■十六回目の特別な日

※1999年5月20日が舞台。アバッキオ、ミスタ、ジョルノはチームに未加入なので不在
※1999年当時のイタリアの法律では、16歳から飲酒が可能だったそうです

 一九九九年五月二十日。
 この日が来るのを、この日が特別な意味を持つ日であることを知ってから、私はずっと待っていた。
 彼の口から、特別な意味であることを聞いたときから、ずっと。
 そう、今日は――
 私の大切な人の、私のチームの仲間の、私の大好きな恋人の――ナランチャ・ギルガの、十六回目の誕生日だ。


「フーゴ、ブチャラティ、準備は良い?」
 飾り付けされたアジトの中。私は、私とナランチャと同じチームの仲間である、ブチャラティとフーゴに声を掛けた。
 いつもより元気良く話す私に、フーゴは呆れたようにため息をつく。
「……張り切ってますね、ナマエ」
「当然でしょ」
 そんなフーゴにも、私は鼻歌交じりで、彼の苦笑を跳ね除けた。それくらい、今日の私は機嫌が良かった。
「昨日まで十五歳だった、大好きな人が、十六歳になる特別な日だもの。気合だって入るもんだわ」
 そう――ナランチャと出会い、付き合うようになってから、初めての彼の誕生日なのだから。
「そういうもんですかね」
 それでもフーゴは、いまいちピンと来ていないようで、首を傾げる。そんなフーゴに、ブチャラティは言った。
「まあ、いいじゃあないか」
「ブチャラティ」
 私たちの様子を遠目で見ていたブチャラティは、今日はどこか、いつもよりも穏やかに見えた。
「一年に一度の、特別な日だ――こういう日こそ、羽を伸ばすのも大事だろう」
「それは、まあ……そうですね」
 ブチャラティの言葉に、フーゴは頷いて言った。神妙な顔をしているフーゴだったが、どこか、この特別な日のことを嬉しく思っているようにも見えた。

 そんな二人の前で、私はウキウキ気分で言う。
「良い? ナランチャがドアを開けて入ってきたら、一斉に言うのよ」
「? 何をです」
 不思議そうな顔をして、フーゴは私に聞く。ブチャラティも同じような顔をしていた。そんな二人に、今度は私が肩をすくめて笑う。
「何をって、決まっているでしょ。ナランチャが入ってきたら、私がせーのって言うからね、そのときにブチャラティとフーゴは――」
 ――声を合わせて、『誕生日おめでとう』って言うの!
 そうやって、私はブチャラティとフーゴに、一番肝心なことを伝えようとした。だけど――伝えることはできなかった。
 何故なら。
「おはよー……っておわッ! 何だこりゃあ、この飾り付けはよッ」
 いきなり扉が開き、予想以上に早く本日の主役が顔を出してしまったからだ。
 十六歳となったナランチャ・ギルガは――目をパチクリさせて、飾り付けされた部屋内を見ていた。

「わ、ナランチャ!」
 これにはさすがに、上機嫌だった私もまいった。あまりにも予想外の出来事に、思わず慌てふためいてしまったのだ。
「えと、ほらブチャラティ! それにフーゴも……せーの!」
 いきなりで、合わせられるかどうかはわからない。ブチャラティにもフーゴにも、私は肝心なことを伝えることができていない。
 それでも、半分ヤケになって、私は叫ぶように言った。それには、『絶対に合わせて言うことができる』という、確信めいたものがあった。
「誕生日おめでとう、ナランチャ!」
 三人分の声が、一斉にナランチャに向かう。
 ブチャラティもフーゴも、私に声を合わせてこう言ってくれたのだ。
 突然だったので、少しバラつきは出てしまった。だけど、きっとみんな、気持ちは同じだろう。
 ナランチャの誕生日を心から祝いたいという、この気持ちは。

 私たちの大声に、ナランチャはしばらく、呆気にとたれたようにぽかんとしていた。
 それにともない、少しの間、急に沈黙が流れる。ナランチャは、やや不思議そうな顔をして固まってしまっているが、それでも私たちは、ナランチャの言葉を待つしかない。
 ――失敗したか?
 不意に、不安に心が襲われた。ナランチャにとっては気に入らなかったのかも、と思う。
 数秒後、沈黙が痛くなってきたところで――ナランチャはぽつりと、首を傾げながら言葉を漏らした。
「えっとよォ、今日って、もしかして、五月二十日?」
「そ、そうだよ……?」
 もしかして間違えて覚えていただろうか、と不安になったのもつかの間――ナランチャは、驚きと喜びが混じり合ったような顔で、かなり嬉しそうに叫んだ。
「マ、マジかよォ――ッ! すっかり忘れてたぜッ! そっか、オレ、今日誕生日だったのかー、なんだあッ。急に叫ばれたから、ビックリしちまったぜ」
 ナランチャは心底嬉しそうに、鼻歌でも歌い出しそうな顔でニコニコしている。
 その顔を見て――不安に駆られていた私の心はやっと、安堵に包まれた。

 そしてこの気持ちは、フーゴも同じだったようだ。彼も気が抜けたようにため息を吐いて、呟く。
 どうやら、怒る気力もないみたいだ。
「ナランチャ、君、自分の誕生日も覚えていないんですか……」
「あッフーゴてめー、人をバカにする態度とんなよなァ――ッ! オレの方が歳上なんだからなッ」
 フーゴが漏らした呆れの声に、ナランチャはすぐさま反応する。それに私は、面白半分で便乗した。
「そうだよフーゴ! ナランチャも、もう十六歳なんだから!」
「それ、関係ありますかね……?」
 フーゴは呆れ顔を隠そうとはしていなかったが、私は何だか面白くなってしまった。そして、くすりと笑ってしまった。

 そうして、私とフーゴが話しているとき――ナランチャが、俯いて黙ってしまっていることに気がついた。
「ナランチャ? どうしたの?」
「じゅうろく……」
 そしてナランチャは、ぽつ、とふいに零した。その声は――心の底から、幸せに満ちていた。
「そっか。オレ、もう十六歳なんだ。へへっ」
 その小さく笑った、安心しきった顔。それを私たちに見せてくれるのが、どうしても嬉しかった。
「ナマエ、ブチャラティ、フーゴ、祝ってくれてありがとな!」
 そして、この幸せそうな笑顔を、どうしても守りたくなって、抱きしめたくなった。
 人前であることも忘れて、ナランチャに対して手を伸ばしたくなるくらいには――

 実際、そこで、第三者の声が私に降り注がなければ、私はナランチャのことを抱きしめて、キスしていただろう。
「ほら、その辺にしたらどうだ」
 だけど、ブチャラティの声が、私のことを冷静にさせた。私は我に返り、慌てて手を引っ込める。
 ――危なかった。
 そして、自分が何をしようとしたかを思い出し、思わず赤面してしまう。だが、皆、そんな私のことには気がついていないようだ。
 そんな中、ブチャラティはおもむろに立ち上がり、そして言った。
「みんな、そろそろ行くぞ」
「え、何? ねえブチャラティ、どこかに行くの?」
 ナランチャに触れられなかった手のことを名残惜しく思ったが、それを振り払うように、私はブチャラティに聞いた。
 すると彼は、皆にこう告げた。その顔はやはり、どこか機嫌が良さそうだった。
「今日はオレが、いつもより良いところのリストランテを予約しておいた。そこに行く――ナランチャ、今日は好きなものを頼むと良い」
 ブチャラティの言葉に、ナランチャがどれだけ喜んだかは、言うまでもないだろう。


「それじゃあ、改めて……ナランチャ、誕生日おめでとう!」
「おめでとうございます」
「おめでとう、ナランチャ」
 いつもとは違う、レストランの中。
 グラスを上げながら、私たちは口々にナランチャに言った。するとナランチャは、とても幸せそうに笑顔を見せるのであった。
「へへ、みんな、ありがとな」
 ナランチャの声を皮切りに、みんながグラスの中身を自らの喉に注ぐ。その瞬間、私の口の中で、ワインの香りがいっぱいに広がった。
 そこから、私が料理をつまもうと手を伸ばしたところで――ナランチャも、私と同じくワインを飲んでいることに気がついた。
 そして、改めて実感する。彼が今日、ひとつ年を重ねたということを。
「そっか。ナランチャももう十六歳だから、お酒飲めるんだね」
「んー、まあな」
「どう? おいしい?」
「悪くはねえけど……。やっぱりオレは、オレンジジュースの方が良いな。まあ、ワインもけっこうイケるけどな」
 そう言いながらも、ナランチャはゆっくりワインを飲んでいる。今までは飲んでいなかったと思うが、どうやらそれなりに気に入ったらしい。
「そうか。ナランチャが十六になったってことは、うちのチームで酒を飲めないのはフーゴだけか」
「まだ十四ですからね。あえて飲もうとも思いませんし」
 そう言いながら、フーゴはドリンクを煽る。
 そんな彼らの様子を見て、私は零した。苦笑した、と言っても良いかもしれない。
「ナランチャもだけど、フーゴも、そういうところはちゃんとしてるよね。ギャングなのにさ」
 ギャングになる前はどうだったかまでは、知らないけれど。
 そうしていると、ふと、ブチャラティが微笑んだ。それはどこか寂しそうでもあったけれど、嬉しそうにも見えた。
「そうだな。いつか、全員で飲める日が楽しみだ」
「そうだよフーゴ。フーゴも早く十六になってよーッ」
「ナマエ、君、一杯しか飲んでいないのにもう酔っ払ってません……?」
「そんなことないわよッ」
 フーゴに指摘されて、私は躍起になって反論する。まあ、実際は、少し暑くなってきて、いつもよりも楽しい気分になってきたような気はするけど。
 そうこうしながらも、私たちは楽しくおしゃべりをして、料理を口に運びながら、しばらく楽しい時間を過ごした。


「ナランチャ、ちょっと酔ってきた? 顔がほんのり赤くなってるよ」
「ん、そうか?」
 ゆっくりではあるが、ペースは崩さず、顔色も変わらずワインを飲んでいたナランチャ。そんな彼の顔が、ようやく少し赤くなってきたように見えた。
「それでも、あまり変わらないな。初めて飲むヤツは、調子に乗って飲みすぎて潰れるヤツとかもいるんだが」
「ナランチャはそういうのじゃないんじゃない? まあ、そもそもナランチャがお酒に強いのかもね」
 そう言いながら私はナランチャの方を見てみたけれど、やっぱり彼は平然とした顔をしている。
 それでも、何だか彼は、いつもよりも楽しそうにも見えた。
 ちょうど、私も楽しくなってきたところだったので――勢いに任せて、私は叫んだ。ある意味、今日の一番の楽しみでもあったことを。
「よし、じゃあ、楽しくなってきたところで、ナランチャに誕生日プレゼントを渡しましょう! ハイ、まずはフーゴから!」
 私が笑いながら、今日一番の楽しみのことを言ったのに、フーゴは微妙な顔を私に向けた。
「何でぼくからなんですか……」
「何よ。持ってきてないの?」
「……まあ、持ってきていますけど」
 そう言いながら、フーゴは懐からプレゼントを取り出した。手のひらより少し大きいくらいのそれは、几帳面に包み紙で包まれている。
「ほらナランチャ、ぼくからの誕生日プレゼントです」
「ありがとよ、フーゴ! 開けて良い?」
「どうぞ」
 ナランチャは、嬉々として包み紙を開く。そして、そこから出てきたのは。
「ん? なんだあ、こりゃあ」
「ペンケースですよ。見ればわかるでしょう。ナランチャ、君、今使っているペンケースはもうぼろぼろでしょう」
「フーン、なるほどなー」
 ナランチャは、しげしげとそのペンケースを眺めている。少し大人っぽい、良い素材でできたもののようだ。
 ナランチャは、しばらく無言で眺めているだけだったが――やがて、ナランチャは満面の笑みで、送り主に向かって言った。
「カッケイーな、これ! ありがとよ、フーゴ! 大事にするぜ!」
「ええ、ぜひそうしてください。高かったんですから。これからも、勉強がんばりましょうね」
「おうよッ」
 野暮なことを言うのはやめにして――この二人はいつまでも仲が良いなと、そう思った。

「ハイ、次はブチャラティの番! ってああ、そっか、ブチャラティは」
 何も考えずにブチャラティに言ってしまったが、私はそこで気がつく。彼はもう、ナランチャに誕生日プレゼントを渡しているではないか、と。
 そして、ブチャラティは頷いた。彼はそれから、少し申し訳なさそうに口を開く。
「悪いなナランチャ、奢ってやるくらいしかできなくて」
「ううん、平気だよ、ブチャラティ。むしろ嬉しいよ!」
 自分にとってのヒーローが、自分のためになにかしてくれると言うだけで、ナランチャは嬉しいのだろう。幸せそうな顔で笑っている。
 それでもブチャラティは、まだ足りないと感じたのか――ナランチャへの誕生日プレゼントを、もうひとつ付け加えた。
「そうだな……じゃあナランチャ、今度何か好きなものを買ってきてやろう」
「え? 本当かよブチャラティ! やったあ――ッ!」
 ナランチャは、彼の実年齢よりも一回りほど幼い子供のように、無邪気にはしゃいでいる。目を輝かせて、嬉しそうな顔で。
 それを私と一緒に眺めていたフーゴが――そっと、私に耳打ちした。
「なんだか、親子みたいですね」
「そうだね」
 なんとなく、穏やかな気持ちになりながら。
 私とフーゴは、二人の会話に耳を傾け、二人の様子を眺めていた。

「ほら、最後はナマエの番ですよ」
「わかってるわよッ」
 フーゴに急かされ、私もプレゼントを取り出した。そして私はナランチャにこう聞きながら、彼にプレゼントを手渡す。
「ナランチャ、この中身、なんだと思う?」
 するとナランチャは、嫌な顔をするでもなく、首を傾げながら――真面目な顔で、こう言った。
「うーん……わかんねーよ。ナマエが一生懸命選んでくれたものなら、なんでも嬉しいし……」
「ナランチャ」
 彼の言葉に不意を打たれ、私は思わず胸がときめいてしまう。そこまで言ってくれることが、どうにも嬉しくて。
 そんな私に気づいているのかいないのか、ナランチャは私のプレゼントの包み紙を、そっと開けた。
 その中に入っていたものは。
「これって……ヘッドフォン?」
「そうだよ。気に入ってくれると、嬉しいんだけど……」
 私はどこか不安な気持ちになりながら、彼に向かって呟く。
 ナランチャは、しばらくヘッドフォンを回し、眺めていたが――やがて、みるみるうちに目を輝かせた。
 そして彼は、今日一番の笑顔で、幸せそうに、嬉しそうに――私に向かって笑いかけるのだった。
「ありがと、ナマエ! 絶対に大事にする! 一生大事にするぜッ」
 そして、私は思う。この笑顔を見ることができたことで、私が今まで生きてきた甲斐はあったのだと。
 それから、こうも思う。これから、ナランチャのこんな笑顔を見ることができるのなら、私はずっと、彼のそばに居たいと。彼と一緒に、生きていきたいと。
「ブチャラティ、フーゴも! 今日はいろいろと、本当にありがとな! こんなに祝ってもらえると思ってなかったからよー、すっげェ嬉しいぜッ!」
 そして、そんなナランチャの笑顔に呼応するように――ブチャラティもフーゴも、こうやって微笑むのだ。
「ああ。……どういたしまして」
「大事にしてくださいよ、プレゼント」
「もちろんだぜ!」
 そして私たちは、一緒に笑いあった。こうして過ごせる楽しい時間が、何よりも幸せだった。


「ブチャラティ、ナマエ、フーゴ、今日はありがとな! 楽しかったぜ!」
 ひとしきり食べて、飲んで、喋って。
 今日、私たちは人生で一番楽しかったんじゃないかと思うくらいに、幸せな時間を過ごしていた。
「ああ。オレも楽しかった。こちらこそありがとう」
「そうですね。じゃあ、気をつけて帰ってくださいよ。ナランチャ、ナマエ」
 だけど、そんな時間にも終わりは来る。あまりにもあっという間に、私たちは帰ることになってしまった。
 それでも、プレゼントを幸せそうに抱えるナランチャと共に、二人で帰路につくのも全く悪くない。むしろ、嬉しいくらいだ。
 そして、やっと二人きりになれたな、とも思った。皆といるのも楽しかったけれど――私はやっぱり、二人きりでも、彼の誕生日を祝いたかった。

 ナランチャと私は、しばらくとりとめもない会話を繰り広げていた。だけど――不意にナランチャが、ポツリと零した。
 お酒が入ってもあまり性格の変わらなかったナランチャが――今だけは少し、殊勝に見えた。
「オレさあ、なんて言うか……ブチャラティたちに出会えて良かったなあ、って思うんだよ」
 少しだけ口が軽くなった、とも言えるのかもしれない。
「去年はさ、誰にも祝ってもらえなかったから。少年院の中でよ、気がついたら五月二十日なんてとっくに終わってて、さ。十五歳になったことなんてしばらく気が付かなかったしな」
 それが、私の前だけであってほしい、とは思ったけれど。
「だから、誕生日が特別な日だということも、忘れていたんだよ。今日が誕生日だってこともな。前に何となくナマエたちに誕生日を教えたことはあったけどさ、祝ってもらえるとは全然思ってなくてよ」
 この言葉に続けて、ふとナランチャは何かを言い付け加えかけた。だけど
「だから、オレは、オレは――」
「ねえ、ナランチャ」
 だけど、私は――ナランチャの言葉の続きを、遮ってしまった。私は、ナランチャの続きの言葉を聞くのが、怖かったのかもしれない。
 その代わりに私は、今の気持ちを素直に伝えた。どうしてもこれは、ナランチャに伝えたいことだったから。
 今日という、年に一度の特別な日のうちに。
「生まれてきてくれて、ありがとう。あなたと出会えて、良かった。あなたが生きていてくれて、私はとても、幸せだよ」
「ナマエ……」
 ナランチャは、私の言葉に驚いたように、目を見開く。
 そして、酔っているのか、照れているのかはわからないけれど――彼は顔を赤くして、そっと微笑んだ。その表情が、なんだかいつもより大人っぽく見えて――ああ、彼ももう十六なんだと、なんとなくそう思った。
「オレもだよ。オレも……みんなにも、ナマエにも、祝ってもらえて嬉しい。ナマエに出会えて、嬉しい」
 この言葉を皮切りに、私たちはそこで、沈黙に身を沈めた。言葉なんていらないと、そう思ったから。
 私たちは、どちらともなく向き合って、手を伸ばした。お互いの身体に触れたいと、そう思ったから。
 そして、私たちはキスをした。お互いに溶け合ってしまいたいと、そう思ったから。
 かすかなアルコールの香りが、ナランチャの香りと混じり合って――私の口いっぱいに広がった。

 やがて、私たちはどちらともなく身を引いて、離れることとなる。それがどうにも名残惜しかったけれど、明日も仕事があるので、これ以上一緒にいることはどうしてもできなかった。
 だけど。
「じゃあ、ナマエ――今日は本当に、ありがとな! 今日は、本当に楽しかったぜ。じゃあ、また明日な!」
「……うん! また、明日ね!」
 ナランチャが駆けていく背中を見送りながら、私は一生懸命手を振る。
 こうやって、明日会えることを約束できるのならば、それで良いのだろうと。
 こうやって、明日も大事な人と一緒に過ごせるのならば、それで良いのだろうと――そう思った。


 こうして、今日という特別な日は終わりに近づいていく。
 だけど。
 私は、二〇〇〇年五月二十日という特別な日のことを、今から楽しみにしながら――明日という、一九九九年五月二十一日に向かって、歩いていくのだ。
 三百六十四日間の特別ではない、だけど大切である日々のことも、楽しみにしながら。
 それが、私にとっても、ナランチャにとっても、チームの仲間たちにとっても、それ以外の人々たちにとっても――幸福な日々であれば良いなと、私は心から願うのだった。


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