■流れ落つ人生

※岸辺露伴は動かない『六壁坂』要素あり/特殊設定

「わたしに身を捧げてくれるね? ナマエ」
 今、私の目の前にいるのは――神のような人。否、もしかしたら人ではないのかもしれない。
 ただ、彼が何者であれ、彼をひと目見た時に私は確信した。
 私はこの人に出会うために、この人の役に立つために――妖怪の子として生まれたのだと。それが紛れもない真実なのだと、漠然と感じていた。
「……はい」
 紅の瞳に見つめられて、意識が朦朧とするような甘さに酔いながらも、躊躇なく返事をする。
 この瞬間、私はもうすぐ死ぬことがわかっていたのだろう。
 全てを見透かすような、妖艶な瞳に見つめられながら――私は、これまでの人生を一瞬で振り返った。それは実質、走馬灯であった。


 私が自分の出自を知ったのは、十五の時。それまで私は、自分が母と信じる人と、自分が父と信じる人が愛し合った結果、生まれた子であると疑っていなかった。
 それが真実でないことに気がついたのは、母が毎朝、家族の目に触れないように屋根裏へ向かっていることに、ひょんなことから気がついた時だ。
 屋根裏の存在は、父は知らないようであった。そして母も、朝の決まった時間にしか行っていないようだった。
 好奇心で私は、母にも父にも見つからない機会を伺い、屋根裏へと行った。行ってしまった。
 そこにあったのは――血が流れ続ける、死体だった。しかもその顔には、どこか私の顔に似た面影があった。

 私は知ってしまった。この妖怪は、死後何年が経っても血を流し続ける存在であると。何があっても血が止まることはない存在であると。ずっと、母に世話されながら、ひたすら死に続けている存在であるということを。そしてこの妖怪こそが、私と血の繋がった父親であるのだと――
 それを知ってから私は、妖怪の子として生まれた意味を、ずっと探し続けていた。時には日本を飛び出し、海外へ宛もなく行くこともあった。
 あれから数年――私は、出会った。私が生まれてきた意味だと直感することのできる、強く、絶対的な存在に。
 私が自分の人生の全てを委ねたいと思える、大きく美しき存在に――


 私が目の前の存在に身を捧げる。それは、彼に私の血を捧げるということになる。
 私は確信している。死後、血を流し続ける男の血を引く私は、死後、永遠に血を流し続ける。全ての生命反応が終わった後も、私は血を流しながら、永遠に死に続ける。
 そして、それが発動する時は、私がその人と決めた人の前で死ぬ時だ。もっと言うなら、限りなく事故に近い形で、限りなく殺人に近い形で、自死する時だ――

「DIO様」
 私はその人の名を呼んだ。
 どうすればその人の前で、自然に死ぬことが出来るのか。
 その人の視線があまりに艶やかで、それだけで死んでしまいそうだと思う。
 金の髪も、紅の瞳も、白の牙も――全てが美しく、それが人ならざるものであることがひしひしと感ぜられた。
 そして私は、これから起こることに対し、心震えた。私は今から、この人のものになるし――この人は今から、私のものになるのだ。

「ナマエ、こっちへ来てみろ」
 甘い言葉に囁かれ、私はふらふらとその人に近付いた。
 そして、跪くように見せかけながら――少し、ふらついたようなふりをする。彼との距離が、不意に近づいた。
 それから、その人の身体を、急に軽く押した。彼は一瞬だけでも驚いたのか、反射的に手を払うような素振りを見せる――
 それだけで、十分だった。その人の手は、私の身体に触れるが、たまたま、当たりどころが悪かったのか――私は急に押される形となる。身体がぐらついた。
 頭に、激痛が走った。何故か足元に、何か無機物があったらしい。だが、そんなことはもうどうでもいい。
 ただ私は、もうすぐ死ねることを確信した。
 そして、私が彼のものとなり、彼も私のものになることも確信した――これまでにないほどの幸福感を得ながら、満足感に包まれながら、私は意識を手放した。


「なるほどな……」
 DIOは女の死体を眺めながら思案する。女は何故かそこにあった置物に頭をぶつけ、既にピクリとも動かなくなっていた。
 しかし、どういったわけか――彼女の頭からは、延々と血液だけが流れ続けていた。かなりの時間が経っても、止まる気配は一向に見られなかった。
 DIOは女から吸血する気ではいたが、このように殺すつもりは無かった。傍から見れば殺人のように見えるし、こちらから見れば完全に事故である。しかし、彼女の側から見れば――これは、彼女自身が望んだ死。自殺なのだろう。
「この調子だと……永遠に、この女の血液が尽きることはないのだろうな。それこそが、この存在の生きる意味、といったところか?」
 DIOは興味深そうに女のことを観察する。この女のことを助けようとする意志はもとより欠片も存在していない。ただ、少しばかし好奇心に駆られていた。
「罪悪感と弱みに漬け込み、人間の情を利用して取り憑く……おおかた、そういった存在なのだろうな」
 得体の知れない存在への恐怖と、殺すつもりもなかったのに死なせた罪悪感。そのような心の弱さから、自分自身の世話をさせ、あわよくば愛情を抱かせる。更には、自分の子を作らせ、子孫に繋げていく――これは、そういったものであろう。
 全く恐ろしい存在だ、とDIOは半ば呆れたような顔を見せた。

「だが」
 しかしDIOは、女の呪いとも呼ぶべき執念を一蹴した。延々と流れ続ける彼女の血液に、彼は見向きもしなかった。
「わたしは既に、人間を超越した存在だ」
 人間の弱さに取り憑く存在は、人間でないものには取り憑けないものだろうか。また、弱さを見せない存在なら、人間であったとしても取り憑くことはできないのだろうか。
 少なくとも彼女は、DIOに対しては取り憑くことは出来なかったのだろう。DIOは嗤いながら、女のことを見下した。
「わたしはおまえなどに、ほんのちょっぴりでも『恐怖』など持たんッ!」
 食糧として女を適当に見繕ったと思ったら、まさかこんな奇妙な存在だったとは。そう思いつつも、DIOは女の思い通りになってやる気は欠片もなかった。
「フン……だが、そうだな。安定して血液を得ることができるのは悪くないかもしれん。おれの血を与えた部下たちの食糧とするのは良いかもなァ。さながら、ドリンクバー飲み放題といった所だろうか。フハハハハ」
 DIOは女の頭を軽く踏みつけた。流れ出る血の量が若干増えたが、もはや人の世に生きていないDIOにとって、流れ出る血は隠すべきことでもなかったし、興味もなかった。
 そしてDIOは、部下に女の処理を任せた。部下は何の因果か、館の奥の方にある屋根裏部屋に女の死体を隠した。安定して血液を得ることができることが、屍生人である部下の一部に気に入られたらしく、死体は処分しないことにしたらしい。
 それを知ったDIOはそれから、ナマエには興味を失った。
 興味を失ったように見えていた。


 それからもDIOが、ナマエの血を吸うことはなかったが――時折、屋根裏部屋に向かっていくDIOが目撃されたという。
 部下の中では、何だかんだ気に入ったのではなかろうか、と噂されたこともあったが、真実はDIOの他に知るものは誰もいなかった。
 それからしばらく経った頃。
 屋根裏から、得体のしれない泣き声のようなものが聞こえる、と部下の中で噂が流れたこともあって、女はDIOの部下から気味悪がられた。彼らはやがて、ナマエのことを遠ざけるようになり――いつしか、ナマエのことを覚えている存在は、いなくなっていった。
 そんな中でも、ナマエはただ、何も感じず、何もすることなく――永遠に、血液を流し続けていた。


 やがて、DIOがジョースター一行に討たれた後のこと――館には、ナマエの死体がどこにもなくなっていた。
 彼女の人生に結局何の意味があったのか、それを知る者はどこにもいなくなっていた。否、それどころか、彼女の存在を知る者すら、もうどこにもいなかった。
 自らが神だと信じた悪魔に身を捧げた女は――確かに、その男の人生に利用された。その事実を知る者も、どこにもいない。
 彼女にとっての真実も、彼にとっての真実も、全てが暗闇に消えた。そして残ったのは――ひとかけらの、深い闇のみ。
 今も流れ出る彼女の血液の中で、確かに何かが蠢いた。


- ナノ -