■郷愁

「今日は、ここの村に泊まることになりそうね」
「……そうだな」
 SBRレースにて、私は、このディエゴ・ブランドーと一時的に協力者となっている。組みたくもなかったのに組まされている、と表現した方が正しいかもしれない。
 だが、仕方ないのかも。あのジョニィ・ジョースターとジャイロ・ツェペリに「遺体」を渡すわけにはいかないという点は、確かに、この男と利害は一致している。……お互いに「遺体」を渡すわけにはいかないとも思っているため、いつか決別する日が来るであろうことも、分かっているけれど。
「宿を探そう。山奥だが、泊まる家くらいはあるだろう……。今日は冷える。なるべくなら、温かいスープでも飲みたいところだが」
 独り言のように言ったDioの言葉に、私は内心同意する。
 レースも中盤、緯度が高くなってきて、寒さを強く感じる日が増えてきた。もしかしたら、もうすぐ雪が降ってもおかしくない。
 雪が積もったら、愛馬の走らせ方も変わってくる。今のうちに覚悟しておかないと。そう思いながら私たちは、山奥の村に入っていった。

 宿もないくらいの小さな村だったが、SBRレースの名はこの村にも伝わっているようで、快く泊めてくれる家は見つかった。聞くところによると、二人だけで暮らしている老夫婦だそうだ。
 だが、家の主人たちは既に夕食を済ませていたらしい。食料は提供できるが……と口ごもった家の主人に、「なら私が作るわ。自分で食べる分は自分で作ります」と告げた。食料を提供してくれるだけでも十分すぎるくらいだ。
 私のこの言葉に、Dioは特に何も言わなかった。勝手に決めたことだが、文句があるわけでもないらしい。
 老夫婦は早めに休むとのことで、お互い気を遣いすぎずゆっくり過ごせそうなことも幸いだった。……「後は若いお二人さんでごゆっくり」とも言われてしまった。何か勘違いされている気がする。わざわざ訂正するのも面倒だからしなかったけど。
 そんなDioは、家の主人たちと話がつくとさっさと外に出て行ってしまった。彼の愛馬のケアでもするのだろう。私も後で、私の愛馬にブラッシングしてあげないと。
 人を信用していないDioのことだ、料理する私が毒でも盛らないよう、見張るものだと思っていたが。まあ、彼がいない方が気楽に料理できるし、それならそれで構わない。そう思いながら、私はキッチンを借りることにした。


「牛乳に、野菜に、肉……」
 シチューでも作ろう。材料を切って、混ぜるものを混ぜて、煮込むべきものを適当に煮込む。胡椒も欠かせない。少しだけ懐かしい、私にとっての故郷の味だ。
 自分の分を作るついでだと思えば、Dioが食べる分の料理も私が作ることは構わなかった。普段のレースや戦いでは、彼に頼る場面も多いのだし、料理は嫌いじゃないから。
 と、牛乳等を入れて煮込んでいる最中、Dioが外から戻ってきた。
「……もうすぐできるわ。もう少し待っていて」
 彼の方向には目を向けず鍋を見ながら私が言うと、Dioも口を開く。
 ……それは、少々機嫌が悪そうな声色だった。
「クン……おい、ナマエ。何を作っている? ……シチューか? この匂いは」
 Dioが外から戻ってきたかと思ったら、出し抜けにこんなことを言われた。その口調が存外強くて、思わず面食らう。
「えっ……? そうだけど。何か問題だった?」
 Dioは何も言わない。どうしたのだろう、と私はそこで彼の顔を見た。
 彼のその表情は、どこか、昏く思い詰めているようにも見えた。
「……どうしたの? Dio」
「外に出てくる。シルバー・バレットにブラッシングをしてやらないとな……夕飯が出来たら呼んでくれ」
「もうすぐできるけど……」
 それに、彼はさっき愛馬のケアはしたのではないだろうか。そもそも、そのために外に出ていたんじゃあないの?
 私は首を傾げたが、Dioは振り返らずに再び外に行ってしまった。私はしばらく呆然としていたが、呼び止めることもせずに、気を取り直して料理を続けることにした。彼の不可解な言動について考えたところで、仕方ないと思ったから。


 シチューができたので、私は思い切って外にDioを呼びに行く。Dio、と声をかけると、彼はあくまでいつも通りの表情で振り向いた。それになんだか拍子抜けする。思い詰めているように見えたのは、気のせいだったのだろうか。
 そして私たちは席に座り、シチューに手を付けた。適当に作ったが、悪くはない。私はシチューを食べながら、目の前のDioをちらりと盗み見る。
 ……普通に食べている。ただのシチューを食べているだけなのに、絵になる。シチューと聞いて機嫌が悪そうになったのは気のせいだったか。そう思いながら無言で食べていると、彼は、唐突に口を開いた。
「ナマエは……どんな家庭に育った? ……これは、田舎者のシチューだ」
「悪かったわね、田舎者で」
 どんな悪口だ。予想外の質問に、想定外の悪口で、思わず呆れる。何が言いたいのだろう、この男は。確かに彼は今までも、私や他の人間を田舎者呼ばわりしてきたが……。
「別に、普通よ。田舎の山奥で、豊かではないけどそれなりに暮らしていたわ。けど、そんなつまらない人生はまっぴらだったから、馬の道に行ったのよ。広い世界を、見て回りたかったから」
「……レースに参加した理由と、君が『遺体』を探す理由は?」
「幸せになりたいから。田舎に引きこもっていても、私は幸せになれない。だから、私は手に入れたかったのよ。世界の中にある、幸福を」
 Dioは私には目を向けず、私の作ったシチューを見ている。その瞳は一体、何を思っているのだろう。
「そりゃあ、大層なもんだな」
 小馬鹿にするような響きを持った言葉だった。そして彼は、スプーンを口に運ぶ。
 Dioはそれ以降、何も言わなかった。だから私も、黙ってシチューを口にした。
 私にとっての故郷の味は、Dioにはどう感じられたのだろうと、そんなことを考えながら。


 しばらく、そうして私たちは食事をしていたが――ふと窓の外を見ると、雪がちらちらと降ってきていた。私は思わず食事の手を止め、窓の外を眺める。
「Dio。……雪が降っているわ」
「……そうだな」
 彼はちらりと窓の外を見ただけで、すぐに視線を戻した。だけど私は、窓の外をそのまま眺め続ける。
「私……田舎に住んでいた頃は、雪を見たことがなかったの。暖かい場所だったから」
 Dioにとってはどうなのだろう。彼がどんな人生を生きてきたのか、私には分からない。
 だけど――
「結構悪くないわよ。こうして、あなたとシチューを食べること。静かに、窓の外に降る雪を眺めながら」
 私は自然に、そう思っていた。たとえ、この時間が、いつか失われるものだったとしても。こうして暖かい部屋の中で寒さを凌ぎながら、彼と雪を眺めることは。
「……雪が降ったら、馬の走り方も変わる。それなのに、呑気なもんだな」
 Dioはつまらなそうに言う。……確かに、そうなのかもしれない。
 だけど、構わなかった。この時間はきっと、忘れられない想い出になる。いつか幸せになった、未来の私にとっての。それが私の想う、過去と未来だ。

 そして、Dioは最後の一口を口にした。その瞬間、彼の瞳に憂いが浮かんだように見えたのは、やっぱり気のせいだったのだろうか。
「ナマエ。……オレは、全てを手に入れる――全てだ。レースの勝利の栄光も、遺体も、富と名声も、何もかもな」
「……急にどうしたの?」
「君とオレがこうして手を組むのは、今だけってことさ。……オレが、ナマエの作った、熱いシチューを食べることも」
 そしてDioは肩をすくめる。私のシチューに、彼は何か思うところがあったのか――それは、分からないけど。
「確かに、そうね。私とDio、あなたが手を組むのは今だけの話だわ。……未来の私が幸せになった日、私にとってのあなたは、思い出に過ぎないのだから」
 私にとっても、Dioにとっても、今のこの時間は一時的なものでしかないのだ。
 それでも私たちは、一皿のシチューに郷愁を共有した。それならそれでいいのではないかと、私は静かに思う。
 雪が、私たちを小さな世界に閉じ込めるように、しんしんと降り続いていた。


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