■時を彷徨うジャック・オ・ランタン

▼ハロウィンネタ

「『世界』――時よ止まれ」
 太陽が全く見えない、真っ暗な夜空の下。
 DIOと名乗る男は、自分のスタンド能力を試していた。
 その名の通り「世界」を治めるほどの、恐ろしい能力――「時を止める」という能力のことを。
 しかし、一瞬だけだ。まだ、瞬きの時間にも満たないほどの、短い時間しか止めることができなかった。
「これでは、弾丸を止めるくらいにしかならないではないか。最も、時なんか止めなくても弾丸くらいどうってことはないが」
 DIOは思案する。自分の脳力は、これからどれほど伸びていくのだろうかと。
「やはり、首のキズがもう少し馴染まぬと、スタンド能力も満足に発揮できないか……もっと多くの食料を持ってこさせる必要があるな」
 彼はこう言いつつも、自分のカリスマに惹きつけられて食料になることを希望する者は既に多くいると、知っていた。
 しかし、まだ足りないことも知っていたのだ。
 もっと長い時間を止められるようになって――『宿敵』と呼ぶべき血筋の者たちを、難なく退けられるようになる必要がある。
 ほんの少しでも自分にとっての恐怖になる可能性のある存在は、自分の運命から排除しなければならないのだから。

「DIO様」
 ――誰だ?
 そうしているとDIOは突然、見知らぬ女に声をかけられた。彼は女のことを一瞥したが、自分の部下にはこんな女がいた記憶はない、と訝しむ。だが、どこかで会ったことはあるかもしれないとも思い、やや不思議に思った。
 ――何だ、この女は。このDIOの力になりたいスタンド使いか、それとも食料候補か。はたまた敵だろうか?
 彼は訝しみつつも、彼女の素性をどう聞き出そうかと思い、少しの間思案する。しかしそうしている間に、女は自分から口を開いた。
「ハッピーハロウィン、ですが、お菓子をもらう気もいたずらをする気もありません。わたしは、あなたの食料になりに来ました。だけどその前に――わたしのわがままを、聞いてくれませんか?」
「わがまま? そうだな、君が――わたしだけの力になってくれるというのなら、わたしは君の望みを叶えてあげよう」
 そう言えば今日は十月三十一日だったか。そう思ったのもつかの間、DIOはすぐに女に優しく語りかけた。くらくらするほど、とびきり甘い声で。
 彼は自分の魅力を知っていた。甘い声で語りかけた相手を、自分の虜にすることなんて簡単なことだった。そのためには、自分が訝っているということをあえて表に出す必要はなかった。
「…………」
 DIOの言葉に、女の表情が少しだけ変化した。DIOはやや楽しそうに、彼女の次の言葉を待つ。
 やがて女は顔をあげ――決心したように、DIOのことを見つめた。
「では――わたしと共に、一日を過ごしてください。一日だけで良いのです」
 突拍子もなく感じられる、女の言葉。しかし、DIOはその言葉には即座に対応できなかった。
 何故なら、彼女がそう言った途端――
 『時が止まった』からだ。
 誰も、彼も、何もかも動かなくなって――動いているのは女とDIOの二人だけになった。


「何……だ、この世界は」
 口では疑問を言いつつも、DIOは体感的に理解していた。
 これはまさしく、自分のスタンド『世界』で作り出されるのと同様――時の止まった世界だ。
 しかし。
「一秒……二秒……三秒……」
 何秒経っても、時が動き出す素振りは見受けられない。
 ありえないほど静かな世界で、蝿一匹すら動かず、風も完全に止まっている――
「この、世界は……」
 自分が止められるのは、一秒にも満たない時間でしかないのに――目の前の女は既に、悠々と十秒は止めている。この調子だと、まだまだ余裕を持って、彼女は時を止めていられるのだろう。
「DIO様。わたしはあなたと共に、一日を過ごしたいのです。――わたし達以外の全ての時間が止まった、この世界で」
 女は特別感情を込めず、淡々と言った。
 その様子に――人間の上に立ち、『世界』を股にかける能力を持った、全てを超越すべき存在になったはずの自分の背筋が――思わず、ゾッとするのを感じた。
 DIOは女のことを、ただの人間だと思っていた。仮にスタンド使いであったとしても、結局は食物連鎖の下に立つ存在だと。
 しかし、DIOはその考えを改める必要性があった。時間を丸一日も止められる能力なんて、人間の精神力でできるものなのだろうか?
 自分をも超える、化け物なのではないだいだろうか?
 もしかしたら、この女は乗り越えるべき『恐怖』になるのかもしれない。
 そんな存在に、自分はどう向かうべきなのだろうか。

 DIOは女に、色々聞きたいことはあった。
 だが、一番最初に彼の口から飛び出たのは、こんな一言であった。
「おまえ、オレとどこかで会ったことないか」
 DIOが聞くと、女は俯き、少し間を開けてからこう言った。
「さあ。ただ、名前だけは言いましょう。わたしはナマエ」
「……ナマエ」
 DIOがその名を呼ぶと、ナマエはそこで、少し嬉しそうに笑う。そこでDIOは、どうしようもない違和感を覚えた。
 ずっと、ずっと昔、この女と同じ笑顔を見たような。
 それはもしかして、百年前に『DIO』の前に現れた女の姿か、
 それとももっと前、少年だった頃、近い境遇にあった少女の姿か――
 やはり、どこかで見たことような気がすると思ってしまう。
 しかしその面影は、霞がかかったようにおぼろげで、何も思い出せなかった。


「しかし、不思議なものだな。時の止まった世界に――わたしも入れるとは。このDIOが時を止めていられるのは、ほんの一瞬だけなのに。普通は、このわたしは、せいぜいおまえが作った世界に入門したところで、せいぜい一瞬しか動けないだろう」
「わたしの能力は、DIO様のものとは少し違うんですよ。まあ、わたしの作り出す時の止まった世界に入門して、一緒に動いていられるのは、DIO様くらいでしょうけど」
「……ナマエ、きさま、どこでわたしの名を知ったんだ? というかそもそも、わたしの能力をどこで知ったんだ」
「それは内緒です」
「その能力は『スタンド』なのか?」
「多分、スタンドではないと思います。……怨念みたいのものですかね」
 この『女』を、全力で叩き潰さなければならないのかもしれない――と、DIOは最初、そう思っていた。しかし、そうではなかった。
 DIO自身、自分でも不思議に思っていたが――彼女と話しているうち、なんと自分の心境が変化していくのだ。
「ねえ、DIO様……。『ナマエ』という名前に、覚えはありませんか?」
「ナマエ。……聞いたことがある気がする。呼んだこともある気がする。その瞳も、よく見たことがある気がする……。だが、思い出せない。一体、おまえは――」
 気がついたら、彼女と延々と語り明かしていた。自分でも何を語っているのか、それすらわからなくなってくる。
 ただ――こんな思いになったのは、『心が安らぐ』ような錯覚を覚えたのは――遠い、遠い昔に一度あったきりのような、そんな気がした。
 地獄のような日々を暮らしながらも、確かにあった、一時のやすらぎのような――そんな幻覚。
 自分でも驚くべきことだが――DIOは、この『脅威』になる可能性がある女の前で、戦おうとも潰そうともせず、ただただ、長い時を過ごしたのだ。
 誰も動かない、何も聞こえない、永遠に続く夜空の下。
 二人はただ、ずっと語り合っていた。


「習慣付けというのは恐ろしいものだな。『時の止まった世界』というのに入っているというのに、ある程度時間がやってくると眠りたくなる。太陽が出ている時間は、わたしはずっと眠っているからな――ナマエ、おまえはわたしの近くにいるといい」
「……わたしが、DIO様の寝首をかくとは考えないのですか?」
 館の部屋の寝床についたDIOの顔を、ナマエは、不思議そうに覗き込む。そんな彼女に、DIOは薄く笑って応えた。
「フン。普段なら意味もなく、自分の側に見知らぬ女なんか置かない――自分でもどうかしたかと思う。だが――おまえなら、一日くらい、側に置いても良いんじゃあないかと、そう思うのだよ」
 DIOの言葉に、ナマエは嬉しそうに顔を綻ばせる。しかしその顔は安らかなようで、少し悲しそうでもあった。
「じゃあ、DIO様……。もうひとつ、わがままを言っても良いですか」
「言ってみろ」
 彼は不敵に笑ってみせる。そんな彼に、ナマエは少し、言いにくそうに言った。
「一回だけ……。今日一日だけで良いのです。わたしと、一緒になってください」
 何を考えているのか、何を思っているのか――上手く読み取れない、ナマエの瞳。
 それを見つめて、DIOはひとつ、小さく吐息を漏らした。
 そして彼は、薄く口角を上げて、彼女にそっと手を伸ばした。


 気がついたらDIOは、夢を見ていた。
 これは、本当にこのDIO自身が見ている夢なのだろうか。夢の中でもまた夢を見ているような、そんな奇妙な錯覚に囚われる。
 ただ、ある少女の笑顔だけは、はっきりと見えた。薄汚れた世界、汚らしい父親からの暴力、母親から受けた僅かな温かみ、そして彼女の笑顔。
 そうだ、あのとき、自分が人間をやめた頃。その少女は既に死んでいたと聞いたとき――ただの気まぐれだったのか一時の激情なのか、はたまた何か思うところがあってのことなのか――彼は、自分の血によって彼女のことを蘇らせた。しかし彼女はその後、忌むべき屍生人として頭を叩き潰され、そして死んだ――
 何故、何故忘れていたのだろう。百年という時は、それほど長い時だったのだろうか。
 それとも、最初から覚える気などなかったのだろうか。全てが気まぐれで、偶然に起きたことだったのだろうか。
 だがそれでも、今なら確信できる。「覚えている」と、そう言うことができる。
 そうだ、その少女の名前は――


 目覚めると、乱れた髪を手ぐしで整えようとする女――ナマエの姿があった。
 時の止まった世界では、厳密にどれくらい経ったとは断定できないが――体感では、彼女がここにやってきてから、そろそろ『二十四時間』経つのではないかと、そう思える。実際は時は止まっているので、一時の時間も経っていないはずだが。
 ともかく、眠りにつく前に触れた彼女のぬくもりがただの夢だったのではないかと、そっと手を伸ばしてみると、彼女の感触が手に伝わった。
 ナマエは幻影ではなかった。彼女は確かに、この世に存在していた。
 ただし彼女の肌に温かみはなくて、冷たかった。
 しかし、それは吸血鬼たる自分も同じだったので、何も思わなかった。

「ジャック・オ・ランタンって知っていますか?」
 彼女は目を合わせようとせず、背を向けたまま独り言のように呟く。その背中はどうも小さく、か弱いもののように見えた。
「わたしはそんな存在なんです。地獄に落ちることもできないけれど、天国にもいけない――わたしはかつて、悪魔と契約を交わしました。一度は死んだけれど、死なない身体になった――だけど、わたしはもう一度死んだ。頭を叩き潰されたら、わたしは死なないわけにはいかなかった」
 DIOは何も言わなかった。ただ、ほんの少しだけ、昔のことを思い返していた。
「覚えていませんか、ディオ様」
 ああ、覚えている。思い出したんだ。
 百年前の自分が、心の中で囁いたのがわかる。だが、それでも彼は何も言わない。ただ、ナマエの言葉の続きを待つ。
「わたしはジャック・オ・ランタンなんです。あなたの血を受けて、生き返り、やがて死んだ存在は、天国にも地獄にも行けなくなる。そして、現世をさまよい続けるのです。そして、ハロウィンの日に、ようやくわたしは舞い戻ってこれました。……あなたに会うために。百年を越えて、やっと見つけました。やっと、あなたに会えました」
「……ああ」
 DIOは頷いて、ナマエの髪にそっと触れた。その表情には、わずかに憂いが混じっているようにも見える。
 だがナマエは、彼に触れられてほっとしたのか、固くなっていた表情を綻ばせた。

「ああ、ナマエ――わたしも、この時の止まった世界で、お前と共にあることを、望んでいた気がする」
 物憂げに薄く笑うDIOの言葉。彼女は彼の言葉を聞いて嬉しそうに笑ったが、しかしふと目をそらした。
「DIO様、わたしがさっき、最初にあなたにわがままを言う前に、何を言ったか覚えていますか」
 彼は彼女の言葉を思い返した。思い出せなかった彼女のことでも、今度ははっきり思い出すことができた。
『あなたの食料になりに来ました』
 それを思い返しても、DIOは特に彼女に声をかけようとはしなかった。ただ、ほんの少しだけ、彼は表情を歪めた。
「わたしは悪魔との契約により、死ぬに死ねない存在になりました。天国にも地獄にも行けない存在になってしまいました。『ジャック・オ・ランタン』になってしまいました――それをもとに戻せるのは、契約者たる悪魔、あなただけ」
 彼女は振り返り、DIOの顔をじっと見つめる。DIOはそれを、そっと見下ろした。
「DIO様。わたしを、天国でも地獄でも良い、とにかく安寧な所に連れて行ってください。あなたが殺してくれれば、わたしはもうジャック・オ・ランタンではなくなる、そうして、わたしの血を受け取ってください。わたしの血は、きっと、他の者とは違います」
 DIOは、冷静なまま――彼女の首筋に触れた。そして、彼女の血を吸い上げる。
「ああ」
 彼女は、血を吸われつつも――どこか、恍惚とした表情でDIOのことを見上げる。
 DIOは、彼女の血を自分のものとしながら、ナマエのことをじっと見下ろした。
「やっぱり、あなたに会えて、本当に良かった」
 ナマエは最期に微笑み、そしてこう言った。その微笑みは、やはり、はるか昔に見たものと同じであった。

「ナマエ。……わたしはいつか、天国に到達する。その際は――できることなら、ナマエ――ジャック・オ・ランタンのことも、一緒に連れて行ってやろう」
 DIOは果てた女の遺体を置いて、軽く呟いた。そして、周りをゆっくりと見渡す。
 能力の持ち主が『死んだ』ことで、『時の止まった世界』は、崩れ去ることとなる。その時は、もう近づいていた。
「時は、動き出す」
 彼の声を皮切りに、世界は動き出す。
 『二十四時間前』と全く変わらない、夜空、風の動き。彼女だけがいたはずの静かな世界は、既にどこにもなかった。
 彼女の姿は、もうどこにもなかった。


 気がついたら、館の部屋でDIOは少し眠っていたようだった。
「……!?」
 眠りから覚めた彼は、ひどくうろたえながら辺りを見回した。自分が何をしていたのか、一瞬わからなくなる。
 ただ、一つ――わかっていることはあった。
 彼女が存在した痕跡は、既にどこにもないのだと。
「夢……だったのか? このDIOが、あんな夢を見ただと? ……しかし、確実に現実で『一日』を過ごしたという実感だけは、残っている……ならば、もしかしたら――何らかの力に幻想を見せられたのかもしれん」
 ほんの少しだけ、喪失感のようなものが彼の心にはびこる。
 長いような、短いような、そんな実感。
 しかし、たしかに一日を過ごした、という体感があった。
「あれが幻想だというのなら……今日は、十一月一日になっているはずだ。おれが一日を過ごしたということだけは、確実なのだからな」
 DIOは頭を抱えながら、寝床から身体を起こす。
 なんだか頭が重いような気がしたが、自分は吸血鬼なのだからありえないと思い、気にしないようにした。

「DIO様。……お目覚めでしたか」
 ふと、廊下に出てみたところで――たまたま館の執事、テレンスが通りかかった。DIOはそれを確認して、ひとこと、彼に問う。
「おいテレンス、今日の年月を言ってみろ」
「ええと、十月三十一日ですが……」
「そうか」
 その答えを聴いて、DIOはひそかに、彼にしかわからない納得をしていた。
 確かに丸一日、時は止まっていた。十月三十一日という時間を、自分は彼女と共に過ごしたのだ。

 死者であるはずの彼女は、確かにやってきた。
 一瞬でもあり、丸一日という『止まった時間』の間、彼女は確実に、そこにいた。
 自分と、たった二人だけで。


 次の日――DIOはまた、自分のスタンド能力を試していた。
 自分の力がどれだけ、伸びるのか、それを見極めるために。
「『世界』――時よ止まれ」
 今までだったら、瞬きほどの時間をか止めることができていなかった。いずれ伸びていくにしろ、いきなりグンと伸びることはそうないだろうと思っていた――そのときだった。
「!」
 DIOは、完全に静止した世界に、確実に入門していた。
 蝿も風も、何一つ動くものはない。
 『昨日』一日中いた世界と、全く変わらない世界。あえていうのなら、彼女だけがいなくなった世界――
 そんな世界に――確実に、瞬き以上の時を過ごせるようになっていた。
「……二秒……経過。時は動き出す」
 たった一瞬から、いきなり二秒ほど伸ばすことができた。それに、ささやかな興奮で血が騒ぐのを感じる。
「夢じゃあ、なかったようだな」
 彼女の――不思議な能力の所以か。彼女の、死んだはずのものの血を吸ったためか。今となっては、もう何もわからない。
 だがDIOは――確かに、満足そうに笑った。
 手の中に、何かを収めながら。

「これが死者が戻ってくるハロウィンというやつか。……フン。なかなか、悪くないかもしれんな」
 既に朧げになっている記憶を手繰り寄せながら、世界の頂点に立つべき男は愉快そうに口角を上げた。
 いつか『世界』を手中に収めたら、また彼女に会えるのではないかと――そう思いながら。


- ナノ -