■ぼくと踊ろうよ

※少し鬱

「名前、君の『スタンド』を見せてくれよ」
 ある金曜日の午後、ぼくがそう言うと、彼女はええ? と顔を顰める。
「別にいいけれど……、なんでですか。私がこの『スタンド』をあまり好んでいないことは知っているでしょう」
「単に、ぼくが君の『スタンド』に興味を持っているだけだよ。そこに君の意思は関係ない」
 ぼくが彼女に誠心誠意頼み込むと、名前はしぶしぶ、といった雰囲気だったが、彼女の『スタンド』―――『サーカス』を発現させた。
「見るだけですか? ……それとも、能力を使った方がいいですか?」
 名前が淡々と聞くと、ぼくは勿論後者だ、と答える。『サーカス』の見た目も勿論、スケッチして損はないだろうが……それよりぼくは、この『スタンド』の能力のほうに興味がある。否、ぼくがそれで何を見せられるかに興味がある、と言った方が正しいかもしれない。
「……わかりました」
 名前はため息を一つついたあと、躊躇なく『スタンド』でぼくを殴った。

 刹那、目の前が暗闇に包まれる。


 そして、再び目に入った光景は。

「露伴先生、どうしたんですか? 随分うとうとしていたようですけど」

 ぼくは目を見開く。これが、これが『サーカス』によって見せられている光景だと言うのか?
「全く、無理しないでくださいね。今からコーヒー淹れてきますけど、飲みます?」
 ぼくは何も返事していないのに、目の前にいる女性――『名前』は頷き、にこりと笑って部屋を出ていった。その隙に、ぼくは考える。
 ―――苗字名前の『スタンド』、『サーカス』は、相手に『夢を見せる』……そういう能力だったはずだ。それは、相手が心の底で本当に望んでいるものであり、一度この技を食らってしまえば、本人が『これは夢だ』と強く思い、『目を覚ましたい』と考えるか、名前が解除するまで目が覚めないという……。夢があまりに心地よくて、自らの意志で目を覚ますのは前もって情報を知らないと至難の技らしい。しかし、この光景は。この、光景は。
「先生、コーヒーを淹れてきました」
「―――」
 名前に向かって、これはどういうことだ、と声をかけようとしたが、声が出てこない。それも当然、目の前にいる『名前』に見えているのは『ぼく』であってぼくでないものだし、ぼくが見ている名前も『名前』であって名前でないものなのだ。ぼくが、『ぼく』と外れたことを言おうとしたって、『名前』に聞こえるはずがない。『名前』は『ぼく』の言ったことに返事をする。
「もう、先生は相変わらず意地悪ですね。でも、お仕事頑張ってくださいね」
 ―――これが、ぼくが心の底から望んでいるものである、とでも言いたいのか? こんなの……こんなの、いつも繰り広げられる日常ではないか。ただの知り合いである名前が勝手にぼくの部屋にあがって、ぼくとたまに話をしたり、ぼくの描いた漫画を読んでいったり、勝手にぼくにコーヒーを淹れたり……。ぼくはそれを迷惑には思っていないが、疎ましく思っていたはずだった。それなのに、何故? ぼくが望んでいることは、これなのか?
 ぼくが人知れず混乱していたところ、『名前』はふっ、と微笑んだ。
「もう、先生。それは後でお預けですよ。お仕事終わらせたらしましょう」
 『名前』がなにか言ったらしい『ぼく』に対して言った。『ぼく』は『名前』に何を言ったのだろうか? と一瞬考えたが、それを吹き飛ばす現象が起こった。
「お仕事、頑張ってくださいね。愛しています」
 そう言って、名前はぼくの唇にキスを落とした。

「―――」
「先生、どうでしたか」
 目が覚めると、仏頂面の名前が立っていた。どうやらもう土曜日の朝になってしまったらしい。名前がさすがに遅い、とぼくをそろそろ起こしに来たようだが、ぼくはすぐに答えられなかった。
「今からコーヒー淹れてきますけど、飲みます?」
 夢と同じセリフを吐かれ、返事をすることができなくなる。ぼくが何かを言う前に、名前は部屋から出ていった。
 ―――ぼくが望んでいるのは、普段の日常でもなくて、名前と恋人になることだった、とでも言いたいのか? まさか! そんなわけがないだろう? ぼくが、この岸辺露伴が、たかが十八の小娘を好きになることなんて、あるわけがない!
「先生、コーヒーを淹れてきました」
 名前がぼくの前にコーヒーを置く。ぼくは、ああ、となんとか声を出して、コーヒーを啜った。そしてやっと言う。
「さっき、どうでしたか……って聞いたけれど、君にはぼくの夢が見えたんじゃあなかったか」
「……ええ、見えます。見えてしまうんです」
 名前の仏頂面が崩れることはない。名前の表情が読み取ることができず、内心イラつく。あんな夢を見たと言うのに、名前は何故平静を保てるというのか。こっちも『ヘブンズ・ドアー』を使ってやろうか、と思ったがそれはやめておいた。
「……ぼくの夢を勝手に見ておいて、その夢と重ねるような行動をするなんて、君も趣味が悪いな」
 ぼくが核心的な部分をわざと避けてそう言うと、名前はようやく笑った。
「ええ、……ちょっと嬉しいんです。実は私、露伴先生のこと好きなんですよ。もう知られてるかもしれませんが」
「……。初耳だ」
 ぼくが今日得た経験もまだ処理しきれていないのに、名前から告白されてさらに頭を抱える羽目になる。名前には『ヘブンズ・ドアー』を使ったことがなかったので知らなかった。名前はぼくを好き。ぼくは……名前と恋人になりたがっている? そんな、まさか。
「ねえ、露伴先生。気持ちを確認するような真似をして、ずるいかもしれないけれど……。きちんと告白しますね。私、露伴先生のことが好きなんです。どうか、付き合ってくれませんか?」
 ぼくがどう返事をしたかは覚えていない。だけどそれは、名前にとっては良い結果になったであろうことは覚えている。そうして、ぼくらは恋人同士となった。

 あの日以来、ぼくは名前に『サーカス』を出すことを強要したりはしなかったし、名前も決してぼくの前で『サーカス』を出そうとはしなかった。そしてぼくは『ヘブンズ・ドアー』も名前には使わなかった。二人には必要ない、と思ったのだ。
 恋人になったからと言って、ぼくらはあまり変わらない。時々それらしいことをするだけ。それで、ぼくも名前も、それなりに幸せだったのだろう。

「好きですよ、先生」
「フン、そうか」

 強いて言えば、ぼくらの間に、そう言った会話が増えた。ぼくもそれで充分だったし、彼女もきっと、それで充分だった。それだけだった。


「―――オイ! 露伴! 大丈夫か?」
「無駄だよ仗助くん。露伴先生……、金曜日の午後に訪ねるといつもこうなんだ。明日まで目が覚めないよ。そう決められているみたいなんだ」
「どういうことだァ? 俺頭悪ィーからわかりやすく教えてくれよ、康一」
「名前さん、いたでしょ。露伴先生の、恋人の」
「……」
「…………ああ、いたなァ。俺は話したことはなかったがよォ。露伴に勿体ないくれー美人さんだったよなァ……」
「ぼくは少し話したことがあるんだけど……これは名前さんの『スタンド』能力らしいんだ」
「名前さんの『スタンド』って……確か、相手に夢を見せる、みたいな感じだったよなァ。相手が望むものを見せるみたいな……でも、悪い感じはしねーのに、なんでこんなことに……?」
「逆だよ、仗助くん。名前さんの『スタンド』は……『名前さんが望むものを相手に見せ、洗脳する』能力なんだ……」
「!? 康一、それどういうことだ!? もっとわかりやすく言ってくれよォ!」
「名前さんは、『露伴先生と恋人になりたい』って思っていたらしいよ……。で、名前さんは露伴先生に『スタンド』を見せてくれ、と言われたので、『スタンド』能力を使ってしまったらしい。それで、露伴先生が本当に名前さんを好きかわからないのに、露伴先生は名前さんが好き、と思うようになって、名前さんの告白を受けたみたいなんだ」
「……」
「……」
「名前さん、自分のやってしまったことに後悔していたみたいだった。その時、ぼくは、今が幸せそうだから大丈夫じゃないですか、それに前から露伴先生は名前さんに気があったように見えましたよ、って言ったらありがとう、って笑ってくれたんだけど……」
「ああ、今こんな状態になっちまったら……どうしようもねえな……」
「でも、なんでこうなっちまってんだァ〜? ……名前さん、もう死んじまってるのに」
「億泰、聞いたことねーか? 『本体が死んでも怨念の力でこの世に残り、スタンド能力を使い続けるスタンド』……。俺は今まで出会ったことがなかったがよォ――」
「それが、名前さんのスタンドってことかァ? この世に、怨念で残っている? なーんで、そんなことする必要があったんだよォ?」
「……。……億泰くん、それはきっと……名前さん、自分が死んだことでスタンド能力が解けて、露伴先生が他の女の人を好きになって、自分のことなんか忘れられてしまうかも、って思うのが恐かったんだよ。だから、露伴先生は……名前さんにそっくりな人形……みたいな名前さんの『スタンド』……『サーカス』を金曜日の午後だけ抱き締めて、……『夢を見ている』んだ」
「……じゃあよォ、どうしようもねーのか? 俺の『ザ・ハンド』なら『サーカス』を削り取ることもできるぜェ?」
「億泰よォ―――。それは、やめておいた方がいい。露伴もきっと、望んでいないさ。それより康一。なんで俺たちをここに連れてきたんだ? そっとしておいてやれ、ってオメーなら言うだろ」
「……やっぱり、どうしようもない、か。ちょっと相談してみたらいい案が思い付くかもしれない、って思ったんだけど……やっぱり、そっとしておいた方がいいね。仗助くん、億泰くん、帰ろう」
「……そうだな。もともと、名前さんが死んじまってから、露伴とはロクに話してなかったけど……」
「ったく、ヒデー話だよなァ。……名前さん、あんなに若くて美人さんだったのに、骨一つ残らねーで……。吉良吉影のせいで……」
「億泰、そこら辺でやめておけ。露伴が起きたら大変だぞ。これは、俺たちが首を突っ込むことじゃあねえ、どうしようもねえ……。……帰るぞ」


 どこかから聞こえてきていた、うるさい声がやっと止んだ。
「全く、うるさいやつらだ。どこで誰がぼくらの家の前で騒いでるんだ? まさかクソッタレ仗助じゃあないだろーな」
「まあ露伴先生、いいじゃないですか」
 『名前』は笑って、『ぼく』の隣に座る。その様子を見て、ぼくの心は少し落ち着いた。
「誰かが名前の『スタンド』について話していたような気がするが……。全く、余計なお世話だぜ。名前は自分のスタンドが嫌いだって言うのに」
「嫌いではないですよ、ただ、人の欲望が見えてしまうのが嫌なだけで」
 『名前』がそう言うのを聞いて、『ぼく』は少し間を開けてから聞く。
「ぼくの夢は嫌ではなかったんだろう?」
 『名前』はちょっぴり考えてから、いたずらっぽい笑みを浮かべて囁いた。
「……勿論ですよ、露伴先生。それよりも、私とキスしません?」
「あ、おい、」
 唐突に『名前』が『ぼく』の唇に自らのそれを重ね合わせる。フム、悪くないかもな、と思いながら『ぼく』は『名前』を押し倒した。『名前』は少し驚いた素振りを見せたあと、やがてはにかむように笑うのだった。

 今日もぼくは、夢の中で君と踊る。それは誰にも、邪魔させはしない。


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