■夢と君と

▼ナランチャ誕生日2020

「ん……」
 とぼけた声を漏らしつつ、少年は目を開いた。そして、今まで眠ってしまっていたことに気がついた。
 いつの間に寝てしまっていたのだろう。少しだけ考えてみたが、どうにも頭がぼんやりとしていて、なかなか思い出せない。
 そうだ。そういえば、机の上に突っ伏して、そのままうたた寝してしまっていた。
 だんだんと今の状況を思い出しながら、全身の気だるさを吹き飛ばすように、少年は思いっきり身体を伸ばす。そしてひとつ、大きな欠伸をした。
 そうしているうちに――ナランチャ・ギルガは、自分がさっきまで夢を見ていたことを思い出した。
 それに気がついた途端、思わず自嘲した。
 そういえば、そんなこともあった。だが、あんな昔のことを今になって夢に見るとは、思ってもみなかった――


「あ、ナランチャ、起きた?」
 寝ぼけ眼をこすりながら顔を上げると、よく知る少女が自分の顔を覗き込んできた。
 彼女は、自分と同じチームに属する少女――ナマエ。彼女に気がついて、思わず苦笑してしまった。よりによって、この少女の前で寝てしまっていたとは。なかなか格好のつかないことをしてしまった、と密かに思った。
「どうしたの、何か変な夢でも見た?」
 ひとりで表情を変えるナランチャを見て、彼女は不思議そうな顔を見せた。しかしナランチャは、はぐらかすように適当に答えた。
「別に、何でもね―よ」
「ふーん? 今日はあなたの誕生日だっていうのに、ずいぶんのんびりとしてるんだね」
「だから、何でもないってばァ――」
 ナマエには隠すようにこう言いつつも、彼は思い返していた。
 そうだ、あれは、あの夢は、ずっと昔の話だ――


 誕生日。そうだ、確かに自分は、誕生日の夢を見ていた。しかも、昔の誕生日の夢。
 あれは、自分の母親が、まだ健康に存命していた頃の夢だった。
 夢の中の自分は、自分自身の未来のことなど何も知らず、ただただ幸せそうに笑っていた。
 確かそれは、一緒に通っている小学校の友人に囲まれて、自分の誕生日会を開かれていた夢だった。たくさんの笑顔に囲まれて、プレゼントもたくさんもらって。
 そして、母親からも、愛のこもったプレゼントをもらっていた――そんな夢だった気がする。
 だが、もはや詳細を思い出すことはできない。ただ、そんな夢を見たな、と思った程度であった。


 もはや、ほとんど思い起こすことのなかった淡い記憶を、何故今になって思い出すのだろう。ナランチャは少し不服な気持ちになって、内心舌を尖らせる。
 今思えば、あの頃の友人たちのことを、もうほとんど思い出せない。
 あれから、母親が病気になり、死亡して、やがてナランチャは学校に行かなくなった。非行少年たちとつるむようになって以降、学校に通っていた頃の友人たちとは、ほとんど連絡をとらなくなってしまった。
 彼らも、自分の誕生日を祝ってくれるくらいの仲だったはずなのに。既に、顔も名前も、ほとんど朧げだ。
 ――誕生日おめでとう、ナランチャ!
 それでも、もはや誰のものかもわからない声が頭に反響する。その中にはかすかに、彼の母親のものもある気がした。
 そして、こうして思い起こしていると――ふと、一人変わった子がいたな、と思い出した。
 確か、誕生日プレゼントに、なんだか不思議なものをもらった気がする。普通友人にあげるようなものではない、何かを。
 ――はい、ナランチャ! 私からは、これをあげる!
 あの頃の自分は、とにかく不思議に思ったのと同時に不満に思って、文句の一つでも言ったのだろう。
 だが、もう何をもらったのかも覚えていない。それはとっくに破棄してしまったのだろう。その品自体はとっくの昔にもうないはずだ。
 それでも、どこか印象に残る少女であった。顔も名前も、全く思い出せないが。
 しかし――本当に、どうして今更こんなことを思い出すのであろう。彼女のことを考えると、何か不思議な気分になる。まるで、まるで、彼女が今でも近くにいるような――


「そんなことも、あったっけなあ……」
 ナランチャは、ぼんやりと呟く。ナマエは不思議そうな顔をしていたが、ナランチャは何でもないと言ってごまかした。
「それよりナランチャ、そろそろ行かない? みんな待ってると思うよ、今日はあなたの誕生日なんだし」
 ナマエは気にした様子を見せず、明るく言った。それに対し、ナランチャも笑みを浮かべて応える。
「あー、そっか。うん、そうだよな」
 自分の誕生日を祝うために、みんなが集まってくれているのだ。それを自覚すると、素直に嬉しいと思えた。それと同時に、こんなところで時間を食っていないで、早く行くべきだったと後悔する。
 そして――こうも感じていた。
「なあ、ナマエ」
「ん?」
 ナランチャはナマエに、何か不思議な感覚を覚え始めていた。否、少し前から、そう思っていたのかもしれない――

「その……前に、どっかで会ったことないか? たとえば、そう、すごくちっちゃい時とかにさァ――」
 ナランチャは、首をかしげながら彼女のことを見つめた。以前から彼女のことは少し気になっていたのだが、今日に限って何故か、それが色濃く感じられた。
 ナマエは彼の言葉に対し、少しだけ黙っていた。そして、彼女は少し考える素振りを見せる。
 ナランチャはじれったそうに、ナマエのことを見つめていた。
「どうだろうね、もしかしたら私、あなたのこと昔から知ってたのかもね。例えば、ずっと昔からあなたに片思いしてたとか、さ」
 彼女はやがて、思わせぶるようにこう答えた。ナランチャは眉をひそめ、すかさず彼女に尋ねる。
「んん? それどういうことだよ、ナマエ」
「さあね。それより、みんなもう待ってるよ? 早く行こう」
 それでも、彼女がその質問に答えることはなかった。ナランチャは不服そうに、顔を顰める。何故、わざわざそのような言い回しをするものだろうか。
 ナランチャのそんな様子を見ても、ナマエはおかしそうに笑うだけであった。

「んー……」
 ナランチャは考える。昔からの知り合いに、彼女のような人がいただろうか。少なくとも、学校をやめてからの非行少年たちの集まりに、彼女のような影はなかったはずだが。
 とすると、小学校の頃の知り合い? しかし、彼女のような友人が、昔の自分にはいたか。そもそも、昔の自分の周りの子どもたちに、ギャングになるような人間なんていただろうか。考えれば考えるほど、謎が深まってきて、わけがわからなくなってくる。
「もう、そんなにじろじろ見なくたっていいじゃない!」
 考え込むナランチャに、ナマエは少しだけ怒った風に言ったが、楽しそうでもあった。
 だからナランチャも、首を傾げながらも、笑いながら頷いた。
「……ま、そうだな」
 彼女とどこかで会っていようと会っていなかろうと、とにかく今の自分には、自分の記念日を祝ってくれる仲間がいる。もちろん、彼女も含めて。
 それならば今はそれでいいか、と、ナランチャはそう思うのであった。


 ナマエからのプレゼントは、ある意味意外なものであった。
「えッ! いいのかよ、こんなものもらって」
 彼の手にあるのは、音楽を聴くのにいかにも適していそうなヘッドフォン。この間買ったヘッドフォンは早々に音が鳴らなくなってしまったが(不良品を買わされたのだと思っていたが)まさか、この間買ったものよりも良いものをナマエがくれるとは。正直、意外に思うところがあった。
「いいの! 『今回』は喜んでもらえたみたいだし、それだけで十分なんだから」
 そうやって笑う、ナマエの笑顔。そんな彼女の表情に、ちょっとした懐かしさのようなものを感じた。
 それが何なのかは薄々わかってきたけれど、今は深く気にしなくても良いような気がした。

 たまには過去のことを思い出すのも、結構悪くないな。
 どこかでそう思いながら、少年は仲間たちと楽しそうに笑うのであった。


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