がなかった。
 ナマエがここで明日死のうと、どうだっていい話なのに。今、目の前で死なれるのは気に食わないなんて、馬鹿げている。
 そのために、彼女に近付きかけていた暴漢と喧嘩して、倒したばかりだなんて、ナマエは知らないのだろう。
 ――知ったところで、なんのためにそんなことをしたか、ナマエには分からないだろう。

「……さあな。気まぐれに君に話しかけたことを、後悔しているくらいだよ」
 その言葉は、本心であった。それでもナマエは、「そう」としか言わなかった。
 立ち去るディオのことを、ナマエは見送らなかった。ただ、小さな炎のことを、じっと見つめていた。


 彼女が死んでも、いつかナマエと離れ離れになる日が来ようとも、次の日には忘れて、思い出すことすらないだろう。それくらい、ナマエの存在はディオにとって影響のないものだ。
 それでも、彼女が目の前で死ぬ瞬間を見たいとは思わなかった。
 自分とは全く似ていない、愚かな少女。自分は絶対にああはなるまいと、彼女を見る度に思うはずなのに。
 たとえ泥を啜ることになろうとも、上り詰めてやると、そう思う。その時、ナマエは蹴落とされる側で、ディオは彼女のような人物は蹴落とす側だ。絶対に相容れない、そのはずだ。
 それは、小さな炎を消せばどこかに消えてしまうような、幻想ではない。そんなものに縋りはしない。ナマエのことを頭から追い出し、ディオは、歩みを進めた。

 雪を踏みしめ、ディオは自宅に戻る。顔を見たくもない、あのおぞましい父親が飲んだくれているあの家に。
 あの男は死に値する。冷たい死。寒さや冷たさは敵ではなく、利用するものだとディオは思う。
 そして、自分はいつか、あの炎のようなものは全て握り潰すのだろう。太陽のような暖かさなんて必要ない。光も輝きも。そして、深く暗い闇の中へ。
 ただ、利用できるものは利用する。そしていつか、頂点へと。
 その未来を、幻想で終わらせなんてしない。暖かい幻なんかにしてやるものか。確かな現実にしてやる。
 ポケットの中に入れた毒薬を握りしめ、ディオは鋭い瞳で上を見上げる。
 雪が、あの少女の残像を消し去るように、冷たく降り続けていた。


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